1/31(木)

最近よく来る迷惑メールのタイトルに

山内:あなたを紹介していただきましたっ

というのがある。
昨年まで勤めていた学校の柔道部に山内君という重量級の選手がいて、 この迷惑メールが来るたびに、彼のまるまるとした顔が頭に浮かぶ。 山内君には何の罪もないのだが、このタイトルを見るとちょっと寒気が・・・


「コープかごしま」が「コープごまかし」に見える。


明日ホームページを移動する。といっても、ディレクトリ一つ上に上がるだけ なんだけど。ブックマークをしてくださっている方(いるんだろか)は、 石原学舎トップページにリンクを貼っておいたのでブックマークの変更をしてくださいな。

1/30(水)

辺境高校奮闘記、第16章の後半を書き足した。


共通一次試験(センター試験の前身ね)がはじまった1979年の新聞を見た。 マークシートの試験が始まったことで、各大学の二次試験は記述式のものが 増えたんだそうな。昔の入試問題は理科でも短答式のものが多かったんだね。
その年の二次試験問題には難問はなく、受験生は胸をなで下ろした 、みたいなことが書いてあった。ふふん。甘いよ。1980年代中頃になると、 どう考えても時間内には解ききれないような問題がうじゃうじゃ出てくるのさ。 塾長は過去五十年分以上の東大、京大の数学入試問題を持っているが、その頃の 問題の難しさというか面倒くささは半端じゃない。合格者平均点が三割に満たないと いわれるぐらいの、ある意味選抜の意味をなさないような出題がなされていたのだ。

それに比べると最近の問題はよく練られていて素晴らしい。実力の差がちゃんと出る。 受験生の皆さんは安心してまともな勉強ができるというわけだ。あと一ヶ月弱、 精一杯やってもらいたい。塾長のようにこの時期テレビにかじりついて いたらだめだよ(ちょうど僕が受験生の頃、湾岸戦争だか、東欧革命だかがあって、 塾長は勉強もせず、学校にも行かず母上と一緒に朝からテレビを見ていた)。


エアロバイクをこぐようになってから、ウェストは少し縮んだ。 でも、調子に乗って少し負荷をかけてペダルをこぐようにしていたら、 いつの間にか太ももに筋肉がついてGパンがきつくなってきた。 ダイエットも計画的にやらないとあかんな。

1/29(火)

「点検で、聞こえる愛車のありがとう」
違う。愛車にありがとう、だろう。車がなかったらあんたらおまんま食い上げなんだから。

1/28(月)

「あの、大東建・・・」
「いらない」

確かに建て替えてほしくなるような家かもしれないけどね。今のところ間に合ってます。


女子マラソンの監督って大学駅伝の監督よりも素人っぽい。


昨年夏のアルバイト先でもらった(賞味期限一年ほど過ぎた)麦茶を 飲んでいるのだが、最近飲んだ直後に腹が下るようになった。 しっかり沸騰させた麦茶で腹が下るということは、麦茶パック の中が大変なことになっているということに違いない。
それで今日からは三十袋三百円のルイボスティーをいただくことにした。 ちょっと甘みがあってお茶っぽくないけど、多めのお湯で煮出すとそんなに 甘さは気にならない。しばらくはこれでダイエットだな。

1/27(日)

今住んでいる家に引っ越してから、訪問販売のセールスが増えた。

「舘坂橋で雑貨屋を・・」
「いらない」

「緑が丘でちびっ子英語教・・・」
「僕英語できるから」

文字にすると感じ悪いおっさんだな。
いずれにせよ塾長相手にセールスをするのは容易なことではない。ショップ名すら 言わせないで扉を閉めてしまうことがほとんどである。時間帯によってはチャイムを無視 する。
例えば、ウォーターマンの廃盤万年筆を七割引で売るとか、IWCの本物を 二三万で売るとか、米十キロを千円で売るとかいうのなら話を聞いてやらないでもない。
でもね、オイラがらくたには全く興味ないのよ。

1/26(土)

