9/30(水)

生徒の顔の真ん中にクエスチョンマークがあると、 ちょっと不安になる。「申し訳ありません。もう少し 丁寧に説明します」みたいな感じ。

最近、パソコンを実家に送ったので、テレビ電話で パソコンの使い方を毎日のように教えている。 相手が親だと、「?」という反応に対して 「何でこんなこともわからんのだ」と思ってしまう。 教える側の甘えだな。いかん、いかん。


岩手県の公立高校入試過去問を買ってきた。 受験生もいるし、下調べをしようかと。
ぱらぱら読んでみて唖然。こりゃだめだ。簡単すぎる。 数学の最初にある計算問題なんて、こないだ小学6年生に やらせた問題の方が50倍ぐらい難しいぞ。

塾長が中学生だった頃からそうなのだが、 公立高校の問題は簡単すぎて、いわゆる「進学校」 に進学する生徒が母集団だと全く差がつかない。 合格者平均が90点を超えるテストなんて、学力を測る のにも役立たないし、選抜にも役立たない。
試験が役立たずなので内申書なる意味不明なものが 重要な役割を担うようになる。中学生は 内申書に何を書かれるかわからないので、妙に従順になり、 先生方は生徒の管理が楽になる。高校生になってもお互いそのメンタリティーは 変わらない。 先生も生徒も楽をするから(支配と服従という関係は きわめて居心地がいいものなのだ)、 いつまでたっても全体のレベルは上がらない。 こうやって、地方公立校のレベルはどんどん下がってゆく。

こういうシナリオを教育委員会の偉い先生方はわかっておるんだろうか。 ま、大きな組織はトップがダメじゃダメってことだ。

9/29(火)

公約やマニフェストに縛られずに現実路線を、という 論説を時々見かけるが、それは違うと思う。 公約に縛られないなら、そもそも何をやってもいいことになってしまい、 選挙をする意味がなくなってしまう。

現実味のない公約を掲げた民主党を結果として担いでしまった我々は、 公約に縛られて現実味のないことをやろうとする民主党の責任を負わねばならない。


岩大の門の外には、たばこを吸ってる学生がたむろしている。 大学敷地内は禁煙ということになっているから。
どこかのクソ高校でも、敷地内で禁煙ということになり、 たばこを吸う教職員は近くのコインランドリーまで行って すぱすぱしていた。

岩手や青森までゴミを捨てに来る、 関東の連中みたいな発想だな。
グローバルだとか何とか言いながら、 わしら人間というものは自分の周り半径2,3メートルのことにしか 興味ないんですわ。


コレステロールが気になるのでエコナを使っている。 どうやら発がん性物質が含まれているらしいことをニュースで知った。
よかれと思ってしたことが裏目に出る。人生そんなもの。

9/28(月)

小学6年生のテスト。気合いを入れて問題を作ったせいか、 難しくなりすぎてしまった。というわけで、生徒としては 非常に不本意な得点になったようで、僕が再試験をしようかと 言う前から「今度の金曜日に再テストをさせてください。 こんな点数で申し訳ありません」と志願してきた。

今回はこちらのレベル設定がまずかった (計算問題の一部は高校入試レベル。 満点を避けたかったのじゃ)ので、 むしろこちらが謝らなくては ならんのだ。でも、あんなガッツを見せられると、 再テストで手加減ができんです。悩ましい。


実家のパソコンの環境が徐々に整いつつある。 skypeでテレビ電話をしながら、環境設定の仕方やら、使い方を 教えているのだが、いかんせん画面越しだと日本語がうまく伝わらない。 パソコンてのは、体で覚えるものなんだというのを実感する。 別に塾長がパソコンをよく知っているというわけでもないんだけど。

9/27(日)

今日夕方来た生徒は、来る途中の車で 乗り物酔いしてしまっていた。これは初めてのパターンだ。 最初の一時間ぐらいは 頭がぐるぐる回っていたらしい(その割には 集中力があり、いつもの1.5倍ぐらい練習問題を 解いてくれた)。ぶっ倒れないか心配したぞ。
健康第一。無理せずしっかり勉強しましょう。


