4/28(火)
今日は小学生の算数。方程式の初歩をやった。
分数の計算をまだやっていないので、フルバージョン
の問題は出せないが、基本的な考え方は
ほぼすべて伝えた。
それにしても飲み込みのはやい子だ。
塾長の汚い字も解読できているし。
しかし、分数の計算(約分、通分、かけ算、割り算)を小学五年生終了段階で
終わっていないというのはどういうことだろう。
面倒なことを後回しにすると、結局練習量が減ってしまい、
学習の定着度も低くなるんだよな。
英語テキストのネタが大量に見つかった。ニュースってのは
コピペで持ってこられるから、問題作成にはもってこいなのだ。
著作権法的には、アカンのだろうな。罪悪感ゼロ。
4/27(月)
6月演奏会の会場で練習をさせてもらった。
チェロだけで弾くとよく響く。ピアノとクラリネット
はもっとよく響いて、チェロは完全に負ける。
この状態はおそらく本番でも変わらないので、
塾長としてはもっとしっかり
練習して、確信を持って弾けるようにしなくては。
楽譜が頭に入っていないのは致命的。
片桐の「他の二人と比べて完成度が低すぎる」
という指摘が正しいだけにむかつく。ガッツ。
モーツァルトは素晴らしい。バランス的にはやはり
難しいものがあるのだが、三人ともしっかり弾けていて、
若干モーツァルトっぽくないものの、聴かせる演奏になってる。
これは明日演奏会でも大丈夫だ。
4/25(土)
地震は嫌いだ。
4/24(金)
チェロの駒が、スチール弦でハイポジション
をたくさん使うには高すぎるので、
削ってもらった。
このぐらいの高さだと弾きやすい。
弾くことだけに集中できる環境はすごくありがたく、
ちょっとだけ(珍しく)プレッシャーを感じている。
そんな、お膳立てをしていただけるほどの技術はないんですけど。
すみません、すみません、て感じ。
小学生の算数の授業。ガウスの話をして、
面倒な計算をラクにするアイデアを話す。
勤勉な計算も大切だけど、手抜きをすべく(もちろん正しいことが前提)
頭を使うこともすごく大切なのだ。
数学ってのは答えがたいていの場合一つで、それが面白い
と言う人もいる。でも、塾長はむしろその一つの答えにたどり着く
道のりが複数あることの面白さと新鮮さを強調したい。
アメリカに行くにも、直行便だけじゃなくて、船やら
シベリア鉄道でヨーロッパに行くような寄り道まで、
色々あるわけだ。で、いろんな方法でうろつくことによって
地球がどうやら丸いらしい、という俯瞰的な視点を持つことができるようになる。
数学や理科も同じ。「地球は丸い」というほどの確信は持てないかもしれないが、
「どうやら数学(あるいは科学)が一つの何かであるようだ」というような
感覚がおぼろげにわかるようになればしめたもの。
石原学舍ではそういう感覚を伝えたいと思っている。
早くはじめれば、余裕を持って色んなことができる。
遅く始めても、意識的に取り組めば予想外のところで余裕ができる。
4/23(木)
日本語教室に来ている生徒(国籍アメリカ)
がこんなことをぼやいていた。
「ALTの仕事は、私たちじゃなくてもできる仕事なんですよね。」
中学校の英語教科書を見たことはないが、高校の英語教科書を見れば、
何となくレベルというかコンセプトは想像できる。
三ヶ月で何とかなる内容を三年かけてやるわけだ。
文部省にいる素人の思いつきで作った教科書を使い、
(教科内容についての知識が十分でないという意味で)
素人レベルの教員が教える。
日本の教育の危ういことったら。
4/22(水)
公務員試験の勉強を教えている生徒(三月まで
アルバイトしてた職場で一緒だった)が来ているときに、
クソ高校時代の元同僚の友人(公務員試験予備校で勤務経験あり)が
来た。そのときの彼らの会話。
友人「石原さんってさあ、サボるし、ラクしようとするから
公務員には向かないんだよね。ずるいというか、卑怯というか」
生徒「そうですよね。上手くサボりますよね。」
サボってないです。断じてサボってないです。休憩をしてただけです。
コーヒーやお茶を飲んで一息入れるのが休憩で、アイスクリームをかじる
のがサボりというのは納得がいかないっす。
悪事はそれだけじゃないんだけど。
そんなことより作業着を返すのをすっかり忘れていた。
4/21(火)
今日の生徒はインフルエンザでお休み。あんだか流行っているらしい。
塾長も気をつけよう。何を?