昨日宣言した「岩手辺境高校無免許非常勤講師奮闘記」をトップページメニューに アップした。 一年前に第一弾を 公開していた頃、ごく一部の人々から熱狂的な支持を受けた 連載だ。当初は二十ページから三十ページ分ぐらいを十日ほどで一気に書き上げる 予定だったのだが、書いているうちにだんだん気が滅入ってきてそのまんま放っておいた ものである。記憶が薄れつつあるので、当時の日記を引っ張り出しながら 書き足してゆくつもり。壮大なノンフィクション愚痴・内部告発物語の ゆくえから目が離せない。北の文学にでも投稿してみようかと思っている。

1/25(金)

ホームページの改装が昨日より少し進んだ。というか、面倒な作業は昨日で終わって いて、後は生徒募集のお知らせや学習の流れの説明をするページを作るだけだったりする。
ちなみに、以前働いていた高校の学生寮で書いていた日記が発見されたので、 塾長雑記帳にそれも載せる予定。2007年2月までの雑記帳がそれ。
ついでに「岩手辺境高校無免許非常勤講師 奮闘記」なる、ノンフィクション短編小説も公開するよ。まだ完成していないけど、 二月中には脱稿予定。こちらは場合によっては面倒なことになるかも。

1/24(木)

ホームページを改装中。とりあえずトップページだけ少し変えてみた。 爽やかなイメージ。本とにらめっこしながら作業をしているのだが、 プロフェッショナルなページを作る人たちってのは本当に立派だとわかった。 この程度の簡単なページでも、作り直すにはそれなりの時間と労力がいるのだ。


お昼の仕事で昔の新聞を見る機会があるのだが、結構えげつない。
「森進一の弟は成績優秀で慶応医学部合格確実!(週刊誌の広告)」
森進一の弟は一般人じゃん。知りたくもない個人情報でごちゃごちゃ言ってる 現代とは全然スケールが違うな。

もっとすごいのは普通の(記者が書いた)記事。
「本日各小学校にて 健康診断が行われた。低能の精神薄弱児には泣き出す者もいたが、 だいたいにおいて円滑に進んだ」みたいなのがあってびっくり。 三十年前はこんなに表現がまっすぐだったんだね。あんまり直接的な表現も あれだけど、今みたいにちょっとしたことにびくびくしながら文章を書くのも 窮屈だ。びくびくしてるのはマスコミの皆様であって、塾長には関係ないことだけど。

1/23(水)

報道ステーションをぼんやり見ていたら、 猿みたいな顔をした先生がうれしそうに経済の話をしていた。 遠い世界の話で、僕には全然わからなかった。 物でも、石ころでも、金属片でも、紙切れでもない 情報の流れが大きなニュースになっている。人間の持つ抽象化能力 ってのはすごい。

経済という共同幻想が現実を支配しはじめて二千年たったのか、三千年たったのか 知らないが、 ある意味どんな宗教よりも確信を持って信じられているのではなかろうか。

おいらにとっては明日の朝食べる米の方がずっと現実的な現実?だな。

1/22(火)

塾長の昼の仕事は、植物標本いじりだ。時々隣に座るおじさま(おじいさま) から「植物好きなの?」と聞かれる。
「いや、そうでもないです」と答えるときのばつの悪さ。僕は植物そのものよりも、 採集者の生活ぶりを妄想したり、標本を包んでいる昔の新聞の見出しを眺める方が好きです。

それよりも「学生?」て何よ。こんな老けた学生がいるかいな。


昨日に引き続き?センター試験の英語をやってみた。時間的余裕たっぷりだ。 やっぱり数学の問題量が多すぎるのだ。

去年も書いたけど、最近のセンター試験では TOEICもどきの問題が出るようになっている。 こういう出題ならいっそのこと英検とTOEICで得点を決めるのもありか。
しかし、リスニングテストはあほくさいからやめた方がいいよ。簡単すぎるし、 本当にリスニング能力を調べたいなら、個別試験でやればいいことだ。 毎回何十万個もICレコーダーを準備するのは金と労力の無駄だと思う。

