4/30(月)

阿倍「美しい日本」
野田「美しい花」

これほど醜悪な国や花もあるまい。


中日の山本昌がすごすぎる。まさに化け物だ。


よくよく考えてみれば、体力の有り余っていた10代や20代の ときですら、昼夜逆転の生活はしんどかった。 休憩を取っているとはいえ、夜行バスの仕事がめちゃくちゃしんどい ことには変わりない。
ああいう事故があると、アマゾンの送料を有料にしてもらっても いいと思うし、別にそんなに急いで送ってくれなくてもいいとも思う。 日本の便利を支えている人々が報われないのはどう考えてもおかしい。
自己の責任が一義的にバス会社と運転手にあるということはさておき。

4/29(日)

年金にストレステスト(NHK)

今までやったことないのに「大丈夫」って言ってたんか?


今日はうちの生徒が二人出るジュニアオケを見てきた。
アイネクライネは難しい。構成がシンプルなだけに ちょっとばらけただけでもぞもぞした感じになって気持ち悪い。
「新世界より」はよかった。譜読みが面倒な曲 の方が、どうやら客席にはちゃんと聞こえるみたいだ。

ちなみに、やはりというべきか、演奏会中にうんこがしたくなって アイネクライネの第3楽章あたりから客席で悶絶していた塾長であった。

それはそうと、演奏中頻繁に出入りしてたおばちゃん、 ケータイのストラップに鈴がついてて、とってもよく きこえてたで。猫の首についてる鈴みたいな感じ。


iTunes でウィスペルウェイの弾くショパンとメンデルスゾーンのソナタ を視聴してみた。ピアノの音が特徴的。 多分モダンのピアノではないと思う。弾き方も、ショパン特有 (と思われている)ペダルによる靄を全く使わないもので、 これまで聞こえなかった音が結構聞こえてきた。 残響時間が短く、チェロがかき消されることもない。 初演の頃はチェロがうるさくてピアノが聞こえない、という 批評もあったようなので、バランス的にはこれぐらいなのかもしれない。 というか、チェロ弾きとしてはピアノにはこのぐらいの節度を保った 演奏をしてもらいたいなあと思う。ロストロとアルゲリッチの 演奏があまりに(歪んだ形ながらも)素晴らしいので、 どうしてもそれが頭に残ってしまっているピアニストは多いと思う。


あったかい。桜はほぼ満開。 北大橋の上にかかっている温度計が26度を示していた。 ほんの二週間前は夜になると3度とか4度ぐらいだったような気がする。 砂漠ほどじゃないけど、寒暖の差が激しい。うちの生徒でも何人か 風邪引いた子がいるよ。

4/28(土)

Aちゃん「石原先生の玄関は、靴が踊ってる」
塾長「・・・?」
Aちゃん「玄関汚いって言うと角が立つでしょ」
塾長「・・・・」


Rちゃんに「最近高血圧の話ばっかりですよね」 と言われた。

そーなのだ。ここ二ヶ月ぐらいは血圧を下げること ばかり考えているのだ。毎日散歩して、 以前は全然興味がなかったバナナやキノコやイモを食って、 ふくらはぎをもんだりしとる。 こういう風な性格が血圧を上げてるんだろうなあと 思いつつ、ルーチンワークをいとわない こういう性格のおかげでペーパーテストの 成績はまずまずよかったんだろうなあとも思う。
バランスが大事だ。

4/26(木)

家賃を払って、国民年金を一年分まとめて払って、 すっからかんになった。毎年のことではあるが(いや、 金がなくて滞納したり、免除してもらったこともあるが)、 いやはやなんともバカバカしい。ワシらの年代は もらう前にあの世行きだがや。


結構ギリギリの状態が続いていたが、 ゴールデンウィークで一段落つきそう。 予備校の授業準備が予想以上に大変だったという、 ただそれだけだ。幸いなことに予備校の授業というものは 所々曜日ごとの進度を合わせるための休講日がはさまっていて、 そのおかげで一息つける。あと、正規の授業はトータルで 半年分ぐらいしかなく、あとは夏期講習とか春期講習に なっている。それらをやらなければ夏休みや冬休みに 一休みできる。塾長は予備校の夏期講習はやらないつもり。 「サボらず働け」と言われるかもしれないが、 ビンボー人に暇がなくなったら生きてる意味がない、 というのが塾長の考え。当然、金持ちになる見込みがあれば ピンポイントで ガッツリ働きまっせ。

