12/31(水)

今年も無事に正月を越すことができそうです。
皆様からの応援、ご支援のおかげでございます。 よいお年をお迎えください。


今日でなんとかセンター直前特訓講座第一弾を 終えることができた。充実した三日間であった。
三日間まるまるテストゼミを朝から夕方までやって、 追加料金なし。なんて良心的なんだ、塾長。


正月は、A.Toffler の書いた"Revolutionary Wealth"という本を 読んで過ごす予定。塾長はEnglish Journalという雑誌を 時々買うのだが、その中のインタビューにA.Tofflerのものがあって 懐かしくなったのだ。
大学浪人をしていた頃、名古屋の本屋で見つけた "The Third Wave"という彼の書いた本を読んだ。この著者と本を 知ったのは、大学受験用の通信添削で有名な Z会の教材に使われていたからだ。論旨が明快で、 読みやすかったがやたらと長い本だったことを覚えている。 500ページ以上あったんではないか。現在のIT革命を 予言(といっても1980年の本だから、予言というほど 革命的であったとは思わない)していた。いずれは皆コンピュータ で仕事をするようになり、紙を使う機会は減っていくに違いない、 というようなことが書いてあった。

仕事場を見回してみると、確かに皆パソコンを使っている。 でも、本当に紙の使用量は減っているのだろうか。ミスプリントも 少なからずあるし、例えば高校の宿題プリントの量は間違いなく 我々の頃よりも増えている。これは岩手の進学校に特徴的 なことかもしれないが。
Tofflerの予言は微妙にずれていて、メディアとしての紙、つまり 新聞とか雑誌なんかは確実にパソコンにシフトしているけど、 仕事場の紙自体は以前と大して変わらない、あるいは簡単に 書類を作ることができるようになってかえって増えているような 気がする。実のところ、IT革命前後の一般的な仕事場を知っている わけではないので、結構いい加減な感想なんだけど。

何度も書いているが、受験用の参考書・問題集・教材 に自分の作品が使われた作家はそのことに感謝しなくては ならない。僕のように、その本を買って読むような人間も (少ないだろうが)いるのだ。 ただで広告してもらっているということがわからないのだろうか。

この一週間ほど、数学オリンピック事典という分厚い本に はまっている。2000年ぐらいまでの問題がアホみたいにたくさん 載っている問題集・参考書だ。これが、ちょうどいい感じに パズル的で面白い。Tofflerか数オリ事典か、どちらが アルコールの入った頭に心地いいのだろう。

12/30(火)

元旦から四日までの引きこもり(冬眠)に備えて 米十キロ、餅二キロ、レトルト食品たくさん、などなどを 仕入れてきた。これで一歩も外に出ることなく正月を うちで過ごすことができる。


今度は人身事故だってさ。帰省しなくてよかった(負け惜しみ)。

うつろな胡桃も音をたてて割られたいと思う(ニーチェ)。


喪中につき新年の挨拶を遠慮させていただきます。

もう遅い、ってか。そもそも年賀状なんて毎年ほとんど書かないじゃないか。

12/29(月)

吉野家に入ったけど、二分待っても注文を聞きにこなかったので そのまま何も注文せずに外に出た。
よその店舗はすぐに注文を取りにきて、すぐに飯が出てくるのだが、 うちの近くの吉野家はだめだ。混んでなくても牛丼が出てくるのが遅い。
塾長はファストフードではすごく気が短い。


今日から大晦日までセンター対策の集中講座だ。 年末だと言うのに朝から夕方まで教室に缶詰状態が続く。 これまでも少しずつやってきたんだけど、その集大成みたいな感じ。 年が明けたら難しすぎる練習はやめて(自信なくすから)、過去問 で練習するのさ。

よく働けて幸せ。


UbuntuをMacにのせてみた。特に何かがしたい訳ではない。 まあ、極貧状態が再開して、MacやWindowsが買えなくなったら 貧者のためのLinuxマシンを使うことになるかもしれないから、 そのための練習みたいなものかな。

全然操作性に違いがないから、別に練習することもないか。

12/27(土)

