2/29(金)

ネットをぶらぶらしていたら、京都にいた頃よく行っていた弦楽器工房 のオヤジがすでに亡くなっていたことがわかった。 このオヤジ、結構評判の悪いところもあった。

その一
「大きな修理は面倒だからしない」というのが口癖だった。 阪神淡路大震災で、僕の兄弟弟子のチェロ(イタリア製の高い奴) が被災して、外見上は異常ないんだけど、音がおかしくなってしまった。 彼女は「お金がかかってもいいから、表板を開けてチェックしてください」 と頼んだようだが、聞いてもらえなかったようだ。
それを見かねた僕の当時の師匠が(そこの工房を紹介した手前もあって)、 彼女に杉山さん(この人は割と有名な職人さん)を紹介した。 杉山さんは別に躊躇することもなく表板を開けて修理したそうな。 何でも二十カ所以上割れていたのだとか。修理代は二十万円ほどかかったそうだが 音は割れる前よりも良くなった。
自分のところで売った楽器なんだからちゃんと直してやれよ、と思ったのは 僕だけ?ちゃんと金は払うって言ってるんだし。

その二
同じく当時の兄弟弟子の話。彼はその工房で五百万円もする有名な弓を買った (彼は医者)。なんだけど、状態があまり良くないらしい、あるいは 本物ではないのではないかという疑惑が持ち上がった。
このときもうちの師匠が間に入って色々調べたが、どうもやはり パチモンである可能性が高いので返品したらどうか、という話になった。 彼が工房に返品したい旨の電話をした翌日、早朝六時にその工房から うちの師匠に電話がかかってきて激しく抗議されたんだそうな。
それ以来、師匠はその工房を見限り、ついでに生徒に楽器屋の紹介を することもやめてしまった。もっと早いタイミングで縁を切っておいた方が 被害が少なくてすんだだろうにとも思うが、なかなかそういうのも難しいみたいだ。

でも、僕や他の友人が毛替えなんかをしに行ったときはよく豚カツ屋で 飯をおごってくれたんだよなあ。いい人だよ。
うちの師匠に言わせると「それはな、接待って言うんだよ。 君らは将来有望な顧客だからな。おれは絶対に奢られたりしねえよ。絶対にな。 おれらプロは職人と対決できねえといけねえんだ。足下見られるようなこたぁ しねえよ。君らは、学生だから奢ってもらってもいいんだけどな。」

以前は有望な顧客だったかもしれないが、 今は全然有望じゃない。あのオヤジ、投資に失敗したな。合掌。

ちなみに塾長は師匠たちが持っていた数百万の弓を弾かせてもらったことがある。 正直、自分の持っている五十万の弓の方がいいような気がした。
違いのわからない男、塾長。

2/28(木)

小林亜星そっくりのおばちゃんとすれ違った。
ただそれだけ。


妹の家族がマンションを買うんだそうな。ばあちゃんの葬式の時そのことが 話題になった。

僕「お前んとこ、マンション買うんだってなあ。偉いなあ。」
妹「そりゃ、この十年ぶらぶらしてたおにいとみっちゃん(妹の旦那)の違いだがね。 あんたの輝かしい学歴はどーしたの?」
僕「・・・(撃沈)」

親父「賃貸にしとけばいいがや。」
みっちゃん「俺、死ぬまで働かんといかんが・・・」

それぞれの思惑が交錯する葬式。

2/27(水)

来週、宮沢賢治にちなんだ新曲(作曲は当然僕ではない)を お披露目するためただいま練習中。その名も「チェロ弾きのゴーシュ」。 なかなか凝った作りの曲で、 重音がうまくとれないところが一カ所あり。おそらくチェロ奏法については 作曲者の方もよく知らないのだろう。重音に関しては、 三度より狭い音程と七度より広い音程が、特別の場合を除いて演奏不能 もしくは非常に困難であることをお伝えしなくては。

よくわかんない曲でも、作曲者から直接話を聞けるならやってみる価値あり。 世界初演なんてのは滅多にできるもんじゃないし。


最近複数の方から「太った」と言われた。おかしい。 自転車漕ぎはしてるし、食事だってそんなに大層なものは食べてない。 筋トレをもう少しパワフルにするか。

2/26(火)

