3/31(土)

国家公務員の新規採用を半分以下にするってニュースが あったけど、バカじゃないの?
そもそも人件費がなんぼ莫大だといっても、所詮予算の一割とか二割とか その程度だろう。世論に迎合して給与や採用をカットしたところで そんなものは焼け石に水だし、何やってもケチつけられるだけなら 優秀な連中は来なくなるぞ。いらんのは若者じゃなくて、 むしろ無能な年寄りの方なんじゃないのか。よい年寄りを残して、 無能な年寄りに引導を渡すような制度が必要だと思う。 それに、事務処理能力に長けている(要するにペーパーテストで 素早く正確に物事を処理する能力だ) ということは、 役人にとって絶対的な必要条件だということを皆様は ちゃんと理解しているんだろうか。 こういうこと書くと、必要条件と十分条件の区別がつかないお馬鹿さんから ケチがつきそうだ。
問題はその大して金持ちでない連中が、利権団体とつるむことによって 本格的に国家財政や地方財政を押しつぶそうとしてきたことと、 いずれ人が減って税収入が少なくなるということがわかっていた のに、何も対策をしてこなかったことだろう。時すでに遅しということなのか、 何か出来ることがあるのか、よくわからん。

ただ、公務員の待遇が不況下において民間に比べてよすぎるというのは 全くその通りだと思う。その待遇に見合った仕事であるのか (一所懸命誠実に仕事をしていることと、 待遇に見合った仕事をしていることとは全く異なる概念だ) は極めて疑問ではある。

3/30(金)

ネギを半分に切ろうとすると、なぜか青い方が長くなる。 白い方を長くしようとしてもだ。誰かこの理由わかる?


kindle に青空文庫の本をどさっと入れた中に、 夏目漱石の作品が結構ある。
「坊っちゃん」を先週読み終え、「彼岸過迄」を昨日読み終わった。 多分どっちも昔読んだんだと思うけど、全然覚えてない。 ちびまるこちゃんのお父さん「ヒロシ」じゃないけど、 物忘れがいいことにはいい面もある。
「坊ちゃん」は昔バイトしてた高校によく似ていて (というか、それよりも素朴かつ単純だ)面白かった。 「彼岸過迄」は何のことだかよくわからなかった。 時代を知らないからだろうか。

3/29(木)

健康増進に余念のない塾長は、高血圧と言われてから 毎日散歩をしている。かれこれ一ヶ月。家のまわりをぐるぐると。 昼間と夜の二回、最低でも一回。塾長は ルーチンワークは全然苦にならないタイプなのだ。 多分、お勉強や楽器練習の作業部分が苦にならないのが、 初歩レベルで躓かなかった理由なんだと思う。
それはそうと、 本日昼頃散歩をしていたら、隣のアパートの住人ぽいご家族が こちらを見ていた。二周目に入ったときまだその方々が駐車場にいて、 はっきりとこっちを見ていた。三周目に入ったとき、車で出かける ご家族と目が合った。

真っ昼間に普段着で散歩している労働可能な年齢の男は 怪しいのだろうか。


整数分野の最後の問題をやらせていて、 場合分けで混乱してしまった。「全部調べんといかんから 面倒だった」という記憶だけで話していたのが拙かった。 前日までに完璧な再準備をしておかなくては。特に、面倒だった という意識があるときは入念にやらんと。以前取り上げたことのある問題は わかってると思い込んでいるだけに危険だ。 反省。

3/27(火)

また揺れた。揺れることもさることながら、あの地鳴りが 気持ち悪くて仕方ない。間違いなく血圧が上がったと思う。


降圧剤が切れたので医者に行ってきた。ついでに 片桐家に寄ってこーのファミリーからのお土産を一週間ぶりに 渡してきましたとさ。


今日も雪。YJ君は雪の中を帰って行った。かわいそうだ。 あと一週間も経たないうちに4月が来るとはとても思えない。

3/26(月)

大竹まことのポッドキャストに坂本冬美が出ていた。 話の中で、藤あや子が坂本冬美のご近所さんであることと、 坂本冬美が吉幾三と同じ香水を使っているということが判明し、 いやいや塾長の好みが意外にも一貫しているらしいとわかったのであった。


毎日雪が降っていて風も強い。


イモやキノコ類はカリウム豊富で高血圧によいらしいが、 いかんせん高すぎる。高いといえば、最近のガソリン価格は 一体どうなってるんだ?