まずは夏休みまで一踏ん張りですな。

4/25(水)

素晴らしい春の陽気だった。仕事がなければ カブでぶらぶらしたかったところだ。桜は週末からゴールデンウィーク ぐらいかね。


Aちゃんは玄関を入るなり「たばこの臭いだ〜。 たばこ吸った?おじさんの臭いきらい〜」 とのたもうた。Aちゃんはちゃんと焼き芋失敗の臭いに 気づいてくれたようだ。他の生徒さんは 言わないと気づかないようだった。

Aちゃん曰く「ストレス溜まるんだよね、色々あって。 ここはストレス発散の場って感じかな」
ストレス発散しに塾に来るって一体どういうことでしょう。

4/24(火)

随分暖かくなってきた。庭の草も少しずつ 青くなってきた。草むしりをするほどではないが、 草むしりをしなくてはならないと自覚するときが遠からず来る のが残念だ。そして、おそらくは草むしりをせずに罪悪感を 持ちつつ生活をすることになるのがわかっているのがもっと 残念だ。
こないだAちゃんが庭を見て「無駄に広いよね」と言っていた。 確かに。「秘密基地が作れそう」って、君は男子小学生か?


台所と廊下の焦げ臭さはなかなか消えない。今日来た生徒に 「焦げ臭い?」と聞いたら、やはり若干臭いが残っているようだ。 いまだにどうしてあんなことになったのかがわからない。 ので、焼き芋を電子レンジで作ることができない。

4/23(月)

玄米がなくなってきたので、 書斎に保管してあった「武田家の玄米」の米袋を 台所に移動して袋を空けてみた。

あああああああああああ・・・・・・

ウジ虫の皆様がうじゃうじゃ。防虫剤を入れとくべきだった。 米が5キロ無駄になった。食事中の皆様、汚い話で 大変申し訳ございませんでした。


一日中雨。昔話ポッドキャストが心にしみるね。

4/22(日)

一年半ぶりぐらいでカルテットの合わせをした。 しかも20年ぶりの「フーガの技法」ぢゃ。 メンバーの一人は10年ぶりだと。
それでも、こんなマニアックな曲をとにもかくにも やったことのある連中ばかりが集まったというのが 珍しい。こーの手書きのパート譜は ガイドがちゃんとついていて弾きやすい。 御陰様で最後のフーガも止まらずに最後まで弾けてしまった。 しかし、この20年ですっかり目が悪くなったせいか、 小さい字が全然読めない。というか、存在を認識することが できなくなった。確実に老化は進んでいる。
今録音を聴いているが、なんだかLuigi の音は ガット弦を張ったチェロみたいな音だ。古いラーセン のせいなんだろうか。結構いい感じ。

久しぶりに来たメンバーから「部屋が前より汚くなっている」 との指摘を受けた。塾長は毎日ここにいるから変化がよくわからないのだ。 いわれてみれば汚いかもしれないね。


休みの日ではあるが、よく働いた。

4/21(土)

放射能独自基準やめてくれ(by 農林水産省)

・・・・このクサレ外道が。


台所に転がっていたサツマイモを焼き芋にしようと レンジに入れてしばらくしたら焦げ臭くなってきた。 慌てて台所に行ったら廊下が煙ですごいことになってる。 レンジの扉を開けたところ、炭のようになったかつてはサツマイモだった 何かが赤熱していた。
三時間経った今でも部屋が煙臭い。電子レンジの強度が 強すぎたんだろうか。しかしこれまで同じように焼き芋を やってきたが、こんなことになったのは初めてだ。何が問題 なのかがわからない。

4/20(金)

本日の高1数学は確認テストだった。高校1年生の 生徒さんはこちらの要求するレベルに十分達している。よくできました。 中学3年生の生徒さん(飛び級した子がいるのだ)は、中学校気分で テストを受けたようで、散々だった。最近やったところは頭に入って いて計算もできるのだが、二週間前にやったことがほとんど抜けている。 高校レベルの計算問題はノートをちょっと見直して確認するだけでは 自力での答案の再現がほぼ不可能であることをこの機会に 知って欲しい。

