10/31(土)

最近よく、ADSLを光に変えてやる、みたいなセールス電話 がかかってくる。メーワクだ。変えるなら、こちらから連絡するから、 電話してくるんじゃねえよ。

ケータイを持たない理由と精神構造が同じにみえる。 用事があるときはこっちからかけるから、 ところかまわず電話してくるんじゃねえ、みたいな感じ。


レンタルDVDの冒頭にある、スキップできない 宣伝はルール違反だと思う。こっちは、金払って 借りてるんだから、余分なCM入れるなよ。もう十分以上 なんかやってるよ。

10/30(金)

青空文庫で種田山頭火を最近読むようになった。 生臭坊主ぶりがすてきだ。日記の所々に挟まれている 俳句なんだか詩なんだかわからんものも妙にいい。
「寝るよりほかない月を見てゐる。」
「貧乏のどんぞこで百舌鳥が鳴く」
「お寺の鐘も、よう出来た稲の穂」

変なの。


幼稚園児には幼稚園児の、高校生には高校生の、 大人には大人の、老人には老人の悩みがあり、 それぞれの器の中で精一杯苦しんでいるんだと思う。

こちらから見れば小さなことでも、本人にとっては全然小さくない ことが多々ある。
教育の役割は、小さいものが小さく見えるような 視点を与える努力をすることと、小さいことをこつこつ継続する 忍耐力を身につけるお手伝いをすること。

10/29(木)

明日に予定されていた、久慈での音楽教室はインフルエンザ のため中止になった。いやあ、こういうところでもインフルエンザの 影響が出るんですな。
時間が少しできたので、授業準備をできるだけ先に進めなくては。


今日来た生徒は、乗り物酔いがひどいらしい。 飛行機とか車は当たり前で、自転車に乗ってても酔うんだと。
徹底してますな。


楽しみにしていたApple のMagic Mouse がようやく届いた。 スクロールはすばらしいのだが、カーソルの動きが遅い。 一番速く設定しても、やっぱり遅い。何とかならないかな。

ボタンが一つもない特異な形状を見て、うちの生徒が一言 「お寿司みたいですね」。言われてみればそーですね。

10/28(水)

とうとう裸ガットを手に入れた。12月の演奏会で使用する予定。 なんだか本物のスパゲティみたいだ。


天気が良かったので、城跡公園に行って紅葉の写真を撮ってきた。
こんな感じ。


10/27(火)

午前中は、気が重たい仕事を一つだけこなして、 そのまま山岸の定食屋に行った。まさに昭和。 学生時代に時々行ったぼろい食堂そのままでありました。
オムライス大盛りは、最近の塾長の胃袋には多すぎたかも。


ぶらっと外を走ってみると、盛岡市内の紅葉もいつの間にか きれいになってる。近いうちに天気のいい日を見計らって 写真を撮りに行こう。今週末は久慈で音楽教室。


MITがiTunesUにアップしている講義はすげえ本格的だ。 一般向けではなく、学部生向けのちゃんとした講義。
最近はまっているのは、一般化学(教養レベルの化学)の講義である。 若い女性教授の講義なのだが、非常に明快で目的意識がはっきりしていて、 英語も聞き取りやすい。二回目か三回目の講義では、 この女性教授は赤ん坊をだっこしながら講義をしていた。 体力あるなあ。というか、そういう環境が作られてるわけだ。
ちなみに、MITのOCW(Open Course Ware)の 担当者は、MITがこの種の無料講義ビデオを公開し始めてから、 もっとも視聴されているのが「力学」と「微分方程式」であるということに 驚いているといっていた。質の高い講義に(大袈裟に言うと) 世界中が飢えているのかもしれない。

で、こういうのを見ていると、上手なビデオ講義があるならば ライブでの授業は(少なくともマス授業は)必要ないかも、と思ったりする。 ただ、そのレベルの授業をするのは非常に難しいというのもわかる。
将来的には、基礎的な授業はビデオ(塾長自作。予備校から買うのは高すぎる し、方針や強調点が多分違うのでやりにくい。) にして、セミナーや補習を対面にするのもありかと考えている。 ただ、基礎講義の準備自体が恐ろしく手間がかかることなので、 時間的にそれができるかどうかは疑問だ。当面の目標は、英語の授業で 英文をホワイトボードにだらだら書く時間がもったいないので、できるだけ 近いうちにプロジェクターか大型モニタを導入して効率アップすること。