ゲオにDVDを借りにいったら、クソ高校の HJ先生に会った。随分白髪が増えておられた。
ワシもか。


新装開店した(いつの話だ?)松園の生協に行った。 レジのおかーさんがべっぴんで元気がよくてよかった。


公務員試験の生徒は、今日が岩手県警の 試験本番。とりあえず無事に全力を出し切れたと いうメールが来たのでよしとしよう。

生徒が卒業すると、ほっとするのとちょっとさみしいのと 両方だ。

9/26(土)

昼過ぎにちょっと時間ができたので、カブでぶらついてきた。 そしたら、県営球場そばの交差点でバイクの師匠であるI本 さんの大型バイクに出会った。 ぼろぼろのカブとは違って、ぴかぴかだったぞ。

750ccか1000ccかわからんが、静かで速いバイク だったなあ。


明後日は小学6年生の英語と数学の試験。 問題を作らねば。小学6年生と言っても、 中学校の範囲に入っているので、まあ、定期テスト (プラスα)の予行演習みたいなもんだと思ってもらえれば。 昨日がテスト前最後の授業だったのだが、 正負の数については、今の段階では十分な計算技術 が身についている。苦手だった引き算も普通にできるし、 ちょっとほっとしている。次からは文字の計算や 方程式をやることになる。こちらは、四月と五月に すでにやっているので、割とスムーズに進むと踏んでいる。

9/25(金)

こないだの日曜日にうちの生徒が宮城県警の採用試験 を受験してきた。どうやら、先週やった問題が 出たらしい。それも一言一句違わず。うちとしては 結構なことだと思うのだが、いくらなんでも全く同じ問題 というのはまずいんではないか。少なくとも数字を変えるとか、 ちょっとぐらい工夫してくれよ。
まあ、試験問題を外注するっていう発想自体 塾長には意味不明なんだが。 てめえのところの採用試験の問題をてめえで作れねえ 連中が、どうやってまともな採用をすることができるというのだろう。

大学入試においても、少なからぬ私大 (と一部の旧国公立大)で問題を予備校に外注したり、 よその大学に外注したりしている。 これもある意味問題外だな。 うちの生徒にはそういう、体力と能力のない大学に入ってほしくない。


昨日の授業中、生徒(中2女子)のくしゃみが止まらなくなった。 以前に比べると掃除はしているのだが、まだ認識が甘いようだ。

9/24(木)

うちのお向かいにある「コーポ栄」がすごいことになっている。 外壁がちょっとはがれているなあと思ったのが、二、三ヶ月前。 こないだゴミ捨てに行くときふとみたら、 幅3メートル、高さ3メートルぐらいがはがれていて、 内側にある木材がむき出しになっていた。住んでいる人は いないみたいだけど、いくらなんでもひどいなあ。

9/22(火)

メシアンの初合わせ。塾長が7月末にバイクで転倒したため、 いつまでたっても練習が始まらなかったのだ。
個人練習をしていても、何がなにやらわからんところが 何カ所かあり「こりゃ、曲目変更も視野に入れないとなあ」 と思っていたら、案外止まらずに弾けてしまってびっくりした。
ピアノとクラリネットの方が上手だったので(最初からわかってたけどね) 、それに乗っかってしまって、あるところは隠れて、 という感じ。曲目変更をする必要がなくなってしまった今、 そろそろエンジン全開で練習しないと、 こりゃ本気で(塾長だけ)間に合わんぞ。

9/21(月)

オイル交換をした。チェーンもみてもらった。 今年の夏は、怪我をしていたことや夏期講習その他で 昼間に時間が空くことがあまりなくてバイクに 乗る時間が昨年までに比べると随分少なくなった。
来週からはちょっと時間ができるので、またバイクでぶらぶらするぞ。


来月の演奏会がとても不安だ。 全然弾けてない。というか、数えられない。 数えられるようになるのかもわからない。 どうしよう。

9/20(日)

去年のコンクールで優勝したヴァイオリンの瀧村さんという 方のリサイタルに行ってきた。 ついでに、プレコンサートとしてヴィヴァルディの 四季を、塾長含む岩手メンバーで伴奏させてもらった。
リハーサルから聞かせてもらったが、いやー、音程のきれいなこと。 やっぱ、よく訓練されていますわ。あれだけ音程がそろうと、 重音にヴィブラートをかけても純正に聞こえる。