来週からは多項式の割り算や因数定理・剰余定理の話。 因数分解は割り切れる割り算で、因数定理や剰余定理は 割り切れない場合にも話を拡張した一般論ということになる。


明日、とうとうAちゃんとRちゃんが入れ違いで顔を合わせる ことになりそうだ。Aちゃんの顔を見るのを楽しみにしているRちゃんと、 内弁慶で逃げ出したそうなAちゃんの組合せであったとさ。

4/19(木)

カブのタイヤ交換をしてもらった。やっぱり 夏タイヤは走りやすい。後輪がずいぶんすり減ったらしく、 そろそろ新しいタイヤにしなくてはならんかも。5年間 頑張ってくれたんで、まあよしとしよう。

4/18(水)

予備校に出勤しようとしたら、カブの鍵がない。 鍵をさしっぱなしにしていることも結構あるので、 ガレージのカブを調べたが、どこにもない。 汚い玄関を恨みつつ、下駄箱の上とか、裏側とか、 段ボールの中とか探したけど見つからない。
そういえばスペアキーがあったかも、 と思いついたが、そもそもカブを購入したときの 記憶が全くない。乱雑な引き出しの中を本気で探すと時間がかかりすぎる。 10分ほど格闘した後、諦めてタクシー通勤にしたのであった。 授業中も鍵とそれにくっついているガソリンスタンドのスピードパス が気になって仕方がなかった。帰りは40分歩いたのであった。

家に着いてからもう一度昨日の行動を思い出した。少なくとも確実に 昨日の昼前にはカブを使った。家に帰ってすぐにコンビニ弁当を かっこんだ。その後はカブに乗っていない。 ガレージにも玄関にもないとしたら・・・・あまり考えたくはないが ゴミ箱?
あった!! ゴミ箱内のコンビニ弁当の袋の中に・・・なんでこんなとこに、という 疑問が頭の中を駆け巡る。家の鍵が時々なくなることはあるが、 カブの鍵はいつも所定の位置にあるものだと思っていたので、 何ともまごついた。玄関を掃除した方がいいなあと心底思った。


本日のAちゃんは風邪引きさんであった。 派手に咳をしながらも、やっぱ元気だった。


講師室でテキスト改訂作業をしていたら「マック使ってる 人、ここでは初めて見た」と言われた。 数学の講師の方で、塾長がTeXを使っているのを知って「TeX使ってる 人も初めて見た」と言われた。TeX使ってる人は塾長も 盛岡では初めて見たような気がする。

4/17(火)

五月末に受講する予定の(正式に受講が決定している わけではないっぽい)公開レッスンで見てもらう バッハの「フーガの技法」の楽譜が今日届いた。 かつてこーのが自筆で書いてくれたパート譜だ。 それをチャリで家に帰る途中の片桐が夕方うちに届けに来たと。 こんな時間に一体誰が来たのかと思ったわ。

20年近く前に初代薫弦楽四重奏団で初出演したときの 曲だったような気がする。よくもまあ、弦楽器を二年前に始めた ばかりの人間が二人もいる弦楽四重奏団でこんな曲を 選んだものだ。当時は怖いものなんて何もなかったんだす。
改めてスコアを見ながら聴いてると、未完成の最終フーガ で三つのテーマが同時に出てくる部分で胸が熱くなってきた。 平均律クラヴィーアでもそうなんだけど、テーマが重なって 出てくるところは盛り上がりが素晴らしく、同時によくもまあ こんなすごい建造物を一人で作り上げることができたものだ、 とひれ伏したくなるような気分になる。
今週末に初練習がある。止まらずに弾けるのだろうか。


春が来た。早起きしたので久々にゆっくり昼寝もしたぞ。 昔話ポッドキャストが相変わらず好きで、 昼寝の時によく聴いている。みすみあやさん(漢字知らぬ)という人が 時々童歌を教えてくれる回があるんだけど、これがとても 心地よい歌声で昼寝に最適なのだ。普通の回も楽しい。 夜眠れないときも、落語と並んでいい睡眠薬になっている。 オススメだが。

4/16(月)