お大事に。
ここ何日か、ワープロやメールを使うときの画面を
拡大するようにしている。文字が大きくて読みやすい。
何で今までデフォルトのままにしていたんだろう。
小さい字を読んで目が疲れるというのは年を取った証拠だな。
4/20(月)
うちで使っている複合機の調子が悪い。プリンタは
ちゃんと動作するんだが、コピーとスキャンができない。
歯車がおかしくなっているみたいだ。
というわけで、新品を購入する予定。誰か、コピーとスキャン
ができない複合機が欲しい人がいたら差し上げますので連絡ください。
印刷の品質はインクジェットとしてはかなりいい方です。
(4月21日)譲渡先決定。
3年前、この複合機を買ったときは、電波を飛ばせるプリンタが4万円近く
したのであるが、さっきアマゾンを覗いてみたら一万円ちょっとで
前のと同じぐらいのが買えるとわかった。この値段だと消耗品として割り切れるな。
ちなみにスキャンしたのを
電波でパソコンに飛ばせる機能は非常にありがたい。
今使ってる複合機だと無線ルータで
電波を飛ばして印刷するときのドライバ(OS付属)と
、有線でスキャンするときのドライバ(プリンタ付属)が
共存できず困ったことになっているからだ。
お絵描きができない塾長とは、図の入った入試問題を
テキストに使うとき、スキャナでパソコンに取り込んで
貼付けているのだ。その度にいちいち設定を変えるのが面倒で面倒で。
4/19(日)
大学図書館で働いている生徒からこんな話を聞いた。
「学生さんがカウンターに来てね『こんな課題が出ているんですけど』
て言いながら課題を見せてくれるのよ。で、どうしろって
言うんだろ。図書館の歩き方も知らない、知ろうとしない
学生さんがいるんだよねえ。教授も愚痴ってるよ。」
こういう学生さんがそれほど珍しくないらしく、司書さんも大変だ。
つか、司書はTAじゃないんだよな。最低限のおつむ(というか
向上心と学習能力)
を持っていない子が医療従事者になる可能性は
絶対に摘み取っておかねばならない。
医者や薬剤師が足らないとか言って定員を増やすと、このレベルの学生が
増えてそれはそれでエラいことになる。地方医大は向こう五年ぐらい
絶対評価でしか生徒をとらないで、
一定レベル以上の学生しか入学させない
ようにしないとますますおそろしいことになるんじゃないか。
親父の再就職が決定した。働き者だ。
4/18(土)
A線の巻き線が第一ポジションのあたりでかなり緩んできた。
あんまり弾きにくいので、予備の中古スチールを張ることにした。
スチール弦は張力が強くて細いので、指が切れそうに痛い。
よくまあ、半年前までこんな強い弦で弾いていたものだ。
6月演奏会はおそらく下二本をガットで、上二本は
スチール(またはナイロン)という構成にするんだろうな。
クラリネットとピアノに対抗する必要があることを考えると、
致し方ないとも言える。弦によって音質が変わるのは、まあ、
指使いを工夫することで何とかしよう。バッハを弾くのは
ちょっと楽しくなくなるかも。
出したものをいちいち片付けるようにすると、
部屋が散らからないということがわかった。
4/17(金)
内閣支持率が25パーセントに上昇、てのはいいことなのか・・・
毎年地区予選で一回戦負けしてるチームが、今年は運良く
相手校の出場辞退で一回戦不戦勝、みたいな感じ。うーん、低レベル。
鹿児島の田舎市長が失職したと。この市長さん、相当イカれてて、
全職員の給与明細をブログで公開してたんだそうな。
もっとイカれてるのは、職員の平均給与が700万円ぐらい
あったこと。それぐらいもらう職員がいるのは別に変なことではない。
それぐらいもらってる職員が結構たくさんいるというのが変なのだ。
都市部ならいざ知らず、んーな田舎で特殊能力を持ってるわけでもない
人間が700万円ももらってどうする。それだと
公務員が名実共に特権階級ということになってしまう。
都市部の民間企業と給与水準をあわせるってのは、どう考えても
頭おかしいよ。