3/25(日)

昼頃I本さんがうちに寄っていった。新しい人生に向けて 頑張ってるところだ。まずは健康第一でやっていって欲しいぞ。


先週の演奏会のリハで人差し指の爪がはがれて、それ以来 はがれっぱなし。丁度いいからしばらくは深爪をさらにすすめて、 人差し指の指先の肉を増やすモードに入ることにした。
人差し指の指先の肉が少ないと爪が指板に当たるので 十分に押さえることが出来ず、そのせいで指先のたこを鍛えることも出来ない、 という悪循環が出来てしまうのだ。それを断ち切るには 無理に深爪をして、指先で押さえられるようにしなくてはならない。 爪が長いチェロ弾きは指先を作るのに時間をかけて痛みに 耐えなければならないのだ。手術で爪を短くすることが出来るなら やってみたいぐらい。

3/24(土)

AIJ社長「あと100億あったら巻き返せた」

まさに博打にはまったダメオヤジだわ。


今年東北大に合格した生徒さんがお父さんと一緒に 報告に来てくれた。 優秀な生徒さんだったのでとにかくほっとした。 本人とご家族はびっくりだったようだが、実力的には 当然の結果だった。
彼が高一でうちに来たときから、ものが違うなあと思っていたので、 三年間ずっとプレッシャーを感じていた。 ほとんど余裕なし。でも、彼のおかげで 理系大学受験生相手の手加減なし 授業が出来て、塾長も少しだけ賢くなったように思う。 生徒さんに感謝、保護者の方に感謝、紹介してくださった チェロ教室の生徒さんに感謝。
よく学び、よく遊び、充実した学生生活を送ることを祈っている。

それにしてもうちの生徒さん達はほんとに色んな子がいる。 AちゃんやYJ君のようにキャラが立ちすぎている 生徒さんから、今回合格した生徒さんまで、学力的にも 性格的にもてんでバラバラでほんとに面白い。 大学受験専門をうたいながらも生徒を全然選抜しない(できない) のは、生徒の多様性という観点からいうとそれなりに意義深いものなのかもしれないと 思うようになったきた。色んな子がいる方がネタも集めやすいし、 面白い。

今気づいた。現役合格者が出たのは実は石原学舎始まって以来のことだわ。 よくもまあ、浪人生を預かるなどという恐ろしいことをこれまではやってきた ものだ。

3/22(木)

YJ君から「○ピードラーニングで英語できるように なりますか?」と聞かれた。石川遼選手が宣伝してる アレですな。
確かに彼は英語が出来るようになったかもしれんが、 海外ツアーを転々として日常的に英語を使ってる人間では参考にならないと 思うぞ。あと、がっこのテストは少しばかり英会話が出来るようになっても 点数は取れない。楽な道はないのじゃ。


ぼんやりしているうちに花粉症の薬があと一日分になってしまった。 明日の午前中、時間があるうちに耳鼻科に行かなくては。

3/21(水)

今年大学受験した生徒さんが東北大学に合格した。 めでたいことだ。力のある生徒さんだったので、 それが証明されてほっとした。
あとはどういう選択をするかだ。 人生は一回こっきりなので、それぞれの選択が正しいか誤っているかを 議論することには全く意味がない。納得した選択かどうかだけが問題なのだ。


Aちゃんは問題文を意図的に間違えて読むことに 喜びを感じていらっしゃる。

Aちゃん「げせんぶをにほんごになおしなさい」
塾長「かせんぶです」
Aちゃん「もん1」
塾長「とい1です」

先日の演奏会のとき持ってきた差し入れのメッセージに「これからは もっとパワーアップして頑張ります」と書いてあったので、 慌ててお母さんに「これ以上パワーアップしなくていいです」 とメールしたのであった。

3/19(月)

しずくいし音楽館に行く前に、こーのファミリーが うちに来た。石原学舎の狭い駐車場内で、こーのが カブにカマ掘ったため、警察に。レンタカーなので 事故証明が必要だったのだ。普通の感覚では事故ですらない んだが、レンタカーにちょっと傷がついたのでということらしい。
警察についたらまず、ワシのカブがないと事故証明が できんということで、カブをとりに石原学舎に。 さらに警察にカブで到着したら「免許証と自賠責の書類」 と言われて、免許証はすぐにでてきたが、自賠責の書類がない・・・ いつもナップサックに入っているはずだったのになんでだろう。 ああ、そうだ。去年更新したときに書類を外に出して、 そのまんま新しい書類を入れ忘れていたんだ。ということで、 もう一度家に帰って引き出しをひっくり返してなんとか探し出した のであった。今回のことで、自賠責の書類がナップに入ってなかった とわかったのは収穫だった。これからはちゃんとするぞ。