基礎年金を全額税金でまかなうには消費税を8パーセント以上にしなくちゃ いけないんだってね。

毎月の食費が一万円を超えない塾長にとっては、消費税が20パーセントでも無問題。 一万五千円前後の国民年金の方がずっと深刻さ。


一年に一度くらい自己嫌悪に陥る。多分今日がそれ。

2/25(月)

一昨日事故で遅れた新幹線の払い戻しに行った。
しかーしである。 びゅープラザで買った切符の払い戻しはびゅープラザ、しかも 買ったのと同じ支所でないと払い戻ししてくれないのだ。今回の切符は 北上で購入したものなので盛岡での払い戻しは無理だってさ。

ケチなびゅープラザだ。春が来て雪が溶けたら北上までカブで行くか。


昨日の演奏会の録音CDがもう出来上がってうちに届いた。 早い・・・僕なら後回しにしてしまうであろう作業をすぐにやってくれた メンバーに感謝。

早速聴いてみた。前半の弦楽四重奏はまあまあ。もっとチェロが聞こえてもいいな。
レベルアップのためには、もう少しあれだな、楽譜の読み方 についての共通認識みたいなものと、練習の出発点になる基本的な音楽知識 がなくちゃいかんような気がする。 あとはお互いの癖のパターンをよく知ることか。やることが沢山あって 幸せだ。体が動かなくなるまでは楽しめるぞ。

ピアノ三重奏はぐちゃぐちゃ。いくら何でもひどい。ドゥムキーは アンサンブルという点でも 個人技という点でも難関はほとんどない曲なのに、ばらばらで まとまりがない。この曲がまともに弾けないとなると、ピアノ三重奏で 弾ける曲がなくなっちゃうぞ。しばらくピアノトリオはやりたくないな。
チャイコフスキーはさらにひどい。これはやらなければよかった。 選曲ミスの最たるものだ。アンコール相当の曲は、もっと気楽に弾けるものにしないと いかん。無料とはいえ、お客さんもさぞ腹を立てた(あきれた)ことだろう。

2/24(日)

今日はクラシックの演奏会。昨日の疲れが完全にはとれていない。 プロの人たちは毎日のように演奏会に出ているわけで、やっぱり体力と 気力と技術がアマチュアとは全然違うんだなあと。カザルスなんかは 世界中演奏旅行で回って、一年で200公演ぐらいした時期もあったらしい。 演奏中に卒倒したけど、少し休んでから演奏を再開したという エピソードもある。普通の人ならそこでキャンセルするんだろうけど、 神様レベルの人はやっぱ違う。

今回の演奏会では、カルテットはまあまあよかった。少なくとも 「もっとできたはずなのに」という後悔はない。
ピアノトリオについては少し残念。リハーサルでのヴァイオリンは 凄かったんだけど、本番は気力が萎えたのか、おとなしめでミスが多かった。 塾長はいつも通り。最近は舞台上で取り乱したりすることがなくなった。 だからミスはすべて僕の実力。ところどころよく弾けたというぐらいか。

ようやく怒濤の二日間が終わった。よくよく考えてみると、ばあちゃんの葬式 で名古屋に帰っているからこの一週間で3000kmも移動したことになる。 しばらくは動きたくないや。

次は六月八日に室内楽の演奏会がある。お暇な方は是非。

2/23(土)

渋谷ライブ決行。十年ぶりぐらいの渋谷だ。相変わらず人が多くて どこの店も混んでいる。ざわめき感が好きな人にはたまらない街なんだろう。 僕には耐えられない街だ。 渋谷にゃ坂が多いので目的地に着く前にすでに 疲労を感じてたりして。
それと、東京にはすでに花粉が飛んでいる。渋谷をぶらついていたら、 鼻が出てきて目もかゆくなってきた。大体、気温が高いよ。 東京には冬がないby智恵子