相変わらず風が強い。今日は花粉が大量に飛んでいる はずの日だったが、散歩をしたあとも目鼻の調子はよかった。 薬をちゃんと飲んでいるからか、鼻の穴にクリームを塗っているからか、 マスクを二重にしてうろついているからか、よくわからない。


相変わらず国会は不要不急の茶番であふれかえっとる。 日本が現在非常事態であるという自覚は連中には全然ないということだ。

4/14(土)

今日は午後早くに仕事が終わったので啄木賢治青春館で コンサートを聴いてきた。 チェンバロと弦とフルートという小編成で、 バッハとビートルズの編曲物をいくつか。
良くも悪くもチェンバロが全てで、前半は ぐちゃぐちゃ、後半はよかった。
入場料3000円(当日3500円)はちょっと高すぎる。 この設定だと、知っている人が出ない限り聴きに行く気にならない。

いつの間にか館長がTGCさんになっていた。そのうち 自分が出演するとか言い出すんじゃなかろうか。


YJ君は最近ケータイを持たせてもらうようになって、 ワシにもケータイメールを送ってくるようになった。
訳のわからん画像を貼るのと、「チェーンメールではありません」 というチェーンメールを送るのはやめて欲しい。


観光庁のHPの英語翻訳に間違い続出という ニュースを見た。

これは!、と思ってYahoo 翻訳を試してみた。
あきたまつり→the festival I got tired of
六郷のカマクラ行事→Mosuquito event to use as a pillow of six volts
生保内関所跡→Barrier trace in the life insurance
安潟みなとまつり→All cheap limn and festival
もやかがり→I sew a haze.
ふねっこながし→I wash down a ship kid.
啄木忌→Woodpecker mourning
せんまや夜市→Maya night market not to hold.

どんぴしゃですがな。要するに日本語が出来ない 外国人労働者を雇ってYahoo 翻訳をやらせていたということ なんでしょうな。経費節減をうたってこのようなレベルの仕事 をしているわけだ。どこぞの高校が可愛く見えるね。 呆れてものが言えない。英語力以前の問題だわ。 なんでこんな連中に税金払わにゃならんのだ。
これは断じて誤訳ではない。誤訳というものは、 翻訳という難しい作業を行う中でどうしても起きてしまう 不可抗力の誤りである。翻訳に取り組んですらいないのに、 誤訳もクソもあるはずがない。誤訳ではなく、職務怠慢であると 新聞は書くべきだ。

4/13(金)

被災地のがれき受け入れを拒否する自治体が結構報道でも 目立つようになってきた。
そりゃ当然でしょ。岩手のがれきはおそらく 放射性物質はほとんどついていないと思われるけど、 所詮「思われる」レベルであって、根拠なんて全然ないしね。 まともにがれきの放射線量を測定するつもりも 能力もないわけだから、この状況で無理にがれきを 外に出すこと自体無理な話だ。助け合いとか、絆とか、 情緒的な単語を稚拙に使う連中を信用してはいかん。 岩手県民の大多数がどう考えているかは知らんが、 ワシはがれきをよそで処理してくれる自治体が偉いとは思わないし、 がれき受け入れを拒否する自治体を残念な自治体だとも思わない。 がれきを処理してやろう、と言ってくれる自治体はおそらく 国からの金が欲しいんだろうと思うし、拒否する自治体は そんな金もわけのわからんがれきもいらんのだろう としか思わない。

混乱の時期に 一番必要なのは自らの言動に正直であることと誠実であること。 社会的に影響力のある連中、例えば政治家や政府や役人や マスコミや大企業や一部の文化人(と見なされてる連中)は、それに疑問を もたれるようになったら安定した 文明社会が終わるということをもっと 心に深く刻んでもらわないと困る。最低でもうまくだましてくれないとダメだ。 特に大マスコミはひどい。時々図書館で読む新聞はまさに 戦前の情報管制にしてやられた大本営発表ばかりだ。 そんなに国税庁が怖いならブン屋なんてやめちまえ。
そんな日本を作ってしまった日本人に失望。 自分がその日本人の一人であることに絶望。


