塾長雑記帳2007年5月





5/1(火)

先日の選挙で、ある候補者が「外人講師を雇うようになってからも 本県の英語の成績は上がっていない。よってこの制度は廃止する。」 と言っていた。

僕が中学生・高校生の頃、ガイジンというものは一年に二週間くらいしか いなかった。だから英語の発音を身につけたり、聞き取りの訓練をするには 学校で渡された教科書準拠のテープを繰り返し聴いてマネをすること 以外ありえなかったのだ。その頃に比べると、現在の英語・語学学習の環境は 格段に良くなっている。 英語関連の書籍はやたらと増えているし、 インターネットのおかげでBBCやCNNのニュースもタダで視聴できる。その上さらに ネイティヴの先生まで、各学校に配置されている。 一年中英語指導助手がいるなんて、ぼくからして みればうらやましいとしかいいようがないことだ。

閑話休題。成績は上がっていないのか。何の成績のことを言っているのかわからない ので、判断のしようがない。本物の英語力などということを言い出すと 話が進まないので、手っ取り早くわかりやすいところで センター試験の成績のことだと解釈しよう。
そうすると、話は途端にちんまいものとなる。センター試験レベルだと、 基本的な文法事項と少々の単語を知っているだけで十分対応できてしまう からだ。リスニング試験もアホみたいに簡単である。しっかり勉強した高校一年生 なら、9割くらい取れてしまうはずだ(ぼくはそんなにしっかり勉強しなかった ので偉そうなことは言えない・・・)。9割取れば全国平均はあるので、 めでたしめでたし。
・・・とはなっていない。何がまずいのか。 中学生・高校生が十分に勉強していないこと以外には何もない。 まずいのは制度ではなく生徒なのだ。

センター試験に限定してしまうと、このように外人講師云々以前のところで 話が終わってしまう。大学入試全般や英検・TOEICなどの試験についても、 程度の差はあれ事情は同じである。外人講師がいようがいまいが 成績に大差はない。

それなら、外国人講師のクビを切ってしまえばいいのだろうか。給料がっぽり もらっているのに、英語の成績が上がらないから。
話をそこまで単純にすると、 他科目の(日本人の)先生方も危ない。安定した生活をもらっているのに、成績が ふるっているとはお世辞にも言えないから。どうするぢゃ?<以下次号以降に続くかも>


5/2(水)

Uちむら家具でテーブルを買ってきた。予算はおよそ2万円くらいで、大きさは 核家族一世帯が普通に夕食を囲めるくらいのものを考えていた。リサイクルショップや 他の家具屋もまわったのであるが、Uちむら家具のアウトレットコーナーで 見つけたテーブルがあまりに安いので、思わずその場で買ってしまった。
どのくらい安いかというと、同じサイズ、同じような材質のものに比べると、 4分の一から5分の一という破格の価格設定なのだ。どうやら運搬中に傷がついた ということらしいのだが、ぼくにはよくわからん。形の悪い(と、勝手に スーパーが判断している)野菜や果物がアホみたいに安く手に入ったり、 少しだけ傷のある(ぼくには見つけられなかった) テーブルがめちゃくちゃ安かったり、世の中不思議なことが多いなあ。
教訓1:とりあえずできるだけ多くの店をまわって値段を比較すること。
教訓2:買うと決めたら現金即決。

当たり前か。


テーブルを運ぶ手伝いをしてくれたI本さんと一緒に、食べ放題の店に 行ったら、Kっきーがいた。Kっきーはぼくが前勤めていた高校の生徒で、 学生寮の中で毎日顔を合わせていたのだ。100kg超級の柔道選手だったが、 今は福祉関係の専門学校に通いながらバイトをしている。生活は苦しいようだが、 あの体型を維持しているということはまだまだ苦労が足らんな。いや、むしろ 毎日おかかご飯ばかり食べて、何で痩せないんだ?エネルギー保存則に 反するではないか。
Kっきーは一ヶ月ぶりの肉を食べるのが嬉しいらしく、kg単位で肉を消費していた。 これを全部体内に蓄積してるから痩せないのかも。何にせよ、久しぶりに 卒業生とゆっくり話せてよかった。将来が明るい生徒を見るとほっとするよ。


5/4(金)

今日は昼過ぎから花見@大沢川原。相変わらず無計画な宴会で、 言い出しっぺのI東さんは遅刻してくるし、食材もないし、場所も特定 しづらいし・・・。
その後、日が暮れてからはぼくのうちで二次会が行われた。 買ったばかりのテーブルにキムチ鍋の素をこぼさないでください、 Nおと様。いつの間にか、奥の部屋で安眠してないでください、I本さん。 愛すべき酔っぱらいのたまり場になりつつある、我が家であった。 ちなみにI本さんは午前三時頃、タクシーでお帰りになった。大雨が降っていた ため、ちゃりんこは我が家のガレージに置いたまま。無事帰宅できたのかな。