リサイタル自身は後半だけ聴いた。天気がよかったのでユニクロとしまむら を覗いたり、散歩をしたりしていた。
ノンクトンクは人をたくさん入れすぎることがあって、あんまり いい印象を持っていなかったのだが、今日は客も少なく (ちょっとあれは少なすぎた)割といい感じだった。 リハーサル終了後に少し会場でチェロを弾いたら、よく響いて すごく気持ちよかった。無伴奏はああいう堅い床と壁のある場所で、 お客なしで弾くのが楽しい。

演奏会終了後は駅前のぴょんぴょん舎で打ち上げ。 演奏者二人は八時半頃の新幹線で東京に帰り、 あとは岩手組と企画立案の佐伯さんという方が残って 延々と食べ続け飲み続けた。満腹どす。


今日も名古屋の母上とその友人きまちゃん を相手に、skype を使ってパソコン講習。 母上もきまちゃんもノートパソコンのタッチパッドがうまく使えないようだ。 マウスを買ってもらうしかなさそうだ。

s

9/19(土)

今日はよく働いた。心地よい疲労感を持って布団に入れそうだ。


実家にも比較的新しい中古パソコンが導入された。 これまでは10年ぐらい前のパソコンがもそっと置いてあっただけなのだ。
昨日、skype で名古屋の実家とビデオチャットをして、 名古屋にもITが導入されたんだなあとしみじみ思ったのであった。

9/18(金)

盛岡の高校に勤めるようになってしばらく 「全国レベル(の受験指導という意味だと思われる)」という言葉をよく聞いた。
なんか、全国レベルという特殊なものがあって、 特殊なことをやらないとそこに到達できないというような イメージを持ってしまうのだが、この言葉は非常に誤解 を招きやすいものなので、教育関係者は使うべきでないと思う。
そもそも、ジュンク堂に行けば赤本はほぼすべてそろっているし、 必要な参考書や問題集もすべてそろっているし (不必要な本もたくさんあるし)、 ネットがつながる環境なら大手予備校が主要大学の入試問題と 模範解答を無料で配布している。 それに、過去問と合格最低点のデータがあれば、 進路指導に困ることもない。ボーダーライン上の生徒が 受かるかどうかなんて、「全国模試」 を受けたところでよくわからんものだ。このような環境で、 地方が都市部に比べていかなる意味で不利であると言えるのか。

実は全国レベルというものは存在しない。存在するのは おのおのの都道府県独自の「地域レベル」である。 学校の教材を使っていれば大丈夫、と言って、 ほかの参考書や問題集に目を向けさせない、 もっと広い世界があることに目を向けさせない、 そうすることによって、世にも不思議で自己完結した「岩手の教育」 なるものが生まれる。

残念なことに、「受験テクニック」なるものが必要だと 高校の先生は認めているのに、センター試験で必要な (必要悪の)テクニックは教えていない。これでは 「学校の勉強で大丈夫」の根拠がさっぱりわからない。 「全国レベル」をうるさくいう先生方は、本当に 自分の足で外をうろついたことがあるんだろうか。


小学六年生は正負の数の最後の部分。 累乗とか通分が必要な分数の足し算引き算がごちゃごちゃ入っている 問題だと計算間違いをすることがある。 パターンがだいたい決まっていて、問題を写し間違えるか、 途中でマイナスの符号と等号がごっちゃになるか (等号とマイナス符号と分数の棒は離して書くようにと言ってるのに)、 マイナス符号をどこかに忘れてきてしまうか、のどれかにはまっている。

本人的にはかなり悔しいらしく、今日最後にやらせた複雑な計算は 間違えずにやってくれた。計算問題は一カ所間違えると アウトだから、気を遣わなくちゃいかんのだよな。

再来週の月曜日に英語と数学のテストをする予定。 彼を教えていて、中高一貫で英語と数学を教えると大変見通しがよい というのがわかってきた。新年度は中高一貫コースを作って、 募集をかけてみよう。

9/17(木)