大阪で「笑笑」をぱくった居酒屋があって 本家が抗議しているという記事を読んだ。
思い出したのは、京都の八幡市民会館の前にあった 「すかいらーく」じゃない"すかいらーく"だ。 とても説明しにくいのだが、ぼろい喫茶店の看板が、 最近つぶれた「すかいらーく」そっくりだった。若干レタリングが 崩れていたような。
本家本元がつぶれた今、 あの”すかいらーく”はどうなったんだろう。

10/26(月)

ぽつり、ぽつりと雨が降っている。暗くて寒い。


寝違えた。首がちょっと痛い。それで何もやる気が起きない、 と言い訳をしてみる。


チェロ教室の生徒(正確に言うと保護者)から借りた本を 読んだ。一気に読んでしまった。おかげで、土曜日用の授業準備が 明日にずれ込んだ。日本語の本は、知らない漢字や単語があんまりない から精神的に楽で、おかげで最初から最後まで だだーっと読んでしまうことが多い。
今、すべきことが他にあるのに。

10/25(日)

救命病棟24時のDVDを借りてきた。ゲオだと旧作が100円なのだ。
松雪泰子ええぞお。雰囲気も顔もめっちゃ好みですがな。

悪役で押尾学が出てた。そーいえば裁判はどうなったんだ?


学生時代の友人YCから米が送られてきた。 余ってるらしい。しかも、コシヒカリですぜ。

んが

米の色が茶色い。玄米ではないか。うちには圧力釜がない。 誰か、圧力釜か精米器を恵んでください。

10/24(土)

どうやら岩手の県立高校の先生は、進路の決定権が自分たちにあると 勘違いしているフシがある。以前勤めていたクソ高校でも、 塾長が生徒からの進路相談に応じていたら後で校長(元県立高校校長) に呼び出されて 叱責されたことがある。曰く「生徒の進路は自分を含めた管理職で 決定する。余計なことを吹き込むな」
塾長は「どこそこの大学を受験しなさい」などということは絶対にいわない。 相談を受けたらアドバイスはするが、必ず「決めるのはあんたと 保護者。自分で責任を持って決断しなさい」と言うことにしている。 無責任と思われるかも知れないが、第三者は生徒の人生設計に 責任を持つことはできない。責任感を持ってアドバイスはするし、 勉強や勉強の仕方は教えるけど、それ以上のことはこちらの管轄外だと思う。 大袈裟な言い方をすると、進路の決定権を教員が握っているという状況 は生徒に対する重大な人権侵害が行われていることを意味しているのだ。

中学校の時サッカー部で一緒だったK君は、学年で一番の秀才だった。 数学は中学校の途中で高校三年生まで終わっていたし、 難関私立高校にも特待で合格した(結局は愛知でトップの県立高校に進学)。 理系科目に強い子だったが、三年生の夏に東大模試を受け、 物理で3点(60点満点)をとり、あっさりと文転。 そのまま早稲田の政治経済学部にこれまたあっさり現役で合格しましたとさ。
英数国で受験できる場合、英語は文理のレベル差はなく(場合によっては 理系の方が成績がいいことあり)、数学はもちろん理系数学でもまれた方が できる、国語は古典漢文で理系は不利、ということで、理系の人間が 文系学部を受けることにほとんど障害がない。受験という狭い枠で考えても、 文転で不利を被ることはない。

文転で機嫌を悪くする先生や、内職をいやがる先生のメンタリティーが 理解できない。

10/23(金)

中一の生徒に、英語の教科書本文音読の練習をさせようと 思い、CDを使うようにと言ったら「CDを渡されていない」 ことが発覚して唖然。で、学校の先生が使っている CDをコピーさせてもらうように伝えたら、英語の先生は 「校長先生に聞いてみます」だと。ふう。 そんなことも自分で判断できないのか。教科書本文を朗読した 音源がないと、発音もリスニングも練習ができないということを 考えたことがないのだろうか。自分が何を教えているのかわかっていない としか思えないな。