5/5(土)

最近YouTubeで有名人の講義を視聴するのが楽しい。この一週間でぼくが はまってたのはG.Chaitinの集中講義だ。ChaitinはAlgorithmic Information Theoryの創始者の一人で、ずっとIBMの研究部門にいた人である。あの頃は、 BennettもLandauerもIBMの研究所にいて、結構すごかったんだろうなあと 想像したりする。

Algorithmic Informationというのは、文字列や数列の複雑さをはかる 量である。ある文字列のAlgorithmic Informationは、その文字列 を表示するためのコンピュータプログラムのなかで、最も短いものの長さ のことをいう。プログラム言語によって、同じ内容のプログラムでも長さが変わってしまう が、表示すべき文字列が十分に長ければ、この違いは相対的に無視できる程度の量に なってしまう(よーく考えてみよう)。
Algorithmic Informationの大小を感覚的にとらえるために次の2つの文字列 (どちらも0と1だけからできている)を考える。

1. 010101010101010101010101010101010101010101
2. 001010100010110111001011101001010100001010

1.と2.のうち、どちらのAlgorithmic Informationが大きいのだろう。 1.を表示するプログラムは「Print 01 21times」のような、比較的短いもの で済む。それに対して2.の方はコインを42回投げて作った文字列なので、 1.のような短いプログラムを作ることができない。要するに2.を表示する プログラムは「Print 001010100010110111001011101001010100001010」 のようなものになり、圧縮することができないのだ。
1.のように、十分に短いプログラムが見つかるような文字列はAlgorithmic Information が小さいといい、圧縮されたプログラムが存在しない2.のような文字列は Algorithmic Informationが大きく複雑であるという。


このAlgorithmic Information Theoryというのは中々面白い概念である。 まず、数学・自然科学・情報理論のごった煮であるところが素晴らしい。 議論の基礎においているのがTuring machineであり、計算理論なので、数学から 生まれたものであることは間違いない。さらにもう一人の創始者である Solomoloffは、この理論をメタ科学的考察のための道具として開発したと 思われるフシがあるので、自然科学とも強い結びつきがある。Chaitin自身、 物理学との類似をみつけようとしていたようだ。また、Bennettが証明した ように、ある条件のもとではAlgorithmic InformationとShannonの情報 エントロピーが一致することがわかっており、(普通の、というかShannonの) 情報論とも関係が深い。

ChaitinはこのAlgorithmic Informationの概念を高校時代に論文にして、 その後10年間かけて完全な理論に作り上げた、大秀才である。あと二人の 創始者KolmogorovとSolomoloffもほぼ同時期、独立に同じ概念にたどりついている が、初期バージョンに存在した不備を修正することができなかった。

で、YouTubeでぼくが楽しんだのは、このChaitinが発見したΩとよばれる 数についての講義である。とても面白い性質を持っているので、興味のある人 は文献にあたるなり、先生にきくなりしてみるとよいだろう。


5/7(月)

今日、愛車スーパーカブのタイヤをスパイクタイヤからノーマルに替えてきた。 スパイクタイヤは断面が角ばっているせいか、進行方向に伸びた亀裂や段差が あると走りにくかった。13号線なんかはトラックのせいで、路肩がかなり ゆがんでいるので、恐怖感を覚えたほどだ。でもこれから10月くらいまでは、ノーマル タイヤで普通にツーリングできるぞ。楽しみ。


ゲーデル・エッシャー・バッハ(ホフスタッター著)の邦訳を久々にぱらぱらと めくっていたら、誤訳らしいものを発見した。翻訳者の方々は実力派ぞろいなので、 ちょっと珍しい、と昔思ったのをも一度思い出した。具体的には以下のようなもの。

原著:Substitution leads to the Second Idea
翻訳:減算から第二の着想が生まれる

何のこっちゃよくわからないかもしれないが、ゲーデルの不完全性定理を (直観的に)証明する途中、ある種の述語の変数に数字 (ゲーデル数という)を 代入する場面でこの文章が現れる。substitutionは明らかにここでは 置き換え、代入のことを言っている。ぼくの知る限り引き算という意味はない。 おそらくsubtractionとsubstitutionをごっちゃにしたのだと思われるが、 このレベルの翻訳者がこんな初歩的なミスをするとも思えない。わからん。
で、最近原書も邦訳も新しい版が出たのを本屋で見かけたので、ジュンク堂 へ行って調べてみたら、新しい版の方でも修正されていなかった。 となると、翻訳者の方々にそれなりのポリシーがあっての「減算」なのだろうか。 言葉遊びだらけの本なので、ぼくの独り合点である可能性も否定できない。 誰かこのあたりの事情に詳しい方がおられたらご教示くださいませ。