石原チェロ教室のホームページを見つけたのか、 宮本えみりというヴァイオリン弾きのチラシが 50枚ぐらい送られてきた。オーボエの宮本文昭 氏の娘さんなんだってさ。本人はともかく、事務所は 七光りを利用するつもりみたい。

プログラムはチラシには抜粋しか書いてなくて、 ポップスとタイスの瞑想曲と・・・みたいな感じ。
盛岡のような地方都市で、ヴァイオリンのリサイタルを わざわざ聴きに行くのはそれなりにクラシックが好きな 人たちだけだ。だから、見知らぬ若いお姉さん の演奏会に子供だましのプログラムを組むのはきわめて ばかげたことだと思う。たしかに、メシアンなんかを 入れるのも無謀だが。
たとえ本人がオイストラフレベルだったとしても、 あのチラシでは塾長は見に行く気にならん。 プロモーションは大事なのだ。特に最初の頃は。

ところで、今年またアリスなんとかオットとかいうピアノ弾きと 小山みちえさんが来るらしい。ただでさえ演奏会自体が少ないのに、 毎年同じ人を呼ぶってのはどうなのよ。 どうせクビになることはないんだから、もっと担当者の人々は リスクを冒してすごい人を発掘してほしいね。

9/16(水)

ネットで新聞を見ていたら「麻生内閣が終えん」 という文章を見つけた。これだと「おえん」 に見えてしまう。
常用漢字にはないのかも知れんが、そもそも 常用漢字を表記の基準にするということ自体、 物書きとして怠惰というか、低レベルだと 思う。 「新聞を教育に」などというスローガンを掲げるなら、 それなりのスタンダードとプライドを持って仕事をしてもらわないと。
生徒には「新聞や本を読んで背景知識を蓄えるように」 と言いたいのだが「でも、文章の技術も掘り下げも甘い、 くだらない記事だらけなんだよな」と思うと積極的に 生徒に新聞や雑誌を薦めることができないのだ。 頼むからもうちょっとちゃんとした仕事をしてほしい。 TIMEとかEconomist には割と質の高い記事があるんだが (もちろん、英文が上手なのかどうかは塾長には判断できない)、 さすがに高校生や中学生にそのレベルの英文を読めというのは無理がある。


昨日の夜、雨の中バイクで出かけたら、 カッパを着ていたにもかかわらず濡れ鼠になってしまった。
お邪魔したお宅の方に「防水は一年か二年で ダメになる」と教えられてよーく考えてみると、 そういえばこのカッパを買ったのは三年以上前だったなあと。 gore tex のカッパで結構高価だった記憶があるので、 繊維そのものが特殊かつ縫製も特殊かつ破れなければ永続的に 防水だと思い込んでいた。

近いうちにカッパを買いに行かなければ。


昼飯にはそばをいただくことにしている。 そば湯が体にいいということをどこかで聞いたので、 毎回飲むようにしていた。しかし妙に塩辛いので、 今日からはゆで湯の量を倍ぐらいにしてそばをゆでたら、 そば湯の味が店で飲むような味になった。
どうやら湯の量をけちけちしすぎていたようだ。


とある生徒(高二女子)から「しずると劇団ジョセフソン(?)と 硬式野球部のホームページ(特にコーチ)を調べておくように」 という宿題を出された。
確かに、中高生が興味を持っている芸能人やら物事やらに ついて、ある程度の知識があった方がいいとは思うんだが、 あまりにも塾長的には範囲外というか、どーでもいいというか。 だいたい、調べておくようにと言われた人々はみんな男ではないか。 ふむ。

9/15(火)

ジュンク堂にいつの間にか洋書コーナーが復活していた。 大型書店はこうでなくてはいかん。
一通り棚を眺めていたら、なぜか「20世紀少年」の 英語版がおいてあったので思わず全部買ってしまった。 (といっても4冊ね。続刊は翻訳中みたい) 日本語版はずいぶん昔にスピリッツで連載されてるのをコンビニで 部分的に読んだだけなので、ちゃんと話がつながっているのが楽しい。 本格的な洋書を読んでくれる生徒はいないかも知れんが、 漫画なら読んでくれるかも。口語と俗語だらけで余計に読みにくい か。