ライブハウスってのは初めてだったんだけど、驚くことが結構多かった。 まず、楽屋と呼べるほどのスペースがない。楽屋になっている四畳半ほどの スペースには 楽器ケースやら私物やらが散乱していて、ウォーミングアップをするのは 無理だ。クラシックで使われるホールは、割とゆったりとお茶を飲んだり ぼんやりする場所があるのだが、エッグマンは違った。 ミュージシャンの卵の皆様は、我々のように軟弱な環境で育った 人間とは違い、もっと過酷な環境で腕を磨いているのだなあ。 会場に着いて、音階も弾かずに舞台に出るなんてちょっと想像しがたい。

客層もだいぶん違う。演奏者がとちったりすると「頑張れー!」みたいな 声援が飛んできたりする。すごく新鮮。

ちなみに今回、生まれて初めて演奏が止まるという事態を経験した。 これまでも崩壊しそうになったことは何度かあるが、実際に 無音状態を体験したのは初めて。いやはや何とも。


帰りの新幹線は栃木かどこかで倒木が架線に引っかかった とかで、二時間以上遅れた。いつ、どのような順番で 出発するのかがさっぱりわからん。もうちょっとしっかりしてよ、JRさん。
ちなみに、我々三人が座席に行ったら見知らぬおじさんがちゃっかり座っていた。 メンバーの一人が「あの、ここ僕らの席なんですけど・・」と言うと そのおっちゃんは

「空いてる席に座ればいいじゃねえか」

それはおめえが言う台詞じゃねえ。

2/22(金)

床屋に行ってきた。安全カミソリでひげを剃る床屋は初めてだ。


明日は東京でライブ、明後日は盛岡で演奏会がある。 ハードな二日間になりそうだ。おやすみなさい。

2/20(水)

ばあちゃんが死んだので二日間ほど名古屋に帰った。

日曜日の夜に妹からメールがあってばあちゃんが死んだことを知った んだけど、うちの両親からは葬儀場の地図と「別に帰らなくてもいいから」 というFaxが届いただけだった。全く冷たい親だ。 母上は僕のことを忘れていて、父上は「電話かけてもつながらんかった」 とそっけない。

葬儀場は立派で、従業員もよく教育されていた。ワンフロアー 貸し切りで一つの家族が使えて、よその客とごちゃごちゃにならずに すんだのもよかった。坊さんもサラリーマン風ですべてが スムーズだった。葬儀については世の中のほとんどの人間が死ぬまで 素人のままだ。葬儀屋と坊さんが世の中に必要であることが 本当によくわかった。

火葬場も見事なまでにスムーズだった。窯(?)がずらーっと並んでいて、 休みなしに棺が入れられていく。職員の方は作業着で、 黒服と棺がなければ、何か別の目的の工場であるといわれても違和感がない。 二十年前にじいちゃんの葬式で来たときは、あれほど窯と窯の間隔が狭く なかったような気がするのだが、気のせいだろうか。隣の釜が開くと、 邪魔になるから僕らはよけないといけない。

葬儀屋のオヤジのはめていた時計は、バシュロン・コンスタンチンかパテック・フィリップ の複雑時計だった。一個で数百万から数千万するやつ。 うちの親父によると、昔名古屋の繁華街で葬儀屋連中が チンピラにカツアゲされたとき、全員がロレックスをはめていた という話があったらしい。その当時から葬儀屋は儲かってたわけだ。

少子高齢化社会を控えて、これから就職するなら葬儀屋だ。競争も激しく なるかもしれないけど。

2/17(日)

久しぶりに二年前のカルテット演奏会のDVDを観た。 苦々しい思い出しか残っていない、禍々しい演奏会だった。
それが今観てみると、あれ、意外と頑張ってるぢゃん、僕たち。
何だか 懐かしくて、いい思い出に変わりつつあるぞ。

だからいつまでたっても上手にならないんだな。

2/16(土)

赤信号の時、誰かが信号無視をして渡り出すと 他の人もぞろぞろついて行く。
宗教の始まりはこんなもんなのかも。

2/15(金)

布団の中にいるときはこれから覚醒するのが想像できないくらいぼんやりしているのに、 布団から出て二三歩歩くとしゃきっとする。人間の体って不思議だ。


うちの近くのガソリンスタンドは、おそらく盛岡で一番安い スタンドの一つだと思う。でも最近少し疑問に思うことがある。
うちの石油ストーブのタンクは9リットルだ。18リットル缶を使えば 丁度二回分あるので中途半端に灯油が残ることはない、というのが 宣伝文句にあった。でも9リットルのラインまで入れると、18リットル缶 に残った分は明らかに半分以下になっている。
あのガソリンスタンド、灯油ごまかしてないか。