今年はまだスパイクタイヤをはいていないので、雪の日はバスか 歩きで昼間の職場に通っている。だから、バイクでこけて けがをする心配はない。
と思っていたら、昨日帰る途中、後ろを見ずにバックしてきた 車に轢かれそうになった。三秒だけ殺意を覚えた。 人間が最も凶暴になるのは、激しい恐怖を感じたときだというのを 実感した瞬間だった。


がむしゃらに何かに取り組むことはすごく大事なことだと思う。 塾長が偉くなれないのは、そういう点が欠けているからだ。
でも、偉い人や影響力のある人には、それだけじゃなくて 一歩引いた目線を持っていてほしい。大きな災害や災難の背景には 結構「自己目的」的ながむしゃらさや、盲目があるような気がしてならない。

政治家の皆様方は、選挙に勝つというその一事にだけ 目を向けるのではなく、そもそも何がしたくて政治などという (本来)報われない仕事をしているのかも考えていただきたい。 選挙に勝つこと自体も大変なことではあるのだろうが、 それは出発点にすぎない訳で、勝った後も次に勝つための 戦略ばかり練っているのではまさに自己増殖以外の何者でもない。
受験にしか考えが及ばず、大学でそもそも何をするのか全く考えていない、 出来の悪い受験生のような政治家はいらない。

Feynmanの伝記には、マンハッタン計画に携わった ときの興奮が(素朴に)書かれている。若い物理学者たちは 自分たちのやっていることが正しいと信じ、熱に浮かされたように 仕事をこなしてゆく。原爆実験が成功したときには パーティを開いてどんちゃん騒ぎをしたらしい。
自分たちのしていることがいったいなんなのか、どういう 結末を迎えるのか、想像できるはずの人々がそれを怠ると ああいうことになる。公平のために書いておくと、 Feymanを含めて、彼らの多くは実際に原爆が使われた後、 自己増殖状態を脱して核実験反対運動に転じている。
しかし、政治家の皆様方は相変わらず自己増殖を続け、 資本主義対共産主義の不毛な争いをしてゆくことになる。 政治家も我々も歴史から学ばねばならぬ。 学習能力がないことは、特に影響力の大きい人や団体 にとって、重罪である。

最近流行っている金融恐慌にも自己増殖の陰が見え隠れする。 自由主義経済が神である、金銭的利益、短期的利益が 最優先されるべきである、といった実際的根拠も 道義的根拠もない考え方が増殖して、それが現在の危機的状況を 招いたと言える。経済をうまくまわすことが重要なのは、 それによって人類の生活を動物レベルでより楽なものに して、人間レベルでできることをもっと パワーアップするためだったのではないか。
ゲームに勝った人間が報酬を得ることには何の抵抗もないが、 ゲームに負けた人間のつけをこちらが払うことになることには 激しい抵抗を感じる。
神の手なんて存在しないことがわかった今、 それでも完全な形の自由主義経済を信奉する人間がいるとしたら、 それこそアホだ。経済ゲームが成り立つためには、 その土台となる社会の安定性が前提となる。現在の状況が、 その前提を満たしていると果たして言えるのだろうか。 自己増殖、自己飲み込み状態の経済を、それに携わっている人々 はどう評価しているのだろう。

皮肉なのは、世の中で最も優秀な人々が、自己増殖の 犠牲者であり加害者でもあることだ。がむしゃらなだけでも だめなんだ。

12/25(木)

塾長は定額給付金を受け取らない。貧乏人の塾長 にとっても、一万二千円は明らかにはした金だ。
軽蔑に値する人間や団体からの施しを受けるのは、 本当に生活が苦しくて、明日食べる米がないという状況になって からで十分だ。貧乏人にも自尊心はある。塾長にもだ。

塾長は三年間、辺境高校(仮名)という軽蔑に値する 高校から雀の涙ほどの給料をもらっていた。 あれほどの屈辱はこれまでの人生で味わったことがない。 給料が少ないということではなく(それもあるけど)、 心の底から軽蔑している理事長や校長などの管理職 に自分の懐を握られていたことにだ。
二度と同じ思いはすまい、と固く心に誓って辺境高校 を後にした塾長であった。今はあのときの二倍くらい 稼いでるよん(でも、一般的なサラリーマンの半分くらいかな)。

