塾長雑記帳2007年6月





6/1(金)

NHK教育テレビでアルゲリッチ音楽祭を放送していた。

アルゲリッチが白髪の、恰幅のいい老婆に・・・

15年くらい前までは、いい感じに熟れた別嬪さんだったのに。40年くらい前は、 めちゃくちゃ綺麗なねえちゃんだったのに。
時間て残酷(この場合はぼくを含めた野郎どもにとって)。

老婆でもアルゲリッチは健在。テキトーな部分は以前よりも多くなったけど、 相変わらずタッチは多彩だし、アグレッシブで格好いい。

後半は弦楽合奏とバシュメットのヴィオラでブラームスのクラリネット五重奏編曲版 をやっていた。ジプシーヴァイオリンのおじさんと一緒に学芸会をやっているみたいな 感じだった。演奏する必然性のない人間が演奏するとこういうことになるんだな。

それにしても天下のNHKがあんな素人っぽいカメラワークの番組を流していいものなのか。


居酒屋たむら休業中。金曜日ってかき入れ時でないのか?


6/2(土)

ジェリーの家に招かれて酒を飲んできた。「硫黄島からの手紙」を一緒に観ている とき、ジェリーが「何で意味もなく自決するんだ?特攻隊は彼ら自身が武器だから 意味があると思うけど、まだ何かできるかもしれないのに自決するのは 責任を全うしていないことになるんではないか?」と言い出した。

んー、現代的観点からするとそのとおりなんだが、責任云々ということは時代・地域 に依存するものだからなあ。あの時代はおそらく、緩やかな死ではなく、速やかな死 を選ぶことが責任を全うすることであり、美学だったんだろう。命をかけて主君に尽くす(尽くす、 の意味も時代によって変わる)、命をかけて信念を貫く、みたいなのは洋の東西を問わず 割と一般的だったのではないか。

目的と手段の役割が逆転しているようにも見えるけど。


6/3(日)

ヨーグルト断食実行。朝・昼・晩それぞれヨーグルトだけいただいて、あとは 水分だけ。腸内環境を整えて便通をよくするんだって。みのもんたが言ってたよ。 うんこは毎日ぶりぶり出てるからべつにどうでもいいんだけど。

腹減った・・・

6/5(火)

居酒屋いしぴー営業中。といっても、今日のお客は車とバイクでご来店なので 酒はなし。

話をしているうちにI本さんが「中学か高校の先生が9.99・・・=10って 言ってたんですけど、ほんとですか?」と聞いてきたので、等比数列の和 の計算の仕方から始めて、数列の極限まで説明してからその等式が正しいと 教えてあげた。ちなみに哲学者の中には納得していない人がいまだにいる。 全く理解せずにケチをつけている人から、深刻な問題を投げかける人まで 様々だ。ぼくの説明は大多数の、ごく普通の人々に信じられているものだ (信じる、という言い方が数学にはそぐわないと感じる人もいるだろう。 世の中そんなに単純じゃないんだよと答えておく)。

結構楽しんでもらえたようで居酒屋のおやぢとしてはうれしい。二人とも 高校時代は文系で(何で高校レベルで文理を分けるのかがさっぱりわからん。 どっちもやれよ)、あまり掘り下げた話は聞いた記憶がないということ だったが本当にもったいないことだ。年を重ねたいま面白さがわかるなら、 若い頃はもっと楽しめただろうに。

受験に特化した授業計画を立てるということは、生徒達の脳みその豊かな発展を 妨げていることに気づいてくれよ。いや、そんなのはとっくの昔に気づいているはずのことだ。
「生徒のため」とか言うんぢゃねえ。


6/6(水)

最近隣の空き家の前や門を半開きにしたところに白い車が止まっていることがある。 人の気配は全くないし不気味だ。ちなみに、同じ白い車だと思っていたが昨日止まっていた のは普通車でナンバーが42-87、今日止まっているのは軽自動車で・9-62である。 もしぼくに何かあったら当局に通報してくれ給え(すっかりホウムズの世界に はまってしまっているぼく)。