昨夜報道ステーションで原油高が暖房の危機を招いている 、というようなことを言っていた。あいつら、ぬくぬくとした スタジオで人ごとのように言ってるけど、ほんとに寒いんだよ盛岡(とオイラの懐)は。


レッドバロンでオイル交換をしてきた。カブを買った 小原サイクルでオイル交換をすると700円。 普段利用している店(名前がわからん)だと、もう少しいいオイルを 入れられて900円。

で、レッドバロンだと普通の(と店員が言っていた)オイルで1200円。 工賃700円。しめて1900円也。 本来は会員でないと修理(??)を 受け付けないんだけど、今回は特別に やってやったということだ。
全国チェーンてのはあれだな、 それなりに儲けるやり方をもっているってことだな。 大きな組織はどこでも似たようなことをしてるんだろうが。

2/14(木)

道路の継ぎ目が恨めしい。特に斜めに入っているやつ。


凍った鍵穴を溶かす方法がようやく見つかった。 師匠のI本さんの方法は「手で鍵を温めて、その熱で鍵穴の氷を溶かす」 というものだったが、ぼくの手は(特に冬場は)そんなに 温かくないので、それが使えなかったのだ。
僕の方法は「鍵を息で温める」というもの。発想としては師匠と全く同じ であるが、いつでも温かい息を使うのがミソ。これなら冷え性の方々 にも使える。

2/13(水)

ここ一ヶ月ぐらいのことだが、時々背中が痛む。 どうやら、雪かきで頑張って背筋を使ったことで、筋を痛めたらしい。 あんだか、年取ったなあ。

2/12(火)

祝7000km突破

目の前で激しくケツを振りながら走っている車を見て思う。
いいよなあ、四輪車は。滑っても転ばないし。

カブだと、吹雪の中を往復20km走るのが命がけさ。

2/11(月)

物理の世界にはラプラスのデーモンと、マクスウェルのデーモンという 二匹の有名な悪魔がいる。

ニュートンの理論によれば、ある時刻における宇宙の状態がわかれば それ以前に何が起きたか、それ以降何が起きるかを原理的には見通すことができる。 つまり、ある瞬間における宇宙の状態がわかれば、未来がどうなるか すべてわかることになるのだ。 人間には宇宙の状態をすべて(一瞬といえど) 見渡すことはできないが、それができるような超越的存在のことを ラプラスのデーモンという。
昔の人々(特に哲学者や神学者)の中には、この決定論的な世界像に 拒否反応を示す人もいた。逆に、決定論的な世界像に固執したマルクスみたい な単純な人もいた。

マクスウェルのデーモンはもう少し微妙な存在である。 マクスウェルのデーモンはエントロピー増大則(熱力学の第二法則と同じこと) を破る能力を持つように見える架空の生き物である。
例えばまん中に仕切りの入った容器を考えてみよう。左側には気体A、 右側には気体Bがそれぞれ別々に入っているものとする。気体AとBは 化学反応を起こさないものとする。 この状態で 仕切りを外すと二つの気体は混ざり合う。それぞれの気体原子が十分多数あれば、 仕切りのあったときのように左側に気体Aだけ、右側に気体Bだけ、 という状態に戻ることはない。
このように状態変化が一方向にしか進まない現象が存在することは、 エントロピー増大則の具体例の一つである。気体Aと気体Bが完全に分離している 状態はエントロピーとよばれる量が小さく、二つの気体が混ざっている状態は エントロピーとよばれる量が大きい。物質の変化は(放っておく限り、 正確に言うと広義の断熱操作をする限り) エントロピーの大きい状態から小さい状態へと移ることはない。
ここで、気体AとBが混ざった状態のところへ、扉付きの仕切りを入れてみよう。 扉の開け閉めに労力はかからないものとする。 扉の横には小さな生き物がいる。この生き物は、右側から気体原子Bが きたときと左側から気体原子Aがきたとき だけ扉を閉めるように指示されているものとする。すると長い時間の後には 二つの気体は分離してしまう。
このような芸当をなし得る生き物のことをマクスウェルのデーモンと言う。 マクスウェルのデーモンがいれば熱力学の第二法則が破れて 第二種永久機関ができてしまう。エネルギー問題は解決だ。
結局マクスウェルのデーモンがパラドックスでないことが示された (デーモンが義務を果たすことは不可能であるとわかった) のは、 マクスウェルがデーモンを生んだ(?)百年以上後のことだった。 それもマクスウェルが思いもよらなかった分野の助けを借りてのことだ。 計算機科学がこんなところで役に立つとは何とも興味深い。 一言で言うと、デーモンの脳みその中のデータをリセットする ことがすべての元凶だったのである。