ちなみに、民間企業の中には待遇について「地方公務員に準ずる」
なんて書いているところもある。
官も民も主体性なし。横を見るんじゃねえ、横を。
相変わらず国旗にはまったままの天馬君。図書館から借りてきた国旗の本
を見て「モナコが違う」と言い出した。母親がモナコのホームページで
確認すると、天馬が正しかったんだと。
天馬の記憶力恐るべし。
4/16(木)
シャンプーするときのタワシについているイボイボが
ツルツルになってきたようなので、ホーマックで新しい
やつを買ってきた。
新しいのと比べると、古いやつはイボイボがツルツルどころじゃなくて、
3mmぐらい短くなってる。この一年ぐらい、意味のないマッサージ
をしていたということだな。
生徒には常々「ハゲは不可避である」ということを言っておきながら、
いざ自分が危険な年齢にさしかかると何だかもったいないような
気がしてくる、一貫性のない塾長。
日本語教室初日。二人とも小さなパソコンを持ってきていた。
色違いのEeeで、片方にはLinuxが、もう一方には
驚くべきことにLeopardが入っていた。
Mac以外のパソコンにMacのOSがのっかっているのは
久しぶりに見た。
4/15(水)
「あのー、迷惑かもしれませんけど、これ、配ってこいって
言われたんで・・・」
夕方、塾長が本を読んでいたら営業の兄ちゃんが来て
何かチラシのようなものを渡された。
それにしても、「配ってこいって言われた」ってのは何だ。
いくら何でもやるきなさすぎ、主体性がなさ過ぎじゃないか。
どこの営業だ、と思ってチラシをよく見たら「朝日新聞」。
書くのと売るのは別部門というのはわかるんだが、大丈夫か?
6月の演奏会のチラシ草稿ができた。かなり
長期間にわたってぼそぼそと作業をしてきたのだが、
正味の作業時間は5時間ぐらいだな。そのうちの2時間が今日。
しかも、それまでに考えておいたデザインを全部捨ててだから、
実質2時間の作業ってか。締め切りが明日明後日だったりすると、
さすがの塾長も尻に火がつくのだ。というわけで、
第1稿は下のような感じ。皆様どうぞ演奏会に足を運んでくださいませ。
左の建物にマクドナルドが入っていたので、削っておいた。
シャンゼリゼにマクドは似合わぬ。
4/14(火)
小学生相手の初授業。利発で礼儀正しい生徒だ。
塾長の小学六年生の頃と比べると・・・自分が恥ずかしくなる。
ちょっとだけ。
今日は自然数の話と素数の話からはじめて最小公倍数
まで。本当は最大公約数までやりたかったんだけど。
素数を探したり、フェルマーの大定理
の歴史を話したりしていたら時間がなくなってしまった。
次回は最大公約数をやってから、アクロバチック(いや、
アクロバチックというか、頭をフルに使った)
な計算の仕方を勉強する予定。ややこしそうに見える計算でも、
ちょっと見方を変えると簡単になったりするものがある。
腕力は必要だが、頭を使ってサボる訓練もしておいた方がいい。
この生徒さんは自分で問題集をやったりしているようなので、
ペースを予定よりも早めていいかもしれない。
ただ悩ましいのは、問題をがんがん解けることと、
基本的な考え方が身に付いていることの間に
相関がないことがしばしばである、ということである。
だから、基礎事項や定義については、本人にとって当たり前
であったとしても、きちんと正確なものを伝えなくてはならぬ。
退屈そうな顔をされても、ここは譲れん。
4/13(月)
新聞なんかに写っている監視カメラの画像ってのは
何であんなにぼんやりしているんだろう。顔がはっきり
写らんのなら、設置する意味なんかないような気がする。
隣のうちを壊してアパートにするんだと。
ごっつい機械が朝から轟音を立てている。家が揺れるんだよ。
こわいこわい。
妹から天馬の写真が送られてきた。素直に写真を撮られる
こともあるんだな。入学式の日で、正装してやがる。
シャツとネクタイだけでン万円するんだとさ。
何でガキの洋服にそんな金かけるんだ?