うちに帰ってアマゾンで調べたら、アマゾンの方が安いじゃん。 まあ、洋書コーナーがつぶれないように投資をしたと思って 我慢しよう。

9/14(月)

新しいOSに変えたので土曜日からずっとパソコンの設定をやりなおしていた。 毎回この作業をやるたびに思うのだが、パソコンについての知識が ないといろいろと不便だ。 ワイヤレスネットワークを作るのに、あちこちのホームページを調べて やっとのことでつながった思ったら、今度は 無線でつながっていたはずのプリンタが認識されず、ネットワークパスワード も(正しいはずなのに)はじかれてしまった。 何度か設定をやり直して、プリンタは認識されたのだが、 結局何がまずかったのかよくわからない。TeXも、pdfを見るための ソフトがいまいちらしく、ちゃんと表示されない。 対処法の乗っているページを見ても、何のことを書いているのか さっぱりわからん。ターミナルをいじってなんとかするだけの 知識も技術もございませんから。結局、デュアルブートしている Windows にTeXを使えるソフトを入れてみたりしたあげく、 Mac本体でも動くようになった。

何年かに一度しかやらない作業のため、以前何をやったのか全く覚えていない のがまずい。出来の悪い学生と同じで、いったん学んだことを 復習しないといつまでたっても知識も技術も身に付きませんよと。


レジ袋削減、とかいいながら、豆腐や肉にはいらんビニル袋を かけるスーパーの人々。レジ袋は削減しなくちゃならなくて、 他の包装は削減しなくてもいい、という感覚が理解できない。 とりあえずポーズだけはしておくという姿勢が日本をだめにしている ということを、みんなわかってるんだろうか。

9/12(土)

元同僚のSSK先生が、かまを掘られてしまったらしい。 前に車が止まっているのに突っ込んでくるというのは 塾長的には理解不能なことなのだが、そういうことが あまり珍しくないということは日々報道される事故のニュース からもうかがえる。
左右の確認ができないなら、せめて前ぐらいは見て運転してもらいたい ものだ。


今日は12月の演奏会に向けてのレッスン。先月のレッスンは 怪我をして出席できなかったので、ずいぶん久しぶりだなあという感じ。 にもかかわらず、晩飯を食うタイミングを逃してしまって極度の 空腹状態にあった塾長は集中力なし。なんというか、 大人としてはあり得ない自己管理能力の欠如であった。

9/10(木)

明日、花巻と盛岡で中学生相手の演奏会 に出演する。今日は、昼過ぎから岩大オケに混じってその演奏会の練習に参加 してきた。

一応「学生を指導する」という名目で参加しているのではあるが、 特に何のコメントもせずに練習場をあとにした塾長。
お金をいただいている立場で何もしないのは心苦しい。 ただ、ボウイングをどうするか、とかここをどう弾くか、 というようなアドバイスをして何とかなるレベルの学生さんは チェロにはおらず、これからどういう個人練習をすべきか、 何に気をつけて練習をするか、ということしか 言えそうになく、迷ったあげく何も言わなかったと。一回しか顔を合わせない子に そんな話をしても仕方がない。あとでフォローが できるわけでもないし。
というわけで「手の動きが変ですな」とか「そんなに頑張らなくても」 とか「もっと頑張れよ」と思いながら悶々と弾いていたのでありました。

明日は早起きだ。

9/9(水)

今日、一瞬ではあるが石原学舍に同時に四人の生徒が存在した。 結構スペースのある教室と自習室だと思っていたが、 四人同時にいると若干手狭に思える。
もちっと広いところの方がいいのかなあ。


他に方法がないんだろうということは推測できるんだが、 名誉毀損で訴えることは、名誉という言葉の言葉通りの意味からは 一番遠いことのように思える。
毀損されるような名誉は持っていない塾長でありますが。

9/8(火)

消費者庁なるものが出来たそうだが、ちゃんと仕事してくれる とええなあと思う。
塾長が毎日のように利用している業務スーパーの敷地に 怪しげな店ができて、じいちゃんばあちゃんを集めて 健康食品やら何やらを売りさばいている。やたらとでかくて 景気のよい声が扉を開け放した外まで響き渡っている。 去年はもっと路地の奥にあるテナントを借りて商売をしていたようなのだが、 今年は天下一品の横という、一等地(?)を借りている。