12/24(水)

電子メールは便利なんだが、その割には筆無精が治らない。


年末年始は大晦日までセンター特別特訓講座をやることが決定した。そ の反動で一月一日から四日までは完全休養日。
正月は雪かきをする以外、一歩も外に出ないで家の中でだらだらするぞ。 朝起きたら、酒飲みながら本読んで、眠くなったら寝て、 目が覚めたら起きて、餅食って、ゴロゴロして、本読んで、 酒飲んで・・・ああああ、これぢゃダメ親父じゃん。

とりあえず、大晦日までに食料品と酒を買い込んでおいて、 外出せずにすむよう準備をしなくては。


センター対策講座をやっているのだが、生徒のマークミスに悩まされている。 一段違うところにマークしたり、マークし忘れたり、転記ミスをしたり。 塾長は計算を間違うことはあっても、マークミスをしたことは これまでに一度もない。一度もだ。自己採点と成績が違ったこと がないのだ。それが当たり前だと思っていたのだが、 実はそうでもないことがこれまで受け持ってきた複数の生徒を見て わかった。
非常に基本的なことなのであるが、大問を一つ終えるごとに きちんと見直しをすることや、計算用紙のどこに答えが書いてあるか (数学や理科の場合)はっきりさせること、などを徹底すれば 十分に防げることなんだけどなあ。八十点が七十点になったり 百二十点が百点になったりするのを 毎回見せられるのは結構きつい。

マークミスってのは、そんなにしょっちゅう起きるものなのか?


最新式の(?)バリカンを買った。これまで使っていたバリカンは 二十五年前、塾長がまだ小学生か中学生だった頃に買ってもらった ものである。どうも最近モーターの音が怪しい感じなので、 思い切って最新モデルを買ったと。これまでのバリカンが 丸刈りしかできなかったのに対し、最新式のは長い髪でも対応 可能ということになっている。ただし、パーマをあてている 人はだめなんだそうな。塾長は天然パーマなのでどうなんだろう と少し心配になったが、なに、うまくいかなけりゃ坊主にすればいい と、開き直って使い始めたのだ。

結局、多少でこぼこしていることはしているのだが、十メートル 先から見れば、全然違和感がないということが判明した。 職場の女性陣からも特に突っ込みはなかった。まあその、 塾長の頭のでこぼこなどどーでもいいということなんだろう。
次回刈るときは、でこぼこがもう少し減るはずだ。 でも、誰にも気づいてもらえないであろうことが、少しだけ寂しい。

12/21(日)

最近の楽しみは、一日が終わった後、ジェリーからもらった リクライニングチェアに横たわって、日本酒をいただきながら 本を読むことだ。それで体が温まって、頭がぬるくなってきたら 布団に入ると。
ジェリーは「自分はアルコールが入った状態では本を読まない。 集中できないじゃないか」と言うのだが、塾長は以前にも書いた通り 全然真面目な読書家ではないので、それでいいのだ。どんな深刻な 内容の本でも、一回目に読むときは読み飛ばす。何度も読む価値がある と判断した本は、真面目に読むこともあるけど。


今日は県立美術館で演奏会に出演してきた。 入れ物がすげえ立派だった。お客も300人ぐらい入ったらしい。 演奏を聴きにきたというより、見物しにきたと言う方が適当だろうか。
この間出演した演奏会のお客さんが200人前後であったことを考えると、 何らかの付加価値がないとクラシックだけの演奏会なんてわざわざ 聴きにこないという人々が多いということなんだろうな。

しかし、競馬場もそうだが、箱物の立地がどうにも意味不明だ。 県立図書館が盛岡駅に移転したけど、これがぎりぎり普通に利用してもらえる 限界なんじゃないか。
まあ、要するに、議員のセンセイ方やら土建関係の皆様が お決めになったということなんだろうね。下らなすぎ。