4/12(日)
4月8日の雑記帳に載せた天馬の写真がかわいくないと、
妹(天馬の母親)から指摘を受けたので、写真を差し替えておいた。
カメラを向けると逃げるので、なかなか真正面を向いた
可愛い写真は撮れないのだ。ということは、母親である
彼女が一番よく知っているはずなのに。
数ヶ月ぶりにカルテットの練習があった。
CDを聴いたことがほとんどなくて、スコアも持っていない曲を
弾くのは大変だ。予想通りぼろぼろで他のメンバーに
迷惑をかけてしまった。
この段階だと、二三回繰り返すだけで明らかにマシになる。
その、二三回繰り返したあとがなだらかな上り道で大変なんだよなあ。
4/10(金)
無事盛岡に帰還。もうちょっと涼しいかと思っていたけど、
あったかいこと。朝六時半過ぎの新幹線に乗って、
盛岡駅に着いたのが十一時半少し前。ぼーっと
半分眠っていたらあっという間に盛岡に着いていた。
昨日送った荷物も夕方にはうちに届いている。
名古屋と盛岡が近いような錯覚を覚える。全然そんなことないのに。
東北新幹線はほとんど指定席しかないのに、どうして自由席
を売るんだろう。名古屋駅で東北新幹線の自由席を買ったんだけど、
東京駅で掲示板を見たら自由席のある新幹線がしばらく走らない
のがわかったから、指定席を買うことにした。
昔はホームでも指定席が買えた(東海道新幹線だったかも)ような気がする
んだが、今日は東京駅で新幹線の改札をいったん出て、みどりの窓口で
指定券を買った。変なの。
塾長は計画をきちんと立てて電車に乗る、ということをしないので、
はやてが指定席だらけなのはどうしても好きになれない。
のぞみだって、昔は指定席だらけだったけど、最近は自由席を作ってる
じゃん。がらがらのはやてに指定席を作る意味があるとは思えない。
ほんの十日の帰省なのに、五キロ太った。
ジーンズのウェストが明らかにきつくなっている。
塾長は欲望に対してすごく素直なので、上げ膳据え膳状態だと、
すぐに成果?が現れてしまうのだ。
大学以降、あまり実家に寄り付かなくなったのは、自己管理能力
がないのを自覚してるから。居心地がいいと、ほんとに何もしないんだ。
うちの親父は四月で雇い止め(解雇?)されて暇になってしまい、
所在なさそうなんだけど、塾長は何もやらなくていいならほんとに
何もしない。盛岡にいる限り、働かないと死ぬから、塾長には
ちょうどいいんだ。ここが。
仕事が嫌いというわけじゃなく、
働いても働かなくても生きていけますよ、というオプションがある
なら、間違いなく塾長は働かない人です、ということ。
せっかく帰省しても、ゴロゴロしたり、塾の準備をしたり、
甥っ子をいじったり、自分のこと
しかしなかった塾長。いつまでたっても親不孝者。
健康保険の手続きをしてきた。任意継続の手続きは松尾町では
できない。駅前に行かなくちゃいかん。
ふつうの健康保険の手続きは市役所。松尾町では、
ええと、なにやってるんだ?
前にも書いたけどさ、せっかく背番号つけてやってるのに、
なんで窓口ごとに業務が違うんだ?どこの窓口でも同じことができねえ
んじゃ、背番号つけたり基礎年金番号つける意味がないだろ。
大体、背番号と基礎年金番号はちゃんと対応つけてるのか?