大体、ゆとり教育とやらでコミュニケーション重視の英語教育と いいながら、音源を生徒に渡さないということ自体意味不明だ。 近くにネイティヴがいて、毎日しゃべるような環境ならともかく、 そうじゃない環境にいる大多数の人間が正しい英語に触れる機会 はCDしかないだろう。と、書いてみて、よくよく考えれば ネットラジオとかでいくらでも生の英語に触れることはできるなあと 気づいた。でも、そんなことをわざわざしている中学生がいるとも 思えない。やっぱり片手落ちだ。

そもそも、外国語を学ぶ目的が、国際化社会における コミュニケーション能力の向上というのがおかしい。 周りを見回してみたまえ。日本語がしゃべれるのにコミュニケーション不全 の日本人なんていくらでもいるだろう。コミュニケーション能力のうちで、 語学力の占める割合なんて実はたかが知れているのだ。
塾長は、カナダに行っても韓国に行ってもフランスに行っても、 日本語だけで用を足すことができるご婦人を知っている。 相手に自分のことを伝えたいという意志があれば、どうにでもなるのだ。 伝える意志がそもそもないのなら、コミュニケーションなどはじめから成り立つはずが ない。

外国語を学ぶ本当の理由は、母国語の理解を深めることである。 客観的な視点から母国語を眺めることによって、 母国語だけにどっぷり浸っているときよりも、より明確に 母国語を理解できるようになる。それが結果として 論理力の強化につながり、さらには本当の意味での コミュニケーション能力につながるのだ。 日本語を十分に使えない人間が、外国語を学んだところで 時間と労力の無駄である。
それに、母国語の能力以上に外国語の能力が身につくことは (当たり前だが)絶対にあり得ない。母国語についての確固たる能力を つけてから外国語を学べば十分である。すてきな発音と、すてきな耳で 英語を駆使できたとしても、それ自身にはほとんど何の意味もない (アメリカやイギリスのガキどもは、知能が低くても英語は大体しゃべれる) ことに気づかなくてはならない。

学校で学ぶ英語が文法に偏っている(塾長はそうは思わない) のには、それなりの理由がある。国文法を学んでから英文法を学ぶと、 日本語と外国語の構造の違いを知ることができ、日本語についてより深い知識 が得られる。
それに、コミュニケーションを重視するとしても、基礎的な文法事項 をちゃんと訓練することは、学習効率という面からもはっきりとした アドバンテージがある。アメリカの子供達も、句読点の打ち方や、 文法的な注意を受けながら(文法用語は使ってないだろうが) 英語を学んでいるのだ。
ルールを知らなければ何もできないのは将棋やチェスと同じである。 ルールを知ってからが果てしない道であるところも同じである。
文部省や教育委員会の偉い先生方は、教育の見栄えを気にする前に、 てめえのやっていることの重大性に気づいてくれたまえ。

10/22(木)

うちの生徒の中には、授業前や家庭教師の前に、 いったん家や学校で一眠りしてくる子がいる。 授業中に眠くならないための対策らしい。 確かに、一眠りしたというときは集中力がある。
昨日来た生徒は、昼寝(夕寝?)をしたことが一目でわかる ぐらい、立派な寝癖をつけてきた。まさにボンバー。


蜘蛛はゴキブリの卵を食べてくれるということで、 できるだけ駆除しないことにしていた。さっき玄関の横の 蜘蛛の巣を見たら、いつの間にかすごく成長していて、 ちょっと薄気味悪かった。写真を下に貼っておく。

ちょっとでかすぎるので、断腸の思いで駆除させていただきました。

10/21(水)

こないだマウスを買ったと思ったら、昨夜、ずっと前から 「こんなんあったらええなあ」と思っていたマウスが 発売されてしまった。人生こんなもの。
早速注文しちゃったよ。