個人的には、ICレコーダーの不備なんかより、試験時間を30秒短く終わらせる ような試験監督の方が気になる。試験の最後の方になると、秒単位で 計算の順序を考えたりすることもあるのよ。ICレコーダーよりも、 時間をきちんと計れるストップウォッチ(あるいは時計) を各教室に配った方がいいんでないか。

1/21(月)

居酒屋たむらの横の道を、スピンしながら4号線に出て行く軽自動車。 思わず119の準備しちゃったよ。
アクセル踏んでる時間と、ブレーキ踏んでる時間が 長すぎるドライバーが多いような気がする。もっと丁寧なエンジンブレーキを使ってくれ。


センター試験の数学IAとIIBを解いてみた。

数学IA: 相変わらず分量が多い。難しくはないのだが、ページをめくると問題が まだある・・・第4問の設定が少し目新しく感じるが、あとは普通の、どこかで見たような 設定ばかりである。計算を間違えないこと、素早くすること、それだけ。 全然楽しくない。

数学IIB: これも分量が多い。個別試験の易しめの問題として使えるような 問題設定のものがいくつかある。親切そうな誘導が、まじめな受験生には かえって邪魔になりそう。たとえば第2問の面積計算などはほとんど計算する必要が ないのだが、場合分けの筋がわからないと何をやっていいのかわからず 混乱する可能性がある。 最小値を求めさせる設問は余分。面倒なだけ。第3問は特殊解から一般解を 求める方法を知っているかどうかで見通しが変わってきそう。

とある数学雑誌で、センター試験数学の作問者が「2次試験として通用するぐらいの オリジナル問題を作る」てなことを書いておられたが、数学だけこんなに気合いの入った (しかもつまらん)問題を出すというのはいかがなものか。他の科目は制限時間の 半分から三分の二の時間で一通り終わるのに、数学では制限時間ぎりぎりまで 粘らないと完答出来るかどうか。難易度はともかく、分量の格差が科目間でありすぎる。 何でこんな不均等な状態を誰もおかしいと思わないんだろう。この問題だと、 満点を取れる受験生は一高でも50人いないんじゃないか。

1/20(日)

昨日、今日とセンター試験が行われた。位置づけのよくわからない試験が 合否判定に大きな影響力を持っていることを以前から疑問に思ってきた塾長である。

まず、足切りに利用されるというのが意味不明である。受験生が多すぎると 採点が面倒だから個別試験を受ける人数をあらかじめ決めてしまえ、そのために センター試験の結果を利用してやろうという制度である。この制度が決定的に 間違っているのは、受験生の実際の得点の公表が、出願期日に 間に合わないことである。自己採点には、マークミスによる誤差の可能性が ついてまわる。受験生にはつねに一抹の不安が残る。少なくとも塾長はそうだった。 塾長の受験した学部は、足切りラインとなる得点がかなり低く設定されていた のであるが、塾長は数学で大失敗をしでかして足切りラインプラス10点ぐらいしか 余裕がなかった。個別試験は大丈夫だと思っていたが、センター試験の 足切りラインを超えていなかったら受験できる大学のレベルを相当に下げなくては ならず、強い不安を感じたことを記憶している。
足切りに利用するなら、出願前に公式スコアを受け取れるようにしなくては意味がない。

もう一つは、センター試験のみで合否判定をしようとする大学の存在である。 入学試験の問題というのは、大学側がどのような学生を求めているのか、 ということについての数少ないメッセージである。少なくとも塾長はそう考えている。 最近は出前授業などもあるようだが、それは大学側からの積極的なメッセージというよりは 営業努力という側面の方が大きい。ソヴィエトの有名な問題集の前書きに あるように「学生に何が要求されているのかを知るには、カリキュラム表 を見るより、演習問題をを見る方がいい」のである。大学入試用にパラフレーズすると 「受験生に何が要求されているのかを知るには、指導要領を見るより入試問題を見る方がいい」 とでもなるか。
このように考えている塾長にとっては、センター試験のみで合否判定する大学の 神経が理解できない。僕が受験生、あるいは受験生の親なら絶対にそのような大学を 選ばない。作問・採点が面倒だという事情はあるのだろうが、学問において問題を作ることや 問題を設定することは基本中の基本である。それができない、あるいは面倒くさいというなら 大学としての存在意義はゼロであるとしか判断しようがない。センター試験のみ とまではいかないまでも、不自然に受験科目を減らす大学も同罪であると考える。