俺らはな、どこの窓口でどの業務をやってるかを調べるほど暇じゃねえんだ。
そもそも、健康保険の手続きにどういう種類のものがあるかも知らん。
結局さ、法律をつくったり運用したり連中には関係のないことだから、
手続きを便利にしようという発想が出てこなくて、
一般ピープルにはやたらと不便になるんだよな。議員のセンセイ方も
役人の皆様方も、一般ピープルも毎年自分で手続きをすることに
すればだな、あまりの面倒臭さに全部の窓口を一本化したくなるんじゃ
ねえか。
4/9(木)
実家の塾長の部屋(すでに物置と化している)の
室温は現在昼の1時で28度。花粉が入ってくるから、
窓を開けるわけにはいかない。正直しんどい。
明日はようやく盛岡だ。まずは花粉症の薬をもらいに
耳鼻科へいかねば。その前に失効した保険証の手続きだ。
4/8(水)
今日は石原家ギャラリー。じゃなくて谷村家ギャラリーだ。
石原姓の人間は一人も写ってないや。
すでに一部雑記帳読者のファンの心をつかんでしまった、天馬
(小学一年生)と塾長のじいちゃん(天馬にとっては曾祖父)。
年齢差ほぼ90。
天馬の作品。6月29日が何の記念日なのかわからない。
全体的に意味不明なので、本人に聞いてみたら「知るか!」
と怒られてしまった。
お兄ちゃんの上総(かずさ)中学三年生。
ろくでなしの弟にも優しいいい子だ。
4/7(火)
6月演奏会のチラシがもう少しでできる。
今日はずっとその作成作業に追われていた。
「作れ」と人に言われて作るのは結構大変だ
というのがわかった。プロは偉いよ。
4/6(月)
実家の僕の部屋には、妹のうちからもらった空気清浄機が
ある。ハウスダストとか臭いとか、花粉を探知すると
普段よりも激しく回りだすという優れものだ。
今、おならしたらすごい勢いで回り始めた。あてつけがましい
というか何というか。
今日の花粉はすごい。しんどい。名古屋に帰るということで、
普段飲んでるのよりも強い薬を耳鼻科でもらったにもかかわらず、
盛岡に置いてきてしまった残念な塾長。つらい。
4/5(日)
大山鳴動して鼠一匹。
2009年4月4日から8日までの、極東地域における局地的な問題
として忘れ去られるのだろうか。「ほっ」としている場合ではないぞ、
少なくとも政治屋の皆様は。おそらくこれからが正念場だ。
アマゾンに予約していた鈴木秀美著「無伴奏チェロ組曲」の
予約をキャンセルして、名古屋の本屋で購入した。
塾長はバッハのフーガが大好きで、高校生の頃から
無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ、
オルガン曲、管弦楽曲を愛聴してきた。
ヴァイオリンを弾く友人の影響で無伴奏ヴァイオリンには特に
興味を持っていた。完全なフーガとはいかないが、八割方
完成されたフーガを聴いて(グリュミオーの録音や、友人が
実際に弾いたもの)、これが弾けたらすごく楽しいだろうなあと
心の底からヴァイオリンという楽器をうらやましく眺めていた。
無伴奏チェロ組曲については、チェロという楽器が重音奏法に
あまり向いていないからか、無伴奏ヴァイオリンみたいなポリフォニック
な書き方はなされておらず、一本のメロディーが続いているだけのよう
に僕には見えて、正直物足りなかった。
初めて聴いたカザルスの演奏も、何だか酔っぱらってるような変な
リズムと、聴いたことのない鋭い半音がどうしてもなじめずにいた。
無伴奏チェロ組曲が実はすごい曲なんではないかと思い始めたのは、
この十年くらいのことである。邪魔なスラーや指使いが書いてある
譜面にうんざりした塾長は、あるとき楽譜屋でベーレンライター原典版による
無伴奏チェロ組曲の楽譜を見つけた。この版のすごいのは、
これまでに発見された手稿譜のコピー
4つと初出版時の楽譜1つ、それにスラーも
指使いも書いてない演奏譜が入っているだけで、あとは全部自分で考えろ、
という楽譜である点だ。校訂者は一線級のチェリスト(ビルスマや
ウィスペルウェイ含む)や音楽学者で、このレベルの人々が自分たちの
解釈を表に出さず、原典版として考えうる限りの最高のものを
出版したこと自体が快挙と言える。
塾長はこの原典版の演奏譜に直接アーティキュレーションを書き込むのが