そろそろ、高校二年生の生徒には最後通告(?) をするようにしている。この段階で動き始めないと、 時間切れになる可能性がぐっと高くなる。

1. 数学と英語は二年生のうちに一通り終える。 三年生になったら、演習中心で進めながら怪しいところを補完していく。
2. 理科は夏休み前までに一通り終える。 秋以降は演習中心で進めながら怪しいところを補完していく。
3. 教科傍用問題集 (4STEPやリードαみたいなの)は一回やるだけで十分だが、チャート レベル(塾長はチャートが大嫌いなのでチャートを薦めることはない)の ものは最低2回は回しておく必要がある(簡単すぎるならその次のレベルの 参考書や問題集でもよし)。 反復練習を馬鹿にする、したくない、という生徒が ほとんどだが、一握りの秀才以外はこの作業を 省略することはできないと思って欲しい。その次の段階の問題からは、 もっと楽しみを得られることができるはず。 チャートぐらいでもたもたしていると、 卒業するまで数学や理科のおもしろさはわからずに終わってしまう。 これも、英語数学は三年生の夏まで、 理科社会は秋頃までにやっとかないとアウト。
4. 三年生の秋以降に個別試験科目で新しく学ばなくてはならないことがある 場合は時間切れ決定。
5. 苦手科目はとにかく毎日、ブランクを空けずに続けること。 こつこつ続けることがすべて。

塾長は現役受験生の時、3. の英語と数学以外すべてできなかった。 それに、数学は未習分野が秋まで残っていたので、教科傍用問題集 の次の参考書や問題集もそこは穴だらけだった。理科については 未習分野(というか、学校では教科書の最後まで進まないので 自分で勉強していたのだが、結局もう一つ理解が深まらなかった)が多すぎて、 どうにもならなかった。 これが敗因。人の振り見て我が振り直せ、と生徒達に言いたい。


昨日来た生徒から、「チームバチスタの栄光」と 漫画「蟲師」を借りた。今読んでるIrving の"Garp"を 読み終えたら読もうっと。蟲師は今読んでもいいか。

10/19(月)

今朝かかってきた電話にショックを受けて (僕自身や石原学舎についてのことではない)、 久々にブルーな一日を過ごしてしまった。 人間は無力なものです。


今週末24日の土曜日に、北松園の 「内科クリニックすずき」にて行われる院内コンサート に出演します。お暇な人は是非どうぞ。塾長は、 フルートとピアノとチェロの三重奏および、ソロ (フォーレの夢の後に)を弾きますです。

10/18(日)

先週は演奏会があってチェロ教室をお休み にしたので、この週末は久しぶりの(二週間ぶり、または三週間ぶり) チェロ教室。

うちの生徒さんは熱心な方が多く(多いというほどの生徒数ではないか)、 レッスンの間隔が空いていても、その間よく練習してくれている。 昼間にフルタイムまたはパートタイムで働いて、家事もこなして、 その他の雑用もこなして、その後で 夜11時ぐらいから練習するという姿勢には頭が下がる。 本当にチェロが好きなんだなあ。

お金をいただいてチェロを教えるようになって三年ほどになるが、 教えることによって自分の練習方法や技術的な問題を 反省するようになった。最近、教えている塾長の方にも フィードバックによる恩恵があるということを実感している。 練習曲や、バッハの難しいところを生徒に弾いてみせる ため、以前よりも自分の音や手の動きについて意識を向けるようになった からかもしれない。
ありがたいことだ。

生徒と生徒を比較するのは、教える人間としてはいかがなものかと思うのだが、 高校生諸君の勉強に対する姿勢は、アマチュアであるうちのチェロ教室 の生徒たちの真剣さの足元にも及ばない。これについては非常に強い不満を 持っている。生徒に対する不満ではなくて、塾長の人徳というか 説得力に対する不満。偉くない人間は信用されないのだ。 悶々と考えてしまうのは以下の2点。