受験生の負担を減らすといいながら、本当は自分たちの負担を軽くしたいだけではないのか。 僕はそういう嘘をつく人たちが大嫌い。大学全入時代の危機は、実は経営的な危機というより 大学人の怠慢と欺瞞にあるような気がしたりする。

1/18(金)

ここんとこ毎日蛇口が凍る。水道管ではなくて、蛇口。お湯をかければ水は出てくる とはいえ心臓に悪い。こちらとしてはできることはやっているのでこれ以上どうしようもない。


音楽修辞学ミニ講座第1回

以前開講を宣言した音楽修辞学講座であるが、 まともな準備もできていないまま、とりあえず書き始めることにした。 ある程度まとまった理解ができてから、とかまじめに考えているといつまでたっても 始まらないということになりそうだからだ。
しばらくは序論というか、簡単な歴史についての記述が主題となる。 フィグーラについての本格的な話はいつになるのかわからない。

これから取り上げる音楽修辞学というのは音楽と言語の関係についての 学問なのであるが、それがどういうことなのかを知るために西洋音楽誕生の歴史を 数行で!紹介する。

古代ギリシャ語においては、韻文が音楽と詩の両方の役割を担っていた。 なぜ音楽の役割を担っていたかというと、古代ギリシャ語の語句はそれぞれに 決まった厳格な長さをもっており、言葉の並び方がそのままリズムを規定していたから である。このような厳格な言語構造は時代が下るに従って緩やかなものになっていった。

古代ギリシャの韻文における音楽的要素と言語的要素は一体不可分のもので、 西洋音楽の中にその対応物を見つけることはできない。この一体不可分のものを ムシケーとよぶ。musicの語源とも言われているようだが、西洋音楽の概念では とらえきれないものである。
このムシケーが、時代を経てギリシャ韻文の厳格性が失われていく過程で 現在我々が考えているような音楽と詩(あるいは散文)に分化したと考えられている。

このように、元々一つものもから分かれた音楽と言語がその後も関係を 保ち続けたことは自然なことだったのかもしれない。
このような傾向は 初期キリスト教の典礼の中にも見られる。 初期キリスト教の 典礼においては散文を声に出して読むことが求められた。これらの散文は礼拝用の 言葉であるため、自然にあるいは主観を込めて唱えられてはならなかった。 音楽的に固定された朗唱が要求されたのである。 これが西洋音楽の始まりであるといわれている。

それ以後、音楽と言語は絶えざる対決を続けることになる。音楽修辞学 はこのような背景のもとに中世からバロックにかけて完成を見るのである。

参考文献:ゲオルギアーデス著 音楽と言語
D.Bartel著 Musica Poetica

1/17(木)

1995年1月17日の記憶の断片。
その頃僕は学生として京都に住んでいた。1月17日は僕が所属していた 学生オケの定期演奏会の当日だった。今でもそうなのだが、緊張しいの 僕は興奮していて朝5時半頃に目が覚めてしまった。まだ外は薄暗く、 とりあえず部屋の明かりをつけてから再び布団に入り、 今起きて朝飯を食べるべきか、二度寝をすべきか考えていた。

するとしばらくして、今まで経験したことのないような揺れを感じた。 地震だと言うことはすぐにわかった。それにしても、強いし長い。これだけ 長い揺れは生まれて初めてだった。農学部グランド横の琵琶湖疎水に沿って 活断層があるという噂をきいていたので、僕はてっきりそこが炸裂したのだと 思った。

揺れが収まってからラジオをつけ、とりあえず実家に電話した。 いつも5時には起きているオヤヂが電話に出た。 「今地震があったけど、アパートは大丈夫でわしも生きてるぞ。 本とCDがいくつか落ちたぐらいであとはどうもない。」 「ん、ああ、そうか。まあ、気をつけい。」