で、そのまましずくいし音楽館でプレイエルとの合わせをした。 思ってたよりも音量、音質共にモダンのピアノに近かった。 タッチはかなり軽く、弾きやすくはあった。ペダルの深さが いまいちよくわからなかった。こーのによるとソフトペダル を踏むとときどき抜けることがあるそうな。塾長のレベルでは よくわからん。
ベートーヴェンはとてもよい曲なので、いずれまたやりたい。 というか、こーののピアノが相手だとやりやすい。こちらが どういうことをやらかすかということをこーのが熟知しているのと、 そもそも室内楽のピアノになれているというのと両方なんだろう。 ハイドンのコンチェルトと、レスピーギの冒頭もちょっとやってみた。 レスピーギもいずれぜひやりたい。これは、ピアソラのグランタンゴと 並んで、隠れた名曲である。

お昼ご飯はイオンの健康食食べ放題。ヴァイキング形式 自体が健康とはほど遠い形式であるということはまあ、いいや。 こーのファミリーはそのまま青森へ。雪が降っているみたいだし、 無事に到着しますように。しかしなんでまた子供連れがユースホステル なんてケチ臭いところに宿泊するんだ?

3/18(日)

今日は奥州市でジュニアオケのお手伝い。 小学生から中学生までの子供達がたった半年の 準備で演奏会・発表会をしてしまうというのだから 大変だ。
子供達はものすごく元気がよくて、ヴァイオリンを弾くのが楽しくて 仕方ないという感じだった。「間違えちゃった−」「緊張した」 「全然緊張しなかった」とか言いながら、(ほとんどの子供にとって) 初めての発表会を楽しんだようだった。羨ましいような、まぶしいような 感じ。
我々お兄さんお姉さん(おっちゃん、おばちゃんと言った奴は誰だ?) は一昨日やったモーツァルトのディヴェルティメントとシベリウスを 弾いた。人数が少なかったからか、リラックスしてよい集中力を 保てたからか、一昨日の本番よりもよい演奏が出来たと思う。 ヴィオラのお姉さんは一線級で活躍されているプロで、 隣で弾いていてめちゃくちゃ弾きやすかった。 当たり前のことかもしれないが、細かい動きもよく聞こえたし、 普段のメンバーで「出が遅い」といつも思っていた ところも完璧なタイミングだった。いっぺんにファンになったね。

オケの練習で難しいのは、「変だ」と思ったことを 口に出してしまっていいのかということ。指揮者がいるのに 余計なことをいうと混乱するかもと思うし、かといって 気持ち悪いままで練習本番と続くのもフラストレーションが たまるし。


夕方、こーのファミリーが到着。そのままうちで少しベートーヴェンを 合わせた。息子さんはよくしゃべるし、ちょこまか動き回って 可愛いわ。
夕食は奥さんの希望でぴょんぴょん舎に行った。 焼き肉ばかり食べてにんにく臭い。冷麺はお子様には かたすぎるかと思ったが「おいしい〜」とご満悦であった。 食べ過ぎたので、家に帰ってからちょっと長めの散歩をした。

3/17(土)

昨日の演奏会は予想に反してガラガラだった。 金曜日の夜で、しかも結構有名なソリストが来たのに。

ヴァイオリンの川畠さんは、これまで塾長が オケで伴奏したソリストの皆様方とはちょっと 違った雰囲気を持っていた。なんというか、 静けさを身にまとっているような感じ。 楽器を構えてからの静寂がこれほど静かだと思ったことはなかった。 客席の静寂もちょっとこれまでにないような性質のものだった。
塾長が緊張したのは、コンチェルトが終わったあとの無伴奏のアンコールを 舞台上で聴いているとき。尻が痛いんだが、ちょっとでも動くとピアノ椅子が ギシギシ音を立てるから動けない。くしゃみも出来ない。いやはやなんとも。

まずまずよい演奏会ではあったと思う。例によって塾長の 反省点は山ほどあるが。特に今回は左手前腕が久しぶりに痛み、 人差し指の爪がはがれて痛み、硬いピアノ椅子でケツが痛み、 と散々だった。