1. チェロの生徒さん達は、チェロで生計を立てているわけでも、 これから生計を立てるつもりでもない。それに対して、 大学に行くつもりの高校生は、ある意味勉強することが将来の生活に 直結しているはずなのだ。当然、もっと真剣に自分のことを 自分で考えて自己管理をしなくてはならない。 それなのに、アマチュアであるチェロの生徒よりも、 (ある種の)プロ予備軍である高校生の方が意識が低い。 大人と子供という違いがあるにしても、残念すぎる。
2. 塾長のチェロ能力と、(勉強に関する)学習能力 及び(ちょっとした)専門知識を比べれば、 後者の方が遙かに遙かにマシである。それは、 比べることすらバカバカしいほどの差である。 だけど、チェロ教室の生徒がかなり忠実に塾長の言うことを 聞いてくれるのに対して、高校生諸君は 塾長の要求することの3割もやってくれない。うちは基本的に 多くの課題は出さない。自分で勉強する時間を奪いたくないから。 その、自分で勉強するときに「どこを外さずに勉強するのか」 「どの程度掘り下げるのか」「何を(参考書や問題集を個別に 指示することはない)やらねばならないのか」ということについての 塾長のアドバイスは全く聞いてもらえていないようである。

クソ高校で働いていたときに、難関大学(これが何のことか未だにわからん) 向けのクラスの先生方に塾長のスタンダード (というか学習姿勢)について語ったところ「それはね、石原さんだから できることであってね・・・」と言われたことが何回かあった。
塾長のやり方は基本的に愚者のための方法である。 特にスマートでもセンスがいいわけでもない生徒が 「凡才に残された最後の希望」である努力をするときに、 どの程度のことをすべきか、どこを目指すべきか、ということを話しただけである。 あの程度のことを何か特別なものと思われるのでは 「難関大学」なんて夢物語ぢゃん、といたく幻滅したのだった。
塾長のスタンダードが高すぎると 思っていた生徒もいたようで、あるとき保護者の方から 「石原先生のスタンダードは高すぎる、そこまでしなくても 大学には入れる、とうちの子が言うんです」と言われた。 残念、塾長のスタンダードは全然高くない。確かに、クソ高校や 一高のスタンダードからすると相対的には高いかも知れないが、 塾長のスタンダードはよその地域の意識の高い生徒達と比べれば 全然高くない。それでも、ちゃんとやれば、大学入試ぐらいなら どうにでもなる。塾長の示すスタンダードが厳しいと 思うなら、大学に行くのはやめた方がいい。

生徒に思いを十分に伝えられないのは塾長の力不足。 どうやったら人徳者になれるんじゃろ。

10/17(土)

業務スーパーの横の怪しげな店が、今日通りかかったら すっかりなくなっていた。一瞬で空店舗。一ヶ月半ほどで すぐ消えるところが賢い。怪しまれる前にドロン、みたいな感じか。 最初から最後まで怪しかったけどね。


チェロ教室の生徒さんに手伝ってもらって、 近くのガソリンスタンドで灯油を5缶買ってきた。 2缶ぐらいなら手で運ぶこともできるのだが、5缶だと三往復することになる のでちょっと無理。おかげさまで教室に暖房が。
「灯油運ぼうか?」と聞いてくれたのは、自分が寒かったからかも しれないな。いや、申し訳ないっす。

10/16(金)

うちの甥っ子が通う中学校の教務主任が、 駅で女子高生のケツを触って逮捕されたんだと。
妹曰く「いけすかねえ奴だったけど、本物のゴミ野郎 だったんだな。きもーい。」


今月末の音楽教室に向けて練習。 二時間ぶっ通しで休憩なしはきつい。 クエン酸を飲んでも、疲れるです。

10/15(木)

午前のうちに明日の準備を済ませてしまい、 午後は八幡平に紅葉を見に行ってきた。 皆様方が労働なさっている時間に ぶらっと外へ出ることができるのが自営業の特権である。

頂上まで行く時間はなかったので (石原学舎は五時開場)、途中まで。 下の方はまだ緑が多くて、上の方は 葉っぱが少なくなってた。
写真をいくつか貼っておくよん。どうもうまく写真が撮れない。



10/14(水)