一昨日は忘年会。何でも偉い人が来るということで、スーツ着用 を義務づけられていたのであった。残念ながら、塾長は着用可能な (つまり、ウェストがあまりきつくない)スーツは持っていない。 演奏会用の礼服しかないのだ。もっと情けないことに、塾長は 白シャツを持っていない。最近は演奏会でも上着を着なくなって、 色シャツだけ、ネクタイもなし、というポリシーに変えていいる。 大体が、女性陣は動きやすいドレスで、野郎どもは動きにくい 礼服というのがおかしい。野郎どももこれからは動きやすいシャツ にするのだ。
話がそれたが、そんなわけでグランドホテル忘年会では、 半袖の白シャツにノーネクタイ、黒のヒートテックが袖口から覗いている という、考えうる限り最低の「なんちゃってフォーマル」で 参加したのであった。遅刻して会場入りした塾長を見て 失笑がもれたことは言うまでもない。

12/18(木)

塾長「ええと、どういう問題なの?ちょっと問題文読んでよ」
生徒「(前略)のちを求めよ。」
塾長「???"ち"って何?」

「ち」ぢゃなくて「あたい」であった。微笑ましいというか何というか。 その後、何度読ませても「ちを求めよ」と読むのが面白い。意地になってる 感じ。 多分、友達に笑われないと直さないんだろうな。それもまたよし。


ジェリーが一瞬だけうちにきた。盛岡最後の夜だ。 明日のうちに盛岡を発って、日曜日にはアメリカに向けて 出発だ。

彼と奥さんと知り合って二年半になるが、本当にあっという間だった。 彼は、いい意味で、僕が思い描いていた「アメリカ人」そのものだった。 陽気で、気さくで、前向きで、肉体的にも精神的にもタフで。彼と一緒にいると、 日本がアメリカと戦争したことがいかに無謀だったかよくわかる。 あんなにエネルギーが有り余ってる人々に勝てるはずがない。 僕は、職員室でジェリーがうたた寝しているのを見たことがない。 昼休みでも生徒の質問や雑談に応じたり、採点したり、 何か読み物をしていたりして、僕みたいに暇があれば寝るような 人間とは根本的にパワーが違う。しかも、彼は仕事が終わると さらに体を痛めつける?トレーニングを毎日のようにしているのだ。
彼は、自分はなんて怠け者なんだろう、と思い知らせてくれる友人だった。 実際「おまえは怠け者だ」と言われたこともある。確かにそのとおり なのだ。いろんな意味で、自分の持つ資源を生かしきる努力を していないのは自覚している。

アメリカ帰国が決まったのは割と最近で、結構ばたばたしていたせいか、 なんだか実感がわかない。塾長は外国に行ったことがないんだが、 これからもし外国に行くようなことがあれば、まずはジェリーの家だろうな。 オレゴンのすごい自然を生で見てみたいし。

筆が止まったままの「辺境高校奮闘記」が完成したら、 ジェリー夫妻に献呈する予定。本当は帰国前に渡したかったんだけど。


チェロ教室の生徒(中一女子)が、レッスン後にDSをやらせてくれた。 クイズ雑学王みたいなやつ。最近の携帯ゲームってのは、 性能が高いんだなあ。流行ものは生徒に教えてもらうに限る。
ジャニーズが好きな生徒からは、ジャニーズJr.と嵐だったかV6 だったかは知っておきたい、と言われてしまった。 でもワシ、男には全然興味ないのよ。特に十代から二十代半ばぐらいまでの いい男タレントは気持ち悪くて仕方がない。SMAPの人々を見て 嫌悪感を抱かなくなったのって割と最近だし。

12/15(月)

喉が痛い。昨夜、酒を飲んで、大いにしゃべり、 寒いなあと思いながらも居間でごろごろうたた寝してしまったのが まずかったみたいだ。
こんな時期に臨時休講は非常にまずいのだが、 風邪をうつしてしまうのはもっとまずいので断腸の思いで 休講にした。申し訳なすぎる。日頃から体調管理の重要性 を説いている塾長だけに情けなさ倍増。

12/14(日)