震源が兵庫で、そちらが強く揺れたことは伝えられていたが 、京都での、朝7時頃までのラジオ放送はきわめて緊張度の低いものだった。 「京都の○○寺で、石像が倒れました」「驚いて外に出たお年寄りが 転んで軽いけがをしました」
それがもう少しすると、西側はえらいことになっているらしいとわかってきた。 「所々で火が上がっているようです」というニュースが増えてきたのだ。 テレビではもしかしたら映像が流れていたのかもしれないが、当時僕はテレビを 持っていなかったので映像を見たのはずっと後のことだった。

そうこうしているうちに、演奏会の集合時間が近づいてきたので 僕は練習場に行った。京都の町中は特に変わりないようだった。
練習場は大騒ぎだった。阪急もJRも動いていないので、大阪や神戸の 団員が来られない。客演ハープ奏者も明石だか姫路だかに住んでいたと聞いた。 何よりも、神戸在住で連絡がつかないチェロ弾きがいたのが気がかりだった。
結局ハープ奏者は京都市交響楽団の人に急遽お願いすることにして、 足らない弦楽器奏者はとりあえず欠員のままで演奏会をすることになった。 今から考えると、あの日、あの場所で演奏会を開けたというのが奇跡としか 思えない。

演奏会場は京都会館だった。リハーサルの雰囲気はなんだか変だった。 当然といえば当然か。心ここにあらずという団員が多かったように記憶している。 僕もその中の一人だ。
リハーサルが終わって、近くの中華料理店に飯を食いに行ったら、テレビで 神戸が燃えている映像が流れていた。先に述べた神戸のチェロ団員との連絡は つかないままだった。テレビを見ながら、余り会話もせずに八宝菜定食をいただいた。
神戸には僕が習っていたチェロの先生も住んでいた。何度電話してもつながらない ので、大阪の楽器店に聞いてみたら、先生はご無事だと教えてくれた。 少しほっとした。東灘区は長田区ほどではないにせよ壊滅的だとニュースで やっていたから。

演奏会は当然のことながら人の入りが悪かった。大阪方面からの客が こられなくなったわけだから仕方がない。
演奏もなんだか変な感じだった。京都に来られなかった団員がいて、 ご家族を亡くしたが神戸に帰るすべもなく仕方なく弾いている団員もいて、 すべてがぼんやりしていた。あんな日にマーラーの9番をやるというのも 奇遇というか何というか。

結局音信不通だったチェロ弾きが生きていることを知ったのは、打ち上げもたけなわの 12時過ぎだった。それも、本人は寝てしまっていて実際話したのは親御さん。 心配して損した。

一ヶ月後に神戸に行ったが、僕が毎週レッスンに通っていた神戸ではなかった。 きれいな女子大生のお姉ちゃんが改札口にいっぱいいた岡本の駅は、使用できない状態 でしばらく放っておかれたようだ。

一年後再びレッスンに通うようになったときの神戸はだいぶんましになっていた。 岡本の駅にはきれいな姉ちゃんが沢山いた。所々に見える更地が痛々しかった。

1/16(水)

初めてカブのタイヤがパンクした。てっきり寿命だと思っていたら、僕の ミスだったことが判明。
スパイクタイヤに交換したとき、I本さん(バイクの師匠)から「空気圧を ゲージで計っておくように」と言われたにもかかわらず、放っておいたのが まずかったのだ。空気が少ないと、タイヤチューブはリムの上を滑る。 しかし、ムシのあるところは固定されて動けない。その結果ムシの周りで チューブが裂けてしまったと。
これからはちゃんと空気圧を(時々)計るようにします。授業料3500円。