今朝は八時前からカルテットの練習。 九時半からレッスンがあったので、とりあえず 付け焼き刃でもいいから練習をしておこうということに なったのである。

七月の、寺神戸さんの公開レッスンで弾いた曲目なので 割と何とかなったなあと思ってレッスンに臨んだのだが、 何もかもが中途半端だったようで、かなり細かい指摘 を受けてしまった。
やっぱわしらは目指すとこが低すぎるんだな。


中学生の生徒が一人、新型にやられて今週は来ないことになった。 これまで大丈夫だったのが不思議といえば不思議なんだな。
今日は、サッカーの試合を見に行って来られない生徒もいるので、 夜はちょっと暇だ。この時間を利用して、もう少し先の授業準備も しなくちゃだ。

10/12(月)

ヤマダ電機にマウスを買いに行ってきた (買わなかったけど)。 ヤマダ電機の便所はすばらしい。シャワートイレ で、掃除も行き届いている。

一つだけ疑問なのは、シャワートイレのコントローラ の上の張り紙だ。「シャワーの水温は、適温に設定してあります」 適温てのは人それぞれなんじゃねえのか。

10/11(日)

この一週間ずっと緊張し続けた原因の演奏会が ようやく終わった。終わってしまえば、演奏のミスも (正確に言うとチェロはミスでないところを探す方が難しい) なにもかもすべて笑い話になる。
せっかく残りの三人が弾けてるのに、という思いはあるが、 とりあえず譜読みという点からいうと、今回の曲が 塾長には限界であることがわかったので、 それがわかっただけよしとしよう。

不安だらけの演奏だったため舞台上でものすごく緊張するかと思ったら、 意外にそうでもなく、あんなぼろぼろのチェロで皆様には申し訳ないのだが、 思った以上に楽しめてしまった。
6楽章は今の技術ではあれが限度で、7楽章はもう少し 工夫して練習すればもちっと何とかなったかも知れない。

演奏が終わって「いやあ、肩の荷が下りた」と言ったら、 片桐に「そういうのはちゃんと弾いてから言え」と返された。 いや全くその通り。

ここんとこ、お話があればすべて(本業に差し障りのない範囲で) 演奏依頼を受けてきたのだが、どうも今のペースだと結構きつい というのがわかってきたので、これからは人前で弾く回数をセーブ することにした。色々やってきて本当に興味があるのは、 今やらなければメンバー的に これからできないかも知れない or やりたくて仕方がない 室内楽とソロだけだってのがわかってきたんだよね。
もしかしたら今後はせっかくお誘いいただいても お断りすることがあるかも知れませんが、 塾長はあくまでアマチュア奏者でありますので、 そこら辺酌んでいただいて大目に見てもらえるとありがたいです。


打ち上げでとある先生から「石原さん、以前にご一緒したとき はすごく話しにくい方でしたけど、今回一緒にやってみて 随分丸くおなりになりましたね」と指摘された。

大学を卒業する頃、塾長より4年ぐらい上の上級生から 「おまえ、いつの間にか丸くなったなあ。一回生の時は えらくとんがってたけどなあ」と言われた。 だから、自分では大学院入学以降はずっと丸くなった つもりでいた。でも、世間的にはそれでも丸くなかった みたいだ。

多分、高校時代の塾長はすごく扱いにくい生徒だったんだろうな。 温かく見守ってくれていた先生方や、(数少ない)友人 には感謝しなくてはなるまい。

10/10(土)

一日遅れで台風一過の青空が。


今週の英語総合問題は、小説を出題した。 案の定、できは悪かった。
論説文と違って、状況を想像する力が必要で 小説を読み慣れていない生徒には酷だったかも知れない。 塾長も現役の受験生の時、小説が出題されて しまって手も足も出なかった。その反省から、 浪人時には「テス」やら「月と六ペンス」やら「老人と海」 やらを読んだのだが、同時に読み進めていた「第三の波」 に比べると格段に読みにくかったことを思い出す。
形容詞や副詞をたくさん知らなかったこと、 受験参考書に載っているような文法規則が 必ずしも当てはまらないような表現が いくつもあった(言語学を学ぶような人が 使う文法書には何でも書いてあったんだろう)こと、 美文調の文章(日本語であっても)に対する理解力が 欠けていたことが小説を読解しにくかった理由なんだろう。