ラプラスのデーモンもマクスウェルのデーモンもどちらも 人間にはできないことをやってのける。ラプラスのデーモンは 全知全能だし、マクスウェルのデーモンはエネルギー問題を解決してくれる。
こんなすごい奴らを、何で西洋人はデーモンにしてしまったんだろ。 神様ぢゃだめ?人間を超える能力を持っていて神様でない存在を 彼らは悪魔にしたってことか。

2/10(日)

辺境高校奮闘記、第13章(方針転換編)途中まで書き足し


雪の季節になると、道路に融雪剤がまかれる。 そのせいでバイクのマフラーなどの金属部分に錆が出やすくなる。 だから、雪道を走った後はできるだけ水洗いして融雪剤を落とす ようにしていた。
我ながらよいカブ主だと思っていたら落とし穴があった。 水は凍るのだ。次の朝ブレーキがきかなくて冷や汗をかいたことが何度か。

最近は鍵穴に水が入ってしまったらしく、鍵が回らないことがしょっちゅうだ。 解かすためにお湯をかけるのだが、それぢゃまた湯が水になって凍るべな。 どうやったらこの悪循環から逃れられるのだろう。


再来週の日曜日、マリオス小ホールで三時から演奏会を開きます。 お時間のある方は是非どうぞ。

2/8(金)

辺境高校奮闘記、第20章(労働環境編)完結。だいぶ 核心に近づいてきたよ。


また山内から迷惑メールが来た(雑記帳1月参照)。
もうヤマショーはエエっちゅうねん。

2/7(木)

辺境高校奮闘記、第12章(定期試験編)完結。


石油ストーブに灯油を入れてたら、床と手がやたらとべたべたするのに気づいた。 よーく調べてみると、灯油ポンプ(手動)のポンプ部分に長さ二ミリほどの裂け目が。 ポンプを握るたびに灯油が少量ずつ飛び出ていたのでありました。

ほんの一年前に買ったばかりのポンプなのに。安物買いの銭失いってか。


ジェリーは以前水沢に住んでいた。当時住んでいた家の水道は、 冬の間中凍ったままだったそうだ。水抜きをしてなかったんじゃないかと思ったら そうではないと。築五十年の住宅なのであきらめろと大家に言われたらしい。
毎日だったか、一日おきだったかシャワーを浴びにスポーツジムに行くのは 面倒だったそうな。その状況はうちよりひどいな。 うちはとりあえず毎日水も湯も出るから。蛇口は毎日凍るけど。

2/6(水)

12月まで石原学舎で日本語を勉強していたジェリーが、 日本語能力検定一級に合格した。めでたい。と同時に 誇らしい。一級の試験はきわめて難しい。おそらく、 平均的な高校生にやらせても満点を取ることはできないだろう。 僕はジェリーに日本語を教えるため、数年分の過去問を解いてみたが、 満点を取れたのはそのうちの二、三回だけだった。 合格者のほとんどが漢字圏の人々で占められていることを考えると、 アメリカ人のジェリーが合格したということは快挙と言っていい。 仕事で勉強時間があまりないときでも、継続して漢字の書き取りや 長文読解をしてくれたジェリーには頭が下がる。

ぼんやりしている中高生に見習ってほしい。

これで石原学舎の合格率は100パーセントであるのが保たれた。 分母が3ぢゃ統計的には意味ないか。でもね、僕にとってはこの3人は 嬉しい3人なのよ。


居酒屋いしぴー久々に営業中。ジェリーが一級合格祝いに早速 飲みに来た。彼らがキルギスタンで活動していた頃の写真を 見せてもらった。それにしてもキルギスタンの人々の顔の精悍なこと。 生きている、っていうことを顔が主張している。圧倒的。
途中で奥さんもうちに来て色々なことを話した。 今度ジェリー家に行ったときに、ベルヌーイの原理について 英語で説明するように命令されてしまった。ベルヌーイの原理って なんだったっけ?