チェロの生徒からビデオを2本借りた。

1.昨年夏のチャイコフスキーコンクールドキュメント
審査方法が笑える。各々の審査員は、演奏者一人につきYes/Noを 審査用紙に書く。後で集計してYesの多い人が次のステージへ進む。 Yes/Noを決めるところはまあいい。音楽や演奏を評価する というのが意味のあることなのかどうかは知らないが、もし 評価というものが必要なのだとすれば、評点としては「良い/悪い/どうでもいい」 の3段階ぐらいしか思いつかない。チャイコフスキーコンクールでは 「どうでもいい」評価を「悪い」と合体させたんだろうな。
しかし、それを足し合わせるってのは何なんだろう。民主化をアピールしてる ということか。
陰謀?めいたやりとりも舞台上であった。舞台に上がった出場者に 審査員が「あなたのプログラムは長すぎます。今、変更してください。」 普通誰でも動揺するだろう。不幸な出場者が舞台上でもたもたしてると 「やっぱこのままでいいです。」笑った。舞台上の彼女は そんな心境じゃなかっただろうが。ロシア系のピアノ本にはこの手の 嫌がらせ、陰謀が結構いろいろ書いてあるが、本当にこういうことするのね。
コンクールの弊害を云々する人がいるけど、何だかんだ言って外野から見ると 面白いから存続しているのだろうな。ただ、すでに演奏活動をしている人や、 実力が認められている人が出場するのって興ざめだ。ベタだけど、 埋もれた才能を掘り起こすのがコンクールの唯一の(音楽的な)存在意義だと思うから。 そういう意味では、1次予選を終わった段階で面白い人がいなかったら 2次予選以降はやめるってのも一つの手だな。
それにしても、本選の伴奏オーケストラ下手くそすぎ。 ずっとまえ、諏訪内さんが優勝したときはソヴィエトが崩壊したばかりで オケの主力がみんな西側に移住してしまったため、旧ソヴィエトの 田舎の楽隊を使っていた。そのときも相当ひどかったが、 今回のオケもひどい。独裁者に首根っこ捕まれていないオケはだめだ。 オケはマスゲームなんだから。そういう意味ではどこかの偉大なる将軍様 の国で、いいオーケストラがあってもおかしくないんだがな。
ショパンコンクールで許せないことが一つ。本選がコンチェルトであることだ。 ショパンは生涯にわたってかなりコンスタントにいい作品を書き続けた作曲家だ。 有名な練習曲集は10代から20代にかけて書かれている。でも、同時期に書かれたコンチェルトは お世辞にも傑作とはいえない。練習曲集や初期のマズルカと比べて一段劣る。 それを本選で弾かせるのはどんなものだろう。ソナタやスケルツォ、バラード、 舟歌といった最高傑作を本選で聴きたいと思うのは僕だけ?

2.フィンランド放送交響楽団の日本公演
フィンランドのN響みたいなものか。マイスキーがドヴォルザークのコンチェルト を弾いていた。この人はもしかしたら右肩が悪いのかもしれない。昔リサイタル で見たときはあんなに苦しそうな動きではなかったと記憶している。
マイスキーファンには申し訳ないが、この人はコンチェルトを弾くだけの技術 を持っていない。客を呼ぶには有名な奏者を使うのがいいのかもしれないが、 あれなら国内でももっと弾ける人がいるよ。スポンサーの皆様が安全パイ(興行的な) ばかり使うから若手が羽ばたいていけないんじゃないの。パトロン としての才能のない金持ちが多すぎる。

1/15(火)

iTunesの分類では吉幾三がWorldになっている。なんだか誇らしい。


くずまき牧場のトラックが目の前を通っていった。

場牧きまずく

気まずい。

1/13(日)

朝出かけて、夕方帰ってきたら水道が少し凍っていた。しばらく蛇口を開けてたら 水が出てきたけど。油断も隙もありゃしない。

1/12(土)

ひょんなことから来月渋谷のライブハウスに出演することになった。ちょい役だけど。
エレキギター弾き5人のライブなのだが、そこまでの話が結構面白い。彼らはYouTubeで 演奏を公開しているグループである。おのおの個人はライブ活動をしていて、 5人そろっての演奏はYouTubeがメインであると(だったと記憶している)。