小説については効率的な対策がわからない。入学試験における 出題の割合も小さい。 ただ、小説を読めるようになると、間違いなく英語が楽しくなるし、 (ある程度論理がわかる人なら)論説文を読むのがとても楽になるはずだ。 そもそも、小説を読むのに「効率的」という言葉を使うこと自体 間違ってるわな。


明日は演奏会。この一週間、メシアン三昧だったが、 どうも間に合わなかったっぽい。見通しが甘すぎた。 他の三人が弾けてるからよかったものの・・・いやはや

10/9(金)

今日、虹を見た。雲から下りてた。


昼過ぎに、エアロバイクをこいでいたらskypeで 天馬に呼び出された。昨日熱が出たので、今日は幼稚園 小学校をお休みして うちの実家に遊びに来ていたらしい。
幼稚園小学校をお休みして、おじいちゃんおばあちゃんのうちに来るという 感覚がよくわからない。風邪引いてるんじゃねえのか?


昨日、今シーズン初めてストーブを焚いたのに続き、 今日からヒートテックを着用し始めた。ほんと、寒いよ。 股引なんてじじばばくさいと思われるかも知れないが、 北国には必要なものだ。これだけで随分違うものだ。


業務スーパーの横にあるうさんくさい店には、今日も じいちゃんばあちゃんがたむろする。健康系の店らしい。

「遠赤外線健康装置」って、それは要するにこたつ、もしくは電気毛布 のことだろう。店舗内で毛布にくるまってごろ寝しているじじいがいる。


最近、挽き割り納豆にはまってる。業務スーパーのやつは ぱさぱさで全然ダメなんだが、生協のやつは粘りと香りが強くていい。

そういえば学生時代の友人こーの(茨城原産)は「挽き割り納豆は許せない。邪道だ」 というようなことを言っておったなあ。

10/8(木)

台風が来ている。すげえ風が強くて家が揺れてる。 こわい。冗談じゃなく、こわい。
一高も台風のため午前中で授業が終わり、夕方から来る予定の生徒が 昼過ぎに来た。勉強熱心なのは結構なんだけど、 この嵐の中どうやって家に帰るつもりなんだ?

男子便所が雨漏りしてると判明。


いつの間にかコーポ栄が売り物件に!


韓国と共通の教科書を作るって、アホか・・・ 教科書問題は歴史認識とは全く関係がなく、 あちらさんのプロパガンダに過ぎないというのに。

そもそも教育というものは、自国の子供達を健全に成長させ、 あわよくば国益を、というもののはず。外国と共通のもの を使ってしまったら意味がない。他国と差をつけなくてはいかんのだから。

人類皆兄弟のようなことをしたいなら、韓国や中国なんて ちっぽけなこと言わずに、国連検定教科書みたいなのを作ればいい。
そうしたら欧米に偏った教科書ができて、結局は 偏りのない教科書なんて作るのは不可能 だということが(というか、面白くも何ともないと) わかるだけだと思うな。

頼むから、教育なんぞに興味のない人は、教育について発言しないで欲しい。 権力も行使しないで欲しい。


名古屋の実家は、お昼ぐらいにすでに台風一過の青空が見えていた んだそうな。
気のせいかも知れないが、盛岡に来てから台風一過の青空というのを 経験したことがないような気がする。台風がほとんど来ないのと、 来てもぼんやりと広がった雨雲の中を通過するだけなのでコントラスト がつきにくいのと両方なのかなあと、素人ながら考えてみたりした。

10/7(水)

クエン酸がダイエットにいいという情報を仕入れたので、 アマゾンで1kg1500円ぐらいのものを買った。
という話を生徒にしたら「試合の時はいつも スポーツドリンクにクエン酸を混ぜてる」 と教えられた。そーか。別にそんな特別なものじゃなかったのね。 教養が足らなくてすみません。

10/6(火)