もったいないと思って、マグダレーナバッハのコピーを、手で写してから
アーティキュレーションを考える、という作業をし始めた。
ほどなく、それまでは非常に不完全な三声の曲だと思っていた曲が、
実はそれほど不完全でもなく、不完全な四声の曲だと思っていたのが、
かなり完全な四声であることがわかった。ベース音を追跡すること、
和声を追跡することによって、それまで同じ声部だと思っていたのが、
分散された別声部だったり、小節の頭にあるべきベース音が、
一拍ずれて現れたりしていることもわかった。
こうなってくると、譜読みはパズルの様相を呈してきて、
面白くて仕方がなくなる。
高校時代に無伴奏ヴァイオリンと無伴奏チェロを比較したときの
塾長は幼かった。無伴奏ヴァイオリンはかなり精密な
設計図であるのに対し、無伴奏チェロ組曲はもっと大まかな、
骨組みだけを記した作品だったのだ。無伴奏ヴァイオリンは
耳だけでポリフォニックな構造がほとんど聞き取れるのだが、
無伴奏チェロ組曲の場合はよっぽどしっかりとした
音楽的訓練がなされていないと(塾長にはそれだけの訓練が
なされていない)、耳だけで曲の構造を理解するのが不可能なのだ。
普通の人(塾長含む)は、楽譜をきちんと読まないと無伴奏チェロ組曲は
わからない。
誤解を恐れずに言えば、無伴奏チェロ組曲は無伴奏ヴァイオリンに
比べてより高い知的能力と読解力を要する曲だと言える。
こうして塾長は無伴奏チェロ組曲の解読作業をはじめたのだが、
その結果がどの程度説得力のあるものなのか、いまいち絶対的な
自信を持てずにいた。塾長が習った先生方は、どなたも
演奏家タイプの方々で、あまり楽譜をしっかり読むタイプでは
なかった。一年ほど前、寺神戸亮氏の公開レッスンを見て
「こういう先生にバッハを習いたかった」と心底思ったものだ。
今回、鈴木秀美氏の本が出版された途端に飛びついたのも、こういう
背景がある。一万円近くする本(予約時よりも千円ほど高くなった)
を開いてすぐに、これこそ塾長が欲しかった本だ、とわかった。
一段落ほど以下に抜粋してみる。
「31小節は、二段鍵盤の遊びのようなものですね。
しかしこのときにも、私たちが聞いているのは実はDなのです。
34小節では、Dの解放弦からちょうど1オクターヴ上という
ハイポジションが登場します。
これは、組曲全体の最高音がA線の7度上のGですので、それよりも
高い場所ということになります。そして37小節から今度は
間違ったような音が出てきまして、このDはまだ解決されないまま
でいます。それがどこで解決するかと言いますと、もうお判りのように、
最後の小節なのです。ですからこのプレリュードは、前半はずっと
Gを聞かせて、ちょっと下行バスで行き場がなくなり、後半は
ずうっとDを聞かせて最後にやっとGに解決、ほとんどが主和音の
GHD、属和音のDFisA,そして最後に再びGHDを聞かせて
『これからGdurの曲が始まるのですよ』と印象づける曲、ということが
できるでしょう。」(引用終わり)
つまり、塾長のやっている解読作業の解答例の一つが
この本には示されている
と考えることができるのだ。まだ、四分の一ぐらいしか読んでいないが、
これはいきなり答えを見るとパズルを解く楽しみがなくなるという
理由による。
この本は無伴奏チェロ組曲が好きだ、という人なら絶対に
購入すべき本だ。楽しみが何倍にもなる。また、チェロ弾きで、
無伴奏チェロ組曲を弾くことのある人は、まず自力で解答を
作ってから鈴木氏の解答例と比較するようにするのをおすすめする。
バッハを弾くのが今までよりもずっと楽しくなるに違いない。
この本は、無伴奏チェロ組曲についての公開セミナーを文字に
おとしたものらしいが、そのようなセミナーを
受講することのできる首都圏の人々が本当にうらやましい。
塾長は都会が大嫌いなんだけど、こういうところだけは
田舎にも見習ってほしいと思う。
4/4(土)
甥っ子の天馬の中では国名しりとりが大ブームになっている。
たいていは塾長が負けるのだが、時々彼の先番でいきなり
「アフガニスタン」とかが出てきて可愛い。
塾長はろくでなしの負けず嫌いなので「ぐぐぐ、
グァンタナモ」みたいなことを言って無知な天馬を
混乱させている。