しかし、オケの演奏会をする度にこれだけ個人練習の時間をとらなくてはならず、 しかも毎回トゥッティの 練習に来る人が変わって、ということだとなかなか難しい。 県オケとかバディヌリのように、普段から同じメンバーで 定期的に練習してる団体 が自分たちのレパートリーから 演奏会をやった方がいいんじゃないかと思う。 寄せ集めのオケはオケとしての練習時間が足らなすぎる。


こーのファミリーが明日盛岡に来る。ほんとに久しぶりで楽しみだ。 月曜日にはそのださんのうちにあるプレイエルを弾かせてもらう予定。 ベートーヴェンのチェロソナタはどんな響きになるのだろう。 こちらもすごく楽しみ。

3/15(木)

公開リハーサルの観客は関係者を除いて10人くらい。 まあ、岩手にはオケは必要ないということですな。

しかし毎度毎度3時間座り続けるのが大変で困る。 尻が痛い。ほんとに学生時代は体力と気力があったんだなあと 思う。というか、オケが好きだったんだろう。 今は・・・う〜む、「好きです!」とまっすぐ前を向いて言うことは できんな。


明日の演奏会は無料です。整理券が発行されるようですが、 おそらく大変混雑しますので、来場は出来るだけ早めをおすすめします。

3/14(水)

明日の18時30分より県民会館大ホールにて 公開リハーサルが行われます。明日は川畠さん も参加されるので面白いと思います。興味のある方は是非どうぞ。


今日医者に行って、血圧の表を見せたら すぐさま「ああ、高血圧ですね」 と診断された。ということで、ワシも これからは降圧剤のお世話になることに。 運動をして(歩くだけだけど)、降圧剤とおさらば 出来るように頑張るぞ。


Aちゃんの部屋の写真を見せてもらった。 ものすごく汚かった。比較すると石原学舎がいかにきれいかがわかる。 ちなみに、お兄ちゃんの話だと、彼の部屋はAちゃんの部屋よりも さらに汚いそうだ。ハウスダストの鼻炎持ちなのに なぜそんな状態をキープする必要があるのだろう。


今週末にこーのファミリーが盛岡に来る予定。 ほんとに久しぶりでたのしみだ。 去年は地震のせいで来られなかったもんね。

3/13(火)

最近夜中中ずっと4号線で白線を描く作業をしている。 明るすぎるし、うるさいんだよな。


16日の演奏会の練習があった。3時間ピアノ椅子に座り続けると 尻が痛くなって集中力がなくなるというのが年をとった証拠だ。 でも、久しぶりに会った方から「痩せた」と言われると素直に嬉しい。

3/12(月)

明日3月13日18時30分よりキャラホール大ホールにて 16日の演奏会の公開リハーサルが行われます。 オケの練習に興味を持っている方は是非どうぞ。 ただし、ソリストの川畠氏は来ませんので、メンデルスゾーンの コンチェルトは物足りないかもしれません。


青空文庫のファイルをpdf化してkindle に 放り込んでいた「レ・ミゼラブル」を読み終わった。 小学生のころに抄訳を読んでいたく感銘を受けたのだが、 あれからん十年後に読んでもまた感銘を受けた。 現代日本社会の抱える問題は当時に比べるとはるかに程度は軽くなっているが、 当時のそれと相似形のままだ。
一つ驚いたのは、コゼットをマリユスに奪われるジャン・ヴァルジャン にいたく共感してしまったことだ。おとーさんですらないのに、 娘を持つオヤジの気持ちになるってのはどうなんだろう・・・


運動部の生徒さんがダイエットをするのだそうな。 現役選手のうちよりも、引退してからの食生活に気を使った方が ずっと意義深いと思うぞ。塾長は部活動引退後も全く食欲が 衰えず、わずか半年のうちに10キロ太ったのだ。 学校の先生が「勉強はともかく、体が心配だ」と言っていたらしい。 食欲の塊だったからなあ、あの当時は。

3/11(日)

昨年の大地震からもう一年経った。塾長の生活は相変わらずだが、 塾長の目に入る世の中はすっかり変わってしまったように思える。 世の中が変わったのか、塾長が変わったのか、よくわからない。

昨年の地震で塾長は死を覚悟した。大袈裟でも何でもない。 あの揺れで思考モードが緊急事態用に変わらない人間は よほど肝が据わっているか、よほど動物的勘が鈍っているかである。
地震当日夕方の原発停電のニュースで、次は原発事故と それに続く緩慢な死を覚悟した。 一日のうちに二度(実際は頻発する余震で何度も) も死ぬかもしれないと思った。津波のニュースを聞き ながらも、自分の生命のことしか考えられなかった。