友人ゲーリー(仮名)の帰国お別れ会を石原学舍で開催。 中山氏(仮名)や富田氏(仮名)の悪口で大いに盛り上がってしまった。
小市民、塾長。


「お前か、けつの穴にでかい出来物ができている気違いは!」
という迷惑メールが届いた。問題は向こうが塾長の名前を 知っているということだ。普通の?迷惑メールってのは こっちの素性を知らずに送ってるはずなんだよなあ。塾長の知ってる 人か、塾長の知ってる人の知ってる人から送られてきたと考えるのが 自然なのだ。

12/13(土)

じゅくちょうは、きがよわいので、はくりょくのある おばさまには、はんこうできません。ときどき、 こんなじぶんが、いやになります。

12/10(水)

友人のジェリーが来週帰国する。一昨日ジェリーの部屋を見に行って 驚いた。引っ越しの準備がきれいにできてる。いつでも帰国できるじゃん。 二年前のジェイスンとはえらい違いだ。

先生も一級、生徒も一級。

超多忙。正確に言うと、 昼間の仕事は生活のためだけで、自分の趣味・指向とは全く共通部分 を持たないため、趣味を楽しむ時間を作るのが大変、 という意味で超多忙。

つべこべいわずに生活が成り立っていることに感謝しろ、ってか。

12/6(土)

昨夜、今月末の演奏会の練習で、とあるチェロの先生のご自宅 に伺った。
うおおおおお、すげええええ、豪邸じゃーーー。 塾長の実家の周りにある豪邸レベルの豪邸が、こまごまとした家の密集して いる住宅地の中にでんと座っておられる。盛岡ではああいう家は初めて見た。

商売敵といいたいところだが、これだとまともに勝負できないなあというのが 正直な感想である。楽器も、器も、我が石原学舍・石原チェロ教室 とは違いすぎる。
格差社会という単語が頭の中を駆け巡る・・・

でも、圧倒的な技術差をつければ何とかなると信じたい。 まずはポッパーの練習曲の全曲制覇からだな。


今日は、くりこま高原近くの保育園で演奏会。 クリスマス会の余興の一つという位置づけなのだが、 がきんちょに50分間弦楽四重奏を聴かせるのには無理がある。 たとえ、ジブリものやクリスマスソング をたくさん入れたとしてもだ。一番前で 後ろを向いている園児を見ながら「ああかわいそうに」 と思ってしまった塾長でありました。

新幹線のくりこま高原駅の横に立っている、競馬場のVIP席に似た建物 はいったい何の目的で作られたんだろう。展望台のつもりかもしれないが、 見渡す限り田んぼしかなかったぞ。

12/3(水)

昨夜、コーヒーを二杯飲んだら目が冴えて眠れなくなった。 結局意識がなくなったのは三時過ぎ。今朝、目が覚めたら カフェインが切れたのか、やたらと眠い。
塾長はカフェインが苦手なのだ。これからは自重しよう。

12/2(火)

焼きそばパンやコロッケパンの類いが許せない。 なんでデンプンをおかずにデンプンを食わなきゃならんのだ。


先週、パソコンをクリーンインストールしてから、 日本語入力ソフトをOS付属の「ことえり」というのに してみた。これまではATOKという、有料ソフトを使って おったのだ。
ATOKだと「麻原彰晃」が変換されないのに、「ことえり」 を使うと一発で変換された。普通の文章を入力していても、 どうやらことえりの方がずっと変換精度が高いと判明。 これからはことえりだな。

って、大部分の読者は何のことだかさっぱりわからんか。

12/1(月)

取調官「厚生省が保健所を管轄しているわけではないんだが・・・」
容疑者X「えっ・・・」

えええっ?!

ブラックジョークとしてならかなり面白い。

確か、「モルグ街の殺人」も人違いで人殺しをしてしまった とかいうストーリーだったと思う。高校生の頃ほぼ全作品を 読破した横溝正史の作品にもそういう話があった。
人違いだとわかると、殺人犯(たいてい女)が よよと泣くんだが、むしろ滑稽というか笑える光景だったりしたものだ。 何で、あれだけ綿密な計画を立てる人間が、ターゲットを同定するという 初歩の初歩で間違いを起こすのかよくわかんなかったのだ。

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