こういう、判断力の鈍い人々を相手にするような商売に対しては、 消費生活センターや、消費者庁や、公安がきちんと目を光らせていなくては ならない。じいちゃんばあちゃんの被害も問題だが、 ああいうところで集めた金がいかがわしい宗教団体や反社会的団体 に流れる方がもっとおそろしい。あのような店を見ると どうしてもオウムのことを思い出して しまう。当時、パソコンのパーツの店や、ヨガ道場が オウムの資金源になっていたようだ。
消費者を守る、ということは同時に反社会的団体から社会を守る ことにも直結している。あそこで商売をしている連中 のバックにどういう団体がいるのか、ちゃんとチェックしといてほしいものだ。 それができないなら消費生活センターも消費者庁も存在意義なし。


こないだ、姉妹でうちに通っている生徒さんが二人揃って 教室の机に並んだ。
すると予想通り、五分もしないうちに小競り合いが始まった。 兄弟姉妹というのは基本的に仲が悪いもので、 石原家も例に漏れずしょっちゅう小競り合いがあった。 小突き合っている二人を見ながら、塾長は遠い日の石原家に 思いを馳せていた。

というような話を今日、たまたま誕生日だった 妹にメールで送ったら「えー、あたしらそんなに仲悪かったかしらん?」 というぼんやりした返事が返ってきた。
そんなに仲悪かったです。最後の一切れの肉をどちらが食べるか、 カレー鍋に残っている最後の一皿分をどちらが食べるか、 一切れだけ余ったケーキをどちらが食べるか、石原家では 毎日のように食べ物を巡る戦いが続いておったのだ。 憎しみ(というほど大げさなものでもないが)九割、愛情と諦め 一割ぐらいの感覚が懐かしい。
さすがに成人してからは、けんかするほど近くにいないこともあって、 ふつーのメル友ですがね。

9/7(月)

計算をよく間違える生徒には共通点がある。 途中のプロセスを省いて、一気に答えに到達しようとするのだ。 丁寧にカッコを外したり、かけ算をしてから次の行で足し算をしたり、 という作業を面倒がる生徒はよく間違う。計算問題というのは、 結果だけがすべてであって、間違えたらそこまでに使った労力は すべて無駄になる。熟練者以外はもっと愚直に計算をしてほしい。

丁寧な計算と少しかぶるところがあるのだが、ノートをケチケチ使う のもダメ。計算を端折る生徒さんはノートをケチケチ使おうという 意識があるような気がする。それだといつまでたっても要領よく計算 できるようにはならない。正しい計算を沢山やるから間違える確率が 段々減っていくのであって、間違った計算をなんぼたくさんやっても、 馬鹿養成ギプスをつけているようなもんで、何の役にも立たない。 スマートな計算ができるようになるには、どんくさい計算をきちんとやりながら、 自分なりのショートカットを見つけていくようにするしかない。

馬鹿養成ギプスで思い出したが、教科書本文を 何度も筆写させるような宿題も馬鹿養成ギプスの一つである。 手が疲れるだけで何の御利益もない。この先生は、 英単語の間の空白をなくした文(文というのだろうか)を 音読させるという、意味不明な、強化型 馬鹿養成ギプスを生徒に課している。想像がつかないかもしれないが 「In trying to understand black-body radiation, German physicist Max Planck joined the physics of heat and light together.」という文を 「intryingtounderstanblackbodyradiation,germanphysicistmaxplanckjoinedthephysics ofheatandlighttogether.」 のようなアルファベットの羅列にして音読させるのだ。「難関大に行く人は これをやって速読力を伸ばした」とのたもうているようだが、そんな話は塾長は 聞いたことがないし、自分の周りでそんなことをしている人は 見たことがなかった。アメリカ人の友人にその話をしたら 「それは、アメリカの小学校では絶対にしてはいけないことと教えられてまーす」 と言われた。
こういう下らないパズルというか訓練につきあった生徒が難関大 (東大とか京大のことらしい)に合格したという実績をこの先生は 宣伝しているようだが、それは順番が逆で、優秀な生徒達だから こんなくだらないことで時間を潰しても難関大学に合格できたのだ。 学校の先生というのは、宿題や成績評価という権限を持つため、 本人達が思っているよりもずっと生徒達に大きな影響力を持っている。
塾長が何を言いたいかというと、うちの生徒を下らない勉強法(もどき) で拘束しねえでくれということだ。彼らにはそれぞれ強いところと 弱いところがあって、クラス全員まとめて、一律の勉強法を 強いるようなことをされるとすごく迷惑なのだ。 しょうもない課題を課されていることで、うちの生徒達は本当に必要なこと をする時間がなくなっている。彼らにとっても塾長にとっても それは死活問題だ。