6/7(木)

見てください。あまりにもたくさんの密を集めた蜜蜂のように、 この私もまた自分の蓄えた知恵がわずらわしくなってきた。いまは、 知恵を求めてさしのべられる手が、私には必要となってきた。
私は分配し、贈りたい。人間の中の賢者達にふたたびその愚かさを、 貧者たちにふたたびおのれの富を悟らせてよろこばせたい。

ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」より


6/8(金)

ジーンズを買った。この3年間ですっかり太ってしまって、 以前はいていた29インチのジーンズが入る気配すらなくなってしまったのだ。 どのくらいならはけるんだろうと、少しどきどきしながら試着してみたら 32インチで十分入った。31インチでもウェストは大丈夫だったかも。
それにしても股上が短くて困る。しゃがむとケツが見えそうだ。 どうなってんだ?

減量を頑張って、何とか29インチのがはけるようになりたい。もったいないし。

金がなくても太れる日本てやっぱり豊かな国なんだ。


6/9(土)

曲がる瞬間にウィンカーを出すんぢゃねえ。曲がるつもりなら信号待ち してるときからウィンカー出せや。ワシを殺す気か。いや、それよりも ウィンカーの意味わかってるのか?教習所に帰れ。


傘を買った。傘を買うタイミングは難しい。
快晴の日に買うと、燦々と輝く太陽の下で傘を携帯している変な人 に思われるような気がする。
ざんざん降りの日に買うと、店員さんの「天気予報も見ない計画性のない人 が来た」 という、白い目が気になる。
雨が降りそうな、どんよりした曇りの日に買うのがベストだな。

自意識過剰。


玄関前につるしてあったチェロが落ちた。うちの玄関は引き戸になっていて、 右側の戸の前にチェロがつるしてあったのだが、今日来たお客さんが何を思ったか チェロのつるしてある側の引き戸を開けてしまったのだ。チェロがつるしてあった ことで右側は締め切りだと知らせていたつもりなのだが、ぼくの独りよがり だったみたいだ。確かにこういう事態は想定しておくべきだった。 今度からは右側の戸の前に「締め切り」の札を貼っておこう。


6/11(月)

天気のいい日に授業準備や勉強をしていると罪悪感に襲われる。 こんないい天気なんだからカブで走り回るべきではないのか。お天道様 をおがまないのは、罪ではないのか。こんな論文を読んでいて一体何になるというのだ。


現実逃避。


6/12(火)

友人のジェリーに日本語を教えることになった。彼は12月に日本語能力試験 1級を受験するのだ。それで最近、色々な参考書や問題集を立ち読みしたり借りたり しているのだが、満足のゆくものがない。

文法の本には、いろんな表現がてんこ盛りで、それはそれで仕方ないのだが、 例文に不適当なものが多すぎる。おそらく試験問題に出題された表現を 抜き出してきて例文をつくっているのだろうが、その例文の日本語がこなれていない というか、読んだことのない場面で使われているというか・・・本当に著者らは日本語教育 の専門家なのだろうか。教育の専門家だけど日本語は専門でないとか。

結局自分でテキストを作ることにしてどつぼにはまっている。どうも人の作った 教材を上手に使う能力がぼくには欠けているようだ。


レトルトのパスタソースをご飯にかけてみた。まずい。うどんやそばなんかの 麺類ならどれにかけても美味いんだけど、ご飯はだめだ。
それにひきかえ、カレーはいい。ご飯はもちろんのこと、麺類すべてと相性がいいし、 豆腐にかけても美味い(友人たちは気色悪いという)。

昼飯に麺類をいただくとき、毎回カレーをかけるのもよくないかなあと思ってパスタソースを 買ってみたんだが、汎用性を考えるとレトルトはカレーに限る。主食を選ばない 立派な奴だ。


6/21(木)