天気もよくて気温も高いのだが、風が強いためにカブだと ちょっと寒い。


来週から始まる予備校の授業準備をしている。 某大手のテキストを使うことになっているのだが、 どうも石原学舎の1,2年生用英語テキストが難しすぎるようだと わかった。早慶レベルのテキストすら分量的にも 難易度的にも石原学舎の1,2年生用英語テキストに遠く及ばない。 特に分量がきつい。単純に2倍から2.5倍なのだ。
う〜ん、学校で使っている 教科書やテキストが不十分だと思って しっかり考えるに値する難しいものを沢山与えていたのだが・・・

石原学舎の英語テキストも改訂作業をしなくてはならないのだろうか。 数学テキストの改訂作業でちょっとギリギリなのに。 というか、そもそもあの程度の予備校のテキストでは90分もしゃべることが ないような気がしてきた。ネタ探しをしなくちゃ。


隣の迷惑な隣人の振る舞いの監視について、 政府はまたヘマをした。どうやったらこうも愚かになれる のだろう。ある意味いい訓練になったはずなのに。

4/11(水)

官房長官「(迷惑な隣国のミサイルについて)国民の皆様 は冷静に見守って」

別に暴動を起こそうとか思ってる奴なんていねえよ。 例によって迷惑な隣人は何するかわからず、なのに あんたらがそれに対する対応能力を持っていないのが 不安だなあ、って思ってるだけ。


本日はAちゃんデー。塾のあとに用事があるとのことで お母さんから「終わったらまったりさせずに追い返してください」 とメールがあった。まったりさせずに追い返した。

今日は珍しく真面目に取り組んでくれた。
そしてなぜか明日もAちゃんデー。

4/10(火)

いい天気だった。ので、半年ぶりにカブを洗って ぶらぶらしてきた。冬の間一度も洗わなかったので マフラーの錆が随分広がってしまった。ある程度は落とせたが、 結構残ってしまった。仕方ないね。


人から与えられる仕事というのは、なぜ 毎回のようにワシの適性を無視したものばかりになるのだろう。 同じ組織の中で、もっとマシな歯車になれる場所が いくらでもあるのに。心棒のずれた、ぐにゃぐにゃの 歯車でもいいということなんですかね。

4/9(月)

「アメイジング・グレイス」という、英国の奴隷解放 運動を描いた映画を見た。
「奴隷を使えなければ人件費が上がって、我が国の繁栄は なくなる」という台詞は、中国や他のアジア諸国に 工場を増やしている米国や我が日本にもそのまま当てはまる。 残虐な仕打ちを直接していないだけであって、実のところ日本人の 新興国に対する視線は当時の英国のそれと同じなんだと思う。

国内を見渡しても、肉体労働者、単純作業労働者に対する 待遇はどう考えてもひどすぎる。 自分の今の仕事と収入、それと以前やっていた肉体労働とその収入 を考えると、ものすごい不均衡があるとしか思えない。 以前やっていた肉体労働は、それがないとその組織の効率が 一割ぐらい落ちるような類の仕事だった。ひるがえって、今の 塾長の仕事がなくなって困る人が一体どれだけいるというのだろう。 それなのに時給換算で肉体労働の数倍手に入るのだ。 どこかが狂っている。

その後の英国の没落を見ると、日本もどうやってうまいこと没落してゆくのか を真剣に考えなくてはならないと思う。 最近、世界史の参考書を読みながら、栄枯盛衰のパターンがあるのかないのか 考える日々なのだ。


ようやく明日、今年度の予備校の授業がどうなるかが決定する。 来週から講義が始まるはずなんだが、全く準備時間がない。 なんであらかじめテキストを渡しておいてくれないんだろう。 準備なしでしゃべってもいいのか? 以前バイトしていた高校でも、ほとんど全く準備期間を与えられることなく 授業が始まってしまった。人にものを教えるってのはそういうものなのか?