2/5(火)

30年前の新聞は面白い。校内暴力で荒廃する中学校の特集記事に、 修学旅行中清水寺で木刀を買って乱闘騒ぎを起こした中学校の話が 載っていた。そのときの教育長のコメントがいい。

「私もねえ、ちょっと前まで現場にいたからよくわかるんですよ。 修学旅行時の異常心理っていうか。まあ、シャモや土佐犬を相手にしているみたいなもん だと思ってもらえればいいです。 ははは。」

なんておおらかなコメントなんだ。こういう先生のもとなら生徒も 存分に暴れることができたんだろうな。今こんな発言をしたら、 馬鹿な親から「子供を動物扱いするのか」みたいなクレームが来るに違いない。
人の形をしていても、話してわかるようになるまでは動物だ。 人権がほしければまず動物を卒業して人間にならなくては。

2/4(月)

一袋6個298円の岩手県産りんごと、一袋6個350円の岩手県産りんご の味が全然違う。一袋350円のやつの方がずっと味が濃い。一個10円足らずの 価格差がこれほど味の差を生むとは。
んんん、よくよく考えてみると (考えなくても)価格差は一割以上あるんだ。なら驚くこともないか。


「ぺっぺっぺっ、バックします。ご注意ください。ぺっぺっぺっ」
注意するのはおめえだ。前方凝視したままバックするんぢゃねえ。

2/2(土)

吉幾三の曲は局所と大局のバランスが絶妙だ。

「俺ら東京さ行ぐだ」なんかも、田舎のあんちゃんの 独り言を使って、現代でも通用する田舎観を見事に描ききっている。 Wikipediaによるとこの曲は日本語ラップの先駆け のひとつなんだそうな。
「酔歌」や「雪國」「酒よ」などもまた、北国を舞台にしながら ぐだぐだと昔を懐かしむ素敵な歌である。 明治の歌であると言っても違和感はないし、昭和の歌であると言ってもおかしくない。 今時珍しい普遍的価値のある楽曲だ。 おそらく日本人の78パーセントぐらいは 吉幾三の北国系演歌が好きだと思う。残りの22パーセントは日本人として のアイデンティティーを失ったかわいそうな人たちである。

そして忘れてはならないのが、吉幾三の多面性である。 そこら辺の歌手の皆様はキャラを一つしか持っていない。 しかし吉幾三はどうだ。「俺ら東京さ行ぐだ」の作詞作曲者と 「雪國」の作詞作曲者が同一人物であるのは驚くべきことではないか。 「俺ら東京さ行ぐだ」ではしっかり笑わせてくれるし、 「酔歌」はしみじみ泣ける。どのキャラで歌っていても、 説得力抜群である。吉幾三の多様性はモーツアルトの幅広さを思い起こさせる。

吉幾三はもっともっと有名でしかるべきだ。この国の大衆音楽界はどうかしている。

2/1(金)

辺境高校奮闘記、第12章の途中まで書き加えた。


昼飯は、中華バイキングに行ってきた。ぎょーざ食ったぞ。
でもまだ生きてる。


空耳アワー(その2)

誤「たった今来た道さえも冥土のはじまり」
→正「たった今来た道さえも迷路のはじまり」


辺境高校奮闘記への反応は色々だ。今日昼飯を一緒に食べた 元同僚の先生によれば「あまりに生々しすぎるんではないか? 結構微妙だぞありゃ」ということである。
職員室では今でも繰り広げられているやりとりらしいので、現役の先生には 生々しく感じられるのかもしれない。でも僕のしょぼい筆力なら 外部の人にそんなに生々しく伝わることはないだろう。 今のところ当事者からの抗議はないし。知らない方がいいことが世の中には たくさんあるのだ。

Copyright(C) 石原学舎