9/6(日)

久しぶりにカルテットの練習があった。塾長は まれに見る練習不足で、メンバーから白い目で見られてしまった。

2nd「CD聴いてくださいよ」
塾長「聴いてないこともないんですが・・・」
1st「どうせ寝ながら聴いたんやろ。楽譜も見ずに」
塾長「んああ、まあ、そんなとこか・・・」

努力をしないと人並みを遥かに下回ってしまう塾長でありました。


生徒が持ってきたバッグに、自由の女神っぽい 刺繍がしてあったので「これなんですか?」と聞いたら、
「EAST BOYって知らないんですか?」
と逆に聞かれてしまった。「東男(ひがしおとこ)ってとこですかね」 「それはない。EAST BOYも知らないなんて。調べておいてください。」

ネットで調べたら、中学校や高校の女の子用のブランドじゃありませんか。 そんなもん、学生時代であったとしても塾長が知ってるはずがないっす。

9/5(土)

子供手当の損得が120万円の差という記事(産経)を見つけた。 比較の仕方がすごくて、年収三百万で子供三人(!!)だと 79.2万円のプラスで、 年収1200万(!!!)で子供三人だとマイナス41.5万円で 差が約120万円なんだそうな。
年収三百万で80万もらえるなら結構なことだ。 それに年収1200万のうちでマイナス41.5万なら誤差の範囲だがや。 大人になっても比とか割合の考え方がわかんない人がいるんだ。 というか、新聞というのはそういう人々を相手にする 商売なんですな。

問題は年収が三百万〜四百万前後の世帯(これはきついと思う) の収入がどのくらい増えるのかということで、1200万もらってる 人々の二、三百万のマイナスぐらいはどうでもいいのだ。痛くもかゆくも なかろう。
子育て安心云々と子供手当の間に何の関係もないのがバカバカしい。


いい天気だったので、カブにワックスをかけて、 夕方から少しばかりぶらぶらしてきた。ピカピカのカブで 秋の田んぼ道を走っていると心が洗われますな。


昨日の続き少しだけ。

何かを勉強するときに、学習モードとテスト演習モードを 区別しない、適切に使い分けない、というのもまずい。
学習モードをある程度こなしてそれなりのレベルに達してからでないと、 演習モードに入る意味がない。高校三年生の授業がほとんど演習モード でなされているのは、ある種の生徒にとっては不幸なことである。 まだ、学習を続けなくてはならない生徒もたくさんいるのである。
ついでにいうと、せっかくの土日を模試で潰すのもくだらないことだ。 ゆっくりできる時間が減ること、集中的に勉強する時間が減ること を考えると、どの模試をいつ受けるのか、ということは慎重に 考えなくてはならない事柄のはずだ。

僕の見たところ、一高の進め方で効果が上がるのは学年順位で 30番から100番前後までの生徒さんだけである。最上位層には 退屈だろうし、三桁以降の生徒にはちんぷんかんぷんだと思う。 個別のフォローをすることができない(先生方は忙しいのだ) ならば、生徒を拘束するのをやめた方がいい。 それぞれの生徒が、自分に必要なことを 責任を持ってやることが第一歩だと塾長は思う。

9/4(金)