今日来た生徒二人になぜか同じ質問をされた。 「先生何歳ですか」
別に隠すようなことじゃないんだけど、改めて尋ねられると 答えたくなくなるあまのじゃくな塾長であった。


こないだテレビ電話で名古屋の実家と話したとき、 複数の人間から「太った」と言われた。 九月から自転車こぎをしたり、食事を変えたりして ダイエットを始めていたのだが、これを機に本格的に体を動かす ことにした。

といっても、エアロバイクなんだけどね。生徒にその話をしたら 「エネルギー使って前に進まないのは、無駄」 というような指摘をされた。まあ、そう言わないで。

10/5(月)

昨日のカルテットの練習時、メンバーから Google map でうちの住所を検索すると「石原学舎」 が出てくるといわれた。
調べてみたら本当に小さい字で石原学舎と書いてある! 誰か親切な人が書き込んでくれたんだなあ。ありがとう。

向かいにある、外壁の破れたアパート「コーポ栄」 の名前も書いてあったよ。基準がよくわからん。

10/3(土)

名古屋の実家に妹の家族が来ていて、 skype で話をした。天馬は相変わらず ろくでなしで、画面の中の塾長に向かって 「おまえなんか来るんじゃねえ!」 と毒づきやがった。
呼び出したのは君たちのほうじゃないですか・・・


一高の生徒の話を聞いていたら、 先生の中には「大学への数学やZ会をやるやつはすべる!」 とはっきり言う人もいるらしい。 この発言は非常に不正確なので、先の発言の前提条件を いくつか書いておく。

1. 大学への数学をやってすべる、というのは、この雑誌で数学にはまってしまい、 他の科目を全然やらなくなってしまう人のことを言っていると考えなくてはならない。 上手に使えば、能力のある生徒にとってはすごく役に立つし、楽しい雑誌である。
2. Z会を受講していても、答案を作らなければ何にもならない。 しっかり復習をして、別解を作ったり一般化を考えたりしなければ フル活用しているとは言えない。

大学への数学にしても、Z会にしても、地方の高校生にしてみたら 手加減のない課題にぶつかる、いい機会だと思う。 学校で与えられている課題は、間違いなく、はっきりと、 分量が多すぎるのにもかかわらず、(手加減されすぎていて)質がもう一つである。 数学は数研出版のものばかり使っているし、 英語は・・・だし。そもそも、生徒に参考書の選択権を 与えたくないと考えている先生がいること自体、意味不明である。 前に勤めていた高校でもそう思ったのだが、教科書や参考書の 選定には何か不透明なものがあるような気がしてならない。

実は、一高のやり方は中央高校のそれと全く同じである。 というか、私立高校の方が真似をした(教員がほとんど公立高校OB) という方が正確だ。だから、私立も公立もダメなんですな。 箱庭的世界の中で、なんぼおままごとしても広い世界に出て行くには 不足です。

大学への数学やZ会をいやがる先生は、おそらく 自力で大学への数学やZ会の問題を解くことができない人です。

10/2(金)

紫波町の小学校で音楽教室があり、塾長も 楽隊の一人として出場してきた。 めちゃくちゃ広い敷地に、木材と近代的な材料を使った きれいで広い校舎が建っていた。生徒数は百人そこそこ で、先生達の問いかけに対してもものすごく素直な 反応が返ってくる。目の輝きが都会の子供 達とは全然違う。今時こんな素朴な小学生が いるもんなんだなあ。
楽器体験コーナーという、楽器を弾かせてあげるという 企画もあったのだが、みんな弾きたくて弾きたくて仕方がない ようで、どの楽器の周りにもガキどもが群がっていた。

のびのびとした環境は小学校で終わりで、中学校や高校は ぎすぎすした雰囲気になってしまう。あのままの人数と環境で 上に上がっていけるなら、もっとよい教育ができるだろうに。
地方の教員採用試験はどこも倍率が高いようだが、 塾長の感覚では教員の人数は全然足りていない。 こういうところで経費削減を考える人々は、 今日の晩飯何食べようか、てことしか考えてないんだろね。

Copyright(C) 石原学舎