その5人がとうとう?渋谷のeggmanというライブハウス(有名らしい)で リアルライブをやるということになった。それで、その中のメンバーの一人が 生楽器のある曲をやりたいと言い出して、紆余曲折を経て塾長にも話が回ってきたのぢゃ。 エレキと一緒に弾くことは初めてだし、ライブハウスなんて聴きに行ったことも 弾きにいったこともない。すごく楽しみだ。人が沢山いて暑苦しいんだろうなあと 思うけど、一度は行ってみようライブハウス。ということで、暇な人は2月23日(土) に渋谷eggmanにどうぞ。
ちなみに、木の楽器を使うのはいろいろな意味で好ましくないので、生徒から エレキチェロを借りて弾くことにした。右手がぐちゃぐちゃでもいい音が出る んだけど、指板が変な形だったりして左手はきつい。

その次の日にゃ別の本番が控えていたりする。結構綱渡り。

1/11(金)

ヒラリー卿が亡くなったそうだ。死んだことよりも、まだ生きていたことの方が驚き。

1/10(木)

朝起きたら風呂場の蛇口が凍っていた。お湯をかけたら水が出てきたよ。 もうこんなに寒い季節になったんだなあ。気をつけなくては。


音楽修辞学ミニ講座開講!

ドイツバロック音楽はフィグーラを多用している。バッハも例外ではない。 数年前、マタイ受難曲の解説書を読んだとき、フィグーラというものの存在を 知ったのであるが、参考文献はドイツ語のものしか見あたらずそのまま放置していた。
この間寺神戸氏の公開レッスンを受けた後で、「フィグーラについての包括的な 参考書はありませんか?ドイツ語は読めないので、日本語か英語のもので。」 と聞いたらMusica Poetica という本を紹介された。今のところ邦訳は出ていないようなので アマゾンで原書を買い求めた。
非常に面白そうなので、この本(及びその他の参考書) を読みながら僕が理解した(と僕が信じた)ことを この雑記帳で紹介していくつもりである。不定期かつ不正確であることを 頭の隅に入れていただいた上で楽しんでもらえれば幸いである。

figure: a short succession of notes producing a single impression

1/8(火)

僕のパソコンにはComicLifeというソフトが入っている。 用途も使い方もわからないので何もせずに放っておいたのだが、 今日暇だったのでちょっといじってみた。
写真とか 文書に吹き出しを入れるソフトらしい。使い道がない。 とりあえずこんなものをつくってみた。

下らない。

1/7(月)

名古屋のテレビCMはやたらと結婚式場のやつが多い。
遅れてきた団塊ジュニア用?

1/6(日)

たった一週間運動しなかっただけで、エアロバイクをこぐ足が重たい。 しかも今日は筋肉痛だ。一週間の不摂生の解消におそらく一ヶ月ぐらいかかる。 散歩ぐらいしておけばよかった。

1/5(土)

オリーブオイルが凍った。日清オイリオはセーフ。


一週間ぶりにチェロにさわった。それまで結構練習していたせいか、 指先は硬いままでぶよぶよになっていなかった。右手親指の筋肉が若干 落ちたように思うが、それ以外は問題なし。

クヴァンツが「暗譜する癖をつけると、読譜力が落ちる」と書いているので、 最近はずーっと昔にやった練習曲や、見たことのない曲などを初見で弾くようにしている (昔やった練習曲はあんまり覚えていないのでほぼ初見と言っていい)。 ピアノに比べるとチェロの初見は楽だ。

1/4(金)

怠惰な、とてつもなく怠惰な正月を過ごした。寝てるか、飯食ってるか、 テレビ観てるかのどれかだったような気がする。一週間経ったはずなのに 三日ぐらいしか生きてない。これからはもう少し緊張感を持って日々を過ごしてゆこう。


新幹線の指定席の指定の仕方(?)は変だ。
がらがらなにもかかわらず、数少ない客同士を近いところに配置しやがる。 僕は人口密度の高い状態があまり好きではないので、こういうのはすごくいやだ。 みどりの窓口のプログラムがそういうことになっているのかもしれないけど、 今度からはちょっとリクエストしてみよう。「できるだけ人口密度の低い座席 をお願いします」みたいに。


それにしても盛岡は寒い。わかっていたような、わかっていなかったような。 覚悟していたような、できていなかったような。

1/1(火)

あけましておめでとうございます

の文法構造がよくわからない。

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