英語の読解練習には大まかに分けて二つのモードがある。
一つ目は多読モードで、細かいことは抜きにして、とにかく必要な 情報だけを読み取ることを目的にするものである。我々が日本語の 新聞や雑誌を読むときはこのような多読モードを使っているはず。
もう一つは精読モードで、文法構造・単語・背景知識の下調べ・シャドウイング・ 全文和訳など、考えられるすべてのことをやって課題となっている文 をしゃぶりつくすことを目的とする。

学習者がよくやりがちな間違いは、精読すべき文章を斜め読みして、 全く理解しないまま放置して しまったり、多読で十分な文章のどーでもいい詳細にこだわって 進めなくなることである。要するに、目的に対して行動が 中途半端だと効果が得られないということを(頭ではわかっていても) 実行できていない生徒が多いようなのだ。
リスニング練習でも同じで、流し聴きと精聴(シャドウイングや ディクテーションなどをして一言一句聞き逃さないようにする練習) をバランスよく行うことが大事である。だから、リスニング練習 の前に、これから自分がどのような目的で練習を行うのか、 しっかり確認してから始めなくてはならない。

学習の際、このように一段上から状況を判断するという 作業は、どうしても必要なことである。 このことは学習にとどまらない。 「監督者としての自分」の視点がないと、指導者や管理者 がいなくなったときに 何をしていいかわからなくなる。中学、高校というのは(超ませガキ除く) 普通の子供が、このような「監督者としての自分」を育てる時期だと 塾長は考えている。教員の役割は、教科内容 の指導だけでなく、生徒の中の「監督者としての自分」 が暴走しないように、迷子にならないように見守るということにもある。
それにも関わらず、岩手の公立高校はこの「監督者としての自分」 を育てる手伝いをせず、自分達が監督者として君臨し続けようとしている。 そうして、宿題に日々追われて、結局今自分が何をすべきか、 何を捨てるべきか、という判断ができない(しない)怠惰な生徒 を生産している。「作業者としての自分」がどんなに頑張っていても、 「監督者としての自分」が働いていなければ、塾長は 「怠惰である」と定義する。確かに、高校生にもなって 「監督者としての自分」がしっかりしていない生徒にも問題はあるが、 それを育てることを推奨しない教育側にはもっと大きな問題がある。 片方の指導しかしない教員も生徒同様に怠惰なのだ。教育において、 教える側と教わる側がどちらも怠惰であったら、教育効果 など期待できないではないか。

岩手に来て数年、能力的に問題はない中学生(高校入学当初)と、 明らかに意識が低すぎる高校生を見続け、もどかしい思いをしてきた。 持てる能力を一杯に開くことができていない高校生が多すぎる。

9/3(木)

どーもスケジュールが頭に入りきっていない。 普通の人の感覚だと全然忙しくはないはずなんだけど。 これまで暇すぎたということなんだろうな。

9/2(水)

今日来た生徒さん(中二女子)に、靴下が破れているのを 指摘された。
「それは捨てた方がいいです。いいものを身につけてないと、 運が逃げるっていいますよ。」

塾長の運が悪いのは、身だしなみが悪いからだったのか。


今日はSSK先生が石原学舍の台所を掃除しにきてくれた。 曰く「これはひどい。認識が甘い」

全くそのとおりでありまして、弁解の余地がございません。

9/1(火)

チェロ教室の生徒さんが、学校が豚インフルエンザの せいで休校になり、その間外出禁止ということでお休み。
盛岡にも豚が来てるのね。塾長はもちろん 予防のために毎朝エアロバイクをこいで、メタボ解消 に努めております。


塾長は今まで家賃を滞納したことがない。当たり前だ。
その割には、大家の確認不足で「今月の家賃がまだなんですけど」 という電話がかかってきたことが数回ある。 今日もそう。非常に不愉快だ。間違いがあったら相手に不快感を 与えるかもしれないわけだから、こういう電話をかける時は きちんと確認をとってからにしなくてはならない。

ちなみに塾長は気が弱いので、お月謝を忘れている生徒さんに 「まだいただいてないんですけど」と言ったことがない。 保護者の方はちゃんと子供に渡しているのに、子供が忘れている ということはかつてよくあったのだ。最近はほとんどないのだが。
もっと強くなりたい。

Copyright(C) 石原学舎