何だかずいぶん久しぶりに雑記帳を更新したような感じだ。たった10日くらい なのに。

ぼくは著作権というものを(基本的に)認めない(といいながらページの一番下 に(C)石原学舎 なんてのを入れてたりする 。やってみたかっただけさ)。要するにマネっこされて、既得権・ 先取権を脅かされるのがいやなんだろうな。
だけど、 偉そうなこといってる作曲家先生たち(映画音楽書いてる人やら、 ポップス書いてる人やら)も、クラシックの作曲家のマネしてるじゃん。
むしろ、自らをアーチストとか芸術家であると思っているんなら、食い扶持が どうこうという話を、ポスターにして公の場に張り出すのはみっともないことだと 認識すべきでないか。バッハやベートーヴェンならいざしらず。

何でこんなこと思い出したかというと、また例によって作家の皆様方が、 塾や通信教育に自分の作品が使われたのは著作憲法違反だ、と騒いでいる からだ。こんなことしているから、あんたらの作品が後世に残らんのだよ。 いわゆる「お勉強」ばかりしている子供たちが、まともな作品に触れることが できる数少ない機会を奪おうとしているんだから。
ぼくは受験生のとき、とある通信教育の教材を使って勉強をしていた。その 教材にのっていた 山崎正和やら埴谷雄高やらラカンやらは、後から本を買ったり借りたりして 割と真面目に読んだものだ。お受験には子供を刺激するという役割もあったり する。
こういう側面を、ごちゃごちゃ文句たれている作家の皆様は理解しているのだろうか。 これがエスカレートすると、赤本の国語の問題が虫食い状態という、理解しがたい 事態になる(ちなみに入試問題に関しては、著作憲法違反にならないという 特例措置がとられている)。これじゃ赤本の意味ないじゃん。

数学の問題を使い回ししようとしている、数学科の先生方の姿勢を見習ってほしいな。 手抜きをしようとしてる、という見方もできるけど。マネしてもマネしなくても

いいものは、いい

以上


6/26(火)

何か作業をやってる途中で、他の作業に移ると、前に何をやっていたか 忘れてしまう。老化現象かとも思うのだが、よくよく考えてみると、そういう 事務的な作業をすること自体が生まれて初めてのことなので、昔と比較することは できないと気づいた。
ばりばり仕事ができる人間でないことだけははっきりしているのだが。


昨日の岩手日報にぼくの写真が載った。一昨日の日曜日、川村美術館という ところでチェロを弾いてきたのだが、そのとき日報の記者が来ていたのだ。
まだ若い記者だった。日曜日に労働するのは気が進まなかったろう。 しかし、事前の勉強も全くなしで、中学生新聞の記者みたいな取材姿勢というのは いかがなものかと。ろくに取材もせず、 わけのわからんタイミングでフラッシュをたいてくれて、正直迷惑だったよ。
感心したのは、ほんの15分くらいしかいなかったのにもかかわらず、 記事ではあたかも最初から最後までいたような書き方になっていたことだ。 表面的、というのはこういうのを言うんだな。伝える必然性のないものに ついて書く必要はない。

話は変わるが、日報の記事は社説も含めてお粗末だ。内容はともかく(内容が くだらないのは大新聞でも同じ)日本語が乱れてをる。人のことは言えぬが、 プロの物書きとしてあの日本語水準はまずいだろう。校正記者がいないのか? てにをはの間違いや、無意味な名詞止めはやめた方がいいよ。あと、ちょっと 高級な言い回しとかは、日本語が上手な人以外は使わないようにしよう。 中高生が背伸びして書いた作文みたいに見えることがよくある。 新聞は作文練習の場ではない。


6/27(水)

結構暑かった。今年の夏はダイエットに成功しそうな感じだ。 とりあえず1月の時点からは5kg以上減量できた。健康安全圏の 70kg以下という、最低限の条件を満たしている。秋口までに、ベスト の62kgくらいまで落としたい。多分達成可能だ。






















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