天馬が国旗にはまった原因は単純だ。
あるときテレビを観ていたら、天馬と同じくらいの年格好
の子供が地図上の国名を次々と当てていた。
天馬はそれを観て「てんまよりすごい子がいる・・・」
とショックを受け、目覚めてしまったらしいのだ。
天馬よりすごい子がいるのが当たり前だと思わないところが
すごい。
4/3(金)
4月1日の雑記帳を見て、塾長に花を贈らなければ、
という問い合わせがとあるヴァイオリン工房に殺到?している
との情報が入った。お騒がせして大変申し訳ないが、日付をご確認
いただきたい。
再婚するためには、少なくとも一度は結婚していないといかんと
塾長は思う。
お隣の気違い大将軍がぼちぼち何かを飛ばすらしい。
経済問題もすごく大事だとは思うんだが、安全保障問題
もそれに劣らず大事なんではないか。
選挙が間近に迫っているというのに、重要な問題について
各々の政党が明確なスタンスを表明していないというのは
職務怠慢だと塾長は思う。気違い大将軍が生きている限り、
あるいはその後継者がその遺志を継ぐ限り、今回のような
問題はいつでも起こりうることなのである。
ミサイル発射準備をし始めた時点で攻撃、日本上空を
越えて飛んでいくなら領空であるか否かを問わず迎撃、
領空に入ったら迎撃して入らないなら見逃す、
日本国内に落ちたら宣戦布告と見なして攻撃、
何が起きても平和主義、どれでもいい。とりあえず明確な
意思表示がないと、有権者としてはどこに投票
すればいいのか手がかりがつかめない。
大体、「普段通りの生活を送ってください」と「ニュースに
気を配るように」ってのは、少なくとも普通の人にとって
両立可能なことではない。塾長が盛岡にいた三月中に関しては、
避難場所が岩手県や盛岡市から示されたことはなかったし、防空壕がどこにあるか
(んなもんあるか)を知らされたこともなかった。緊急車両が
どこを走るか、警察や自衛隊がどこを封鎖するか、ということを決める以外、
事前に準備できることなんて何もないわけだ。
Aho政権の狙いは、国民をテレビの前に釘付けにしておいて、
威勢のいいことを言って支持率を上げたいってことなんだろう。
バカバカしくて力が抜ける。
そもそも、十年ぐらい前にノドンだかテポドンだかが三陸沖に落ちた時点で、
もっと真剣な議論があってしかるべきだったと塾長は思う。
日本では改憲論議が「平和憲法を変えるなんてとんでもない」
「主権国家の憲法が外国に決められたのはけしからん」
という、(改憲派、護憲派ともに)
感情的かつヒステリックなものになってしまい、
入り口のところでつまづいてしまっている。
どちらの論点も硬直していて、思考停止以外の何者でもない。
そろそろ腰を据えて憲法について冷静
かつ現実的な議論をするときなんではないか。
ちなみに、(一見)平和主義っぽくみえる社会党や共産党も、
ノーガードで打たれてもいいという覚悟があるようには見えない。
憲法9条を絶対視するならば、非暴力不服従という
崇高な理念を胸に死ぬ覚悟がなくてはならない。彼らに
それだけの覚悟があるのか。我々にそれだけの覚悟があるのか。
安全保障問題も、二年半前に起きた未履修問題も、
結局議論が深まる前に人々の心から失われてゆく。
あわてて議論してもろくなことにならないのに、余裕のある
ときには何もしない。マスコミに取り上げられると、さも
真面目に何かやってるようなふりをする。終わってるよ。
出来の悪い大学生みたいだ。
4/2(木)
小学一年生になる甥っ子の天馬は最近
国旗にはまっている。ボリビアの国旗は
どんなのだ?と聞かれて答えられなかった塾長は
馬鹿にされてしまった。
悔しかったので「んじゃ、ベネズエラはどうよ?」
と聞き返してやったら「お星様が真ん中にいくつかあって・・・」
塾長の完敗。
三日月を見ながら「あ、モーリタニアみたいだ」って、
幼稚園を卒業したばかりの子供が言うことか・・・
どうやら地図帳に載っている国旗はほぼすべて覚えてるらしく、
家の中は万国旗であふれているんだと。受験生に爪のあかでも煎じて
飲ませてやりたい。ユーゴスラビアとかキプロスとか
聞いたこともないアフリカの国とか、何でも知ってるよ。
4/1(水)
再婚しました。未熟な二人ですが、これからもご指導よろしくお願い
いたします。