4/7(土)

本日もAちゃんデー。やはりというべきか、一時間半 粘っていった。本当なら直後にRちゃんが来る予定だった んだが、今日は都合が悪くて明日に振り替えになってしまっていたのだ。 RちゃんはAちゃんの顔を見てみたいと常々言っていたので、残念だった。 来週はAちゃんが時間変更するので、再びAちゃんとRちゃんの出会いは おあずけ。


空耳アワー2
寺尾聡の「ルビーの指輪」の「誓った愛の幻」 というフレーズを子供の頃の塾長は「力は愛の幻」 だと思い込んでいた。
当時は家庭内暴力(DVとかドメスティックバイオレンスとか言うんじゃねえよ) が新聞紙上を賑わしていたからだろう。

4/6(金)

子供のころ、「聖女達のララバイ」の聖女ってのは ナイチンゲールみたいなもんだと思ってた。 歌詞に「この〜町は〜戦場だから〜」なんてのがあったから。
一昨日改めて聴いてみて、聖女とは 銀座の高級クラブのママとかホステスさん のことなんだと直感した。 戦場にも高級クラブにも行ったことないけど。

ついでに「男はみんな、傷を負った戦士」のところを、 子供のころの塾長は「傷を負って戦死」だと思ってた。 死んじゃったらマドンナがいても仕方ないじゃんか、 と突っ込んでたのを思い出した。
それにしてもひどい耳だ。


京大オケチェロセクションの同級生からメールが来た。 一年に一度、年賀状のやりとりだけはしていた。 なんだが、なづがしぐで、むねがいっぺえになっちまっただよ。

我々の学年は最初7名か8名いたのだが、比較的早い段階で4名までに 減ってしまい卒業までこのメンバーが続いた。 特別上手な人間がいたわけでもなく、不作というか ローテーションの谷間的なメンバーだったため、 どちらかというと他のセクションから攻撃を受けやすい立場にあった。 そのせいかどうか知らないが、4人で一緒に行動することが 多かった。特に二回生、三回生の頃はしょっちゅうつるんで ぶらぶらしたり、ハイキングを企画したり、飲み会を企画したり していたものだ。クリスマスイブイブコンサート(四条河原町付近で、 12月23日にチェロアンサンブルをして、小遣いを稼いだあとで 飲み会に突入という企画)を始めたのも我々の年代だったように 記憶している。要するに、チェロの腕はからっきし だが、遊びはしっかり、という生活を満喫していたのだ。
その後、一人は異人さんに連れられてイギリスに 行っちゃって、塾長を除く二人は結婚して(チェロ内で) 東京生活をしていた。塾長が大学院生だった頃は 時々遊びに行ってた。結婚した二人が大阪に移住して、 塾長も盛岡に移住してからは年賀状だけになってたというわけ。

ときどきふらっと、こんな風に昔の友人からメールが来たりすると 「忘れられてたわけではないんだ」と思って嬉しくなる。

4/5(木)

iTunes で「80年代コレクション」 なるものをいくつか購入してしまった。
うちはテレビを一日に30分しか観てはいけないという 家庭で、しかも8時過ぎには寝るという生活だったため、 いわゆる流行りものには全く疎い小中学生活だった。 ときどきCMとか、紅白を部分的に観ることでその年に どんな歌が流行ってるのかをおぼろげながら知ったものだ。

昨日買ったのは「セーラー服と機関銃」とか「時をかける少女」 とか「大都会」みたいなやつ。演歌じゃなく。
塾長は「セーラー服と機関銃」と「時をかける少女」 の区別が全然ついていないというのがわかった。 さらに、原田知世と薬師丸ひろ子の区別も全然ついていない。 必然的に赤川次郎と筒井康隆の区別もついていないことになる。 まさに失われた80年代だ。

頭の中で「セーラー服と機関銃」と「大都会」が鳴り続けている・・・


この時期に毎週灯油を買わなくてはならないというのは困る。

4/4(水)

今朝3時頃から風が非常に強くなって、家の揺れと 風の音で目が覚めた。そうなるとこわくて眠れない。 結局6時頃まで布団の中で落語を聞きながら過ごした。
塾長は最近自然災害の類を原始人のようにおそれている。 地震も台風もこわい。あんまり恐くないのは雷ぐらいのものだ。
ちなみに昨夜は雨も風もすごくて、いつもなら吹雪の時でも通ってくる YJ君すら「明日にしてください」と電話をしてきたぐらいだ。