今回の災害における教訓は何であるか。 経験のない大災害に直面したとき、どうすべきだったのか。
動物としては本能のスイッチを入れることであり、 人間としては良心の立ち位置をずらさないことであると思う。
今回の揺れは規模の点でも時間的長さの点でも未曾有のものであった。 阪神淡路大震災を京都で経験し、数年前に東北で起きた地震を経験した 塾長をして「もう死んだ」と思わせるほどのものであった。 おそらくお年寄りであったとしても、これほどの地震を経験したことのある方は ほとんどいなかったはずだ。
このような認識を持った時点で沿岸部の人々は 可能な限り高台に避難しなくてはならない。 目の前に助けなくてはならない人がいたり、動けない家族がいたり、 という悲しい状況でなければ、何はともあれ自分の身を守る行動を 取らなくてはならない。ここでは平時の手続きやルールを 捨てなくてはならない。人間の知性の優れたところは、 このようにルールの外に出ることが可能なことである。 小学校の先生は、親と連絡を取る前に子供達と共に 避難しなくてはならない。平時のように、 親からのクレームを恐れていてはならない。 親が子供を迎えに小学校に行ってもぬけの殻だったとしても、 親が生きていればあとで感謝されるだろうし、親が亡くなっていれば クレームを受けることもない。
逃げる途中の赤信号を無視しても構わない。 信号というものは、平時において守るものであり、 緊急事態においては混乱を来さない限りにおいて 守る必要のないものである。法というものは、平時において ルールの中だけで行動していればいいときにのみ有効な概念である。 生命の危険が迫っているときには、人間としての良心に置き換わるべきものである。
今回の地震と津波を語り継ぐのであれば、これから このような状況に陥ったときにどう行動すべきかということを きちんと実例を挙げて話さなくてはならない。そうでなくては 犠牲者は犬死にということになる。ある意味では死者にむち打つような ことを語らなくてはならないかもしれない。しかし、そこから目を背けていて はならない。

原発の事故は地震と津波が引き金になったとはいえ、 それらとは性質が全く異なるものであった。 我々一般国民の無関心と、根拠のない楽観主義と、 金の亡者たちと、それに群がる乞食どもの合作であった。
原発に関しては、おそらく多くの人が口には出さなくても「こわいものだ」という 認識を持っていたはずだ。そうでなければ過疎の村にあんなものを 建てようと思わない。しかし、原発反対というのは基本的に ヒステリー気味の左翼連中が叫ぶものであり、我々 良識のある(と思いたい)一般国民は「いや、日本は ソビエトじゃないんだから大丈夫だよ」という一見物わかりのよい 態度を示すことによって原発に対する責任を放棄してきた。 実際には心の中で「こわい、少なくとも自分の家の近くには建てて欲しくない」 と思いながらである。塾長は自らの嘘つきぶりを 心から恥じる。
原発の危険は、原発という施設だけにあるのではない。もちろん、 普通の施設と異なり、いったん事故が起きれば日本中に影響が 広まるというのはある。しかしそれだけではなく、それだけの潜在的危険性のある 施設を監督する組織、運営する組織がまったく機能していない ということはもっと重大 である。原発という施設と共に、それらを動かしている 人々が信用するに足らぬということなのだ。もしかしたら 原発という施設そのものは限りなく事故の確率を減らすような施設に できるかもしれない。しかし、少なくとも現状ではそれを動かす人間側 が全く信用できない。原発を推進したい人々はまずそこをしっかり認識 しなくてはならない。
原発賛成・反対はこれまでは右か左かという問題であった。 今や問題は左右の問題ではない。原発により直接的な利益を受けるか、 そうでないかの問題である。
塾長は原発を可能な限り早く廃止すべきだと考えている。 敗戦処理を力一杯やるほど人間は強くない。多少なりとも 優秀で動機があり責任感のある世代が残っているうちに 道筋をつけなくてはならない。

報道に関しては見るべきものは何もなかった。 特に、原発事故に関しては大新聞・テレビともに 大本営発表しかしなかった。問題が一番厳しい局面にあった 3月の時点においてである。
塾長がまだ新聞なるものは有益であると思い込んでいた 中学生か高校生のころ、朝日新聞は第二次世界大戦当時 の大本営発表に加担したことを自己批判する特集を 組んでいた。それなりに自浄能力があるものなのかと 思っていたが、今回のことで彼らにそんなものは かけらもないことがわかった。反省するふりだけしていたのだ。 記者を福島からすぐに撤退させておきながら、一刻を争う 時期にのんびりした記事で「ただちに・・・」などという 枝野の発言を写すだけ。反省するだけなら猿でも出来る。
雪印の製品を買わないのと同様、塾長は金輪際 全国紙は買わない。存在価値のないものに金を出すほど 塾長はお人好しではない。偉そうな雰囲気を出していない 地方紙か、ゴシップ的雰囲気を出していてある意味すがすがしい週刊誌か、 スポーツ紙しか買わない。
今回の事故の報道では、NY Times やCNNが割と 正確な記事と予測を書いていたようだ。日本国内で 過酷事故が起きた場合、これからは外国の新聞や通信社 の英語記事を複数比較することが必須になる。これはこれで 一つの収穫だったと言える。

政府の過ちは、超法規的措置をとる場面と、法を遵守する場面を 完全に取り違えたことだった。
原発事故における初動については、直ちに米国とフランスの 専門家と東電の技術者を共同作業させ、全面的な支援を仰ぐべきであった。 企業秘密云々ということについては、超法規的措置で東電から そのような権利(もしあるなら)を奪うことも必要であっただろう。 手に余ることであれば他人の手を借りる決断をしなくてはならない。 あのような状況で法律がどうなっているのかを調べているという役人様 の神経がよくわからない。緊急事態において法律などクソの役にも立たぬ。
その後少し状態が収まってきてからは、外部被曝や食品の内部被曝 について法を無視する動きが目立ってきて、いまだにそれが続いているようだ。 こちらは緊急事態が終わったら何が何でも遵守するようにすべきものであろう。 この期に及んで東電や利権のある連中の言うことを聞いて 法を守らないとは万死に値する。 政治家と閣僚は、唯一直接的に法を超えることが出来る人種である。 残念ながらそれに値する人間はその中にはいなかった。

我々は安全で平和な日本にすっかり慣れていた。 そして、それらを守るための努力を全くしていなかった。 これからはルールを作る責任、ルールを破る責任も 背負っていかなければならないと思う。
法というものは、我々個人が毎日行う一つ一つの決断の責任を 委任する相手である。あくまでも代理人であって それが主となることはあり得ない。

3/2(金)

本格的な花粉シーズンが近づいてきたので、耳鼻科に行って 薬をもらってきた。昨年は花粉の量がアホみたいに多かったようだが、 室内でもマスクをして、さらに空気清浄機を使用し、さらには 鼻の中に花粉ブロック塗り薬を使った御利益があったのか、 全然大したことなかった。今年もそれを目指して頑張ろう。

昼飯は耳鼻科の近くの東屋でとろろ蕎麦をいただいた。 12時前だったけど、偉そうなおじさん達が一杯いた。


目標が出来ると人生に張りが出てくる。 今の塾長の目標は血圧を120-80におさめることだ。 火曜日から運動を始めて、血圧と体重と運動時間を 毎日記録している。劇的な変化はないけど、少しずつ 成果が現れるのが楽しい。

イライラすると血圧は上がりやすいのだそうな。 そういえば、この一年ほどかなりイライラした状態が続いたなあと思う。 地震の後で、世の中は仕事に対して極めて不誠実 な人々がいて、そういう人々が社会を牛耳っているということに 初めて気づいた。今更そんなこと、と思われるかもしれないが、 塾長は基本的に人を疑わない、素朴な人間なのだ。 おめでたかった塾長はもうここにはいないのだ・・・ 10年ぐらい前の京大の英語の問題に「怒りは身の回りの物事に対する 危険なほどに楽観的な考え方が、実は正しくないとわかったときに 生じる」というのがあったが、全くその通りだわ。
そんなことも血圧上昇に一役買ったのかもしれないし、今年は 例年に比べてやたらと寒かったのも原因かもしれない。 今現在血圧を上げているであろう一つの原因は、 血圧計のバンドが片手でうまく巻けないことだ。 なんでオムロンみたいに有名な会社が、片手で簡単にバンドを巻けるような 仕組みを開発していないんだ、とか思いながらバンドを巻いて血圧を測ると 高めに出る。

3/1(木)

今日来た生徒さんは、寝坊のため卒業式を欠席した そうな(高校2年生)。やるね。 来年の自分の卒業式にはちゃんと出るようにしましょう。

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