本日はAちゃんデー。新年度からは 一回一時間を週に二回。なんだけど、やっぱり 今日も一時間半うちでねばっていった。うちって そんなに居心地のいい場所なんだろうか?お茶でも出した方がいい?
そういえばこないだ「今年の受験生の子が 全部ダメだったら塾長やめようと思ってたんですよ」 と言ったら「あぶないあぶない、あたしの行くところが なくなるところだった」とのたもうてくれた。 やっぱりお茶出した方がいい?
ちなみに「塾長やめる」ってのは石原学舎をやめるという ことじゃなく(当たり前じゃん。仕事やめたら食っていけないべ)、 ちょっとだけ会社の真似をして「塾長補佐」みたいな降格人事を やってみようかと思っただけ。いない塾長を どうやって補佐するねん。この雑記帳も 「塾長補佐雑記帳」に改名しなくちゃいけなかったんですな。


昨日今日と散歩お休み。風が強いし寒い。さっき外の気温計を見たら 2度だって。もう4月なんですけど。


石原学舎の宣伝広告がしょぼい、ということをこないだ書いた。 でも、よーく考えてみると今よりも生徒さんを増やそうにも 空いてるコマが全然ない。塾長一人でやるという 形態が続く限り、これ以上生徒を増やすことはできないのだ。 塾長一人でやるという形態を続けるつもりなので、 これ以上生徒を増やすことは出来ないのだ。
ちゃんちゃん。

4/3(火)

病気でリハビリ中のSSK先生のお見舞いに行こうと Eric さんと一緒に行ってみたら、丁度リハビリ中で 会うことが出来なかった。ちゃんと相手のスケジュールを聞いてから じゃないとダメだね。


雨も風もすごい。明日もこんな感じなんだろうか。いやはや。


前にも書いたような気がするが、 しばしば「盛岡(or 岩手)に永住するんですか」と 聞かれる。風来坊みたいに思われているのだろうか。

この際はっきり書いておくと、塾長は盛岡もしくは岩手県に 骨を埋めるつもりでいる。もちろん、何か突発的な出来事で 予定が変わることはあるかもしれないが、少なくとも 盛岡で働いているサラリーマンのおとーさんが「ワシは多分 死ぬまでここにいる」と思っている程度には骨を埋めるつもりでいる。
ちょっと引っ越し魔的なところはあったりする。でも ほんとは非常に腰が重たくて、基本的には あんまりうろうろしたくないのだ。 大学や大学院や就職でうろうろしたのは、 そういう風に一つのところに腰を落ち着けることに 一生懸命になりすぎるのもどうかなあ、と思ったから。 最近はわざわざ動きたくもないや、という気分の方がずっと強いし、 盛岡の空気と水から離れがたい。 大都会に出て行きたいと思っている生徒さんたちの気持ちがよくわからない。 もちろん、一度は故郷を出て行った方がいいと思うけど。

4/2(月)

石原学舎のHPは広告になっているのかどうか 確認するために、Google で「盛岡 塾」「盛岡 進学塾」 「盛岡 大学受験」など を検索してみたら 全く出てこない。こりゃダメだ。試しに「盛岡 チェロ教室」 で検索してみたらトップですがな。

ほんとに世の中理不尽なことが多い。


明日はめちゃくちゃ風が強いらしい。石原学舎は無事に 台風並みの風をやり過ごすことが出来るのだろうか。

4/1(日)

久しぶりにいい天気だ。庭の桜も映えるというものだ。


新年度ということで、石原学舎をきれいに片付けた。 やはりきれいな室内は気持ちがいい。


YouTube でこんなの見つけた。

娘がお父さんに iPad を買ってくれましたが・・・

なんだかんだで石原学舎がやっていけているのは、 生徒さんを紹介してくださる生徒さんや、兄弟姉妹で 通ってくださる生徒さん達のおかげだ。 普通の意味での宣伝広告が全く出来ないうちのような零細塾は、 口コミが全てなのだ。
一応HPは作っているが、実のところHPを見て入塾される方よりも、 紹介をいただいて入塾される方の方が遙かに多い。ある意味、善意にすがって 仕事をさせていただいているようなもので、このように全く広告宣伝を しないのがいいのかどうか、時々不安になる。


センバツで誤審があったんだそうな。確かにホームベース踏んでる ように見えるわ。だけど、審判に抗議するのは違うと思う。
三年間の血と汗と涙の結晶であってもそれが必ずしも報われるわけではない、 世の中には理不尽なことが多いがそれにもかかわらず できる限り真正直に生きる ことが大切なのだ、 と教えることが教育なんじゃないのか。高校野球に 多少なりとも教育的意義を求めるのならば。

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