追加。5/5雑記帳にあるAlgorithmic Informationは不完全性定理とも 関係が深い。Chaitinは情報論版の不完全性定理を発見した人とも言えるのだ。 ゲーデルのオリジナルでは、形式系の穴はかなり特殊な命題なのだが、Chaitin のバージョンだと、形式系は穴だらけということになる。Hilbertには ご愁傷様と言うほかない。


5/8(火)

(5/1雑記帳の続き)外国語指導助手を雇うことが試験対策には 特に役立たないことは前に述べた(例外が少なくとも一つ。英検一級試験では ネイティヴスピーカー相手に議論をふっかけてやり合う、という面接があるのだが、 この面接の練習相手としてはネイティヴの方が信頼できる。ような気がする。 確信はないけど。余談。最近、英検よりTOEICを重んじる傾向があるように感じる のであるが、両方の試験を受けてみて英検の方が英語力を測るには適当であると ぼくは思う。TOEICの場合はひっかけのパターンを知っていて、ある程度練習を積めば 結構まともな点が取れたりする。それに対して英検一級は語彙・エッセイが割と大変で、 直前2週間の過去問演習で何とかなるというレベルではないのだ。)。

で、どうすんのか。斎藤秀雄(知らない人はまさかいないよね。桐朋の創立者の 一人で日本のチェロ教育の草分けである)の著書によると、5歳くらいまでに 英語などのヨーロッパ言語で使われる高周波の子音に慣れておかないと、その後 耳を鍛えてもなかなか聞き取れるようにはならん、ということらしい。大学院 にいたときの指導教授は海外に何年かいた人なので英語は普通に使えるのだが、 それでもすべての子音・母音を聞き取れているわけではなく、前後関係から 推測することが結構ある、と言っていた。彼も斎藤秀雄と同じようなことをどこか で聞いたらしく、自分の子供には早めに英語を学ばせるんだ、と吠えていた。

結論1. 本当に英語をきちんとやるなら、5歳になる前からネイティヴの指導を 受けなされ。そうすればネイティヴに近い英語感覚が身につく確率が高くなる だろう。でも、そこまでやるほどの意味はないんでないか。
結論2. 小学生に絵を見せて「apple!!」とか言わせるのは愚の骨頂だ。そんなのはいつでも できることぢゃん。大人になってからでも。小学生に(学校で)英語をやらせるのは中途半端に 過ぎる。だらだらと中学・高校まで英語を学んでも仕方がない。

外国語指導助手のバックグラウンドはかなり多彩だ。 知的レベルも(ぼくが会ったことのある数人については) 高い(いや実際JETプログラムという文部科学省の審査を通ってきた 連中はOxfordやWestern Ontarioなど、各国の 名門大学出身者ばかりなのだ)。経営学を学んできた 語学オタクもいれば、ロシアでNGOに携わってきたロシア語のプロもいたりする。 科学専攻のおやぢもいる。英語そのものを専門にしてきた人の方がむしろ少なかったり する。
そうすると、彼らに「Good morning, how are you?」レベルの英語を教えさせるのは かなりの損失であるのがわかる。ぼくが言いたいのは、彼らの積み重ねてきた ものを授業で披露してもらえないか、ということだ(もちろん英語で。質疑応答 ももちろん英語で)。 それも一コマぽっきりのイベントでなく、 継続的な講義として。下らないオーラルコミュニケーション の教科書なんぞを使わせるより、はるかに面白いはずだ。もちろんそのためには 生徒にもある程度の準備が要求されるが、それはどの科目でも同じコトである。

カリキュラムをいじれる人々の発言を聞いていると、外国語教育のことを全く知らない、 そして知る気もないというのを感じる。そもそも外国語を学ぶ意義がどこにあるのか という根本的な問いを自らに問うている人がどのくらいいるのか、非常に 疑問である。制度が問題なのではない。作る側と使う側の能力が問題なのだ。 (一応終わり)


5/9(水)

うちの向かいにある居酒屋たむらは月曜日しか看板に明かりが灯っていない。 どうやって生活してるんだろう。
一度入ってみたい。でも勇気がない。


5/10(木)

居酒屋たむらの前を、ヘルメットかぶったおっちゃんが走っている。
何かねじれてる。


万年筆のインクが詰まった。割と手入れはきちんとしているし、ほぼ毎日使っている ので大丈夫だと思っていたのだが・・・残念。

最近の万年筆はインク詰まりを起こしにくい。というより、 最近の万年筆用インクが、目詰まりしにくいようになっているのだ。インクは 細い管の間を通ってペン先に出てくるのだが、この管の中で乾燥してしまうと インク詰まりの原因になる。最近のインクは耐水性のないものがほとんどなので、 インクの入れ替えの際、血栓が溶けるように目詰まりも溶けてしまう。
ぼくのおやぢの頃のインクはこうではなかった。空気に触れるなり酸化して 固化していたのだ。しかも不溶性の酸化物に。だからペン先とペン芯の間で 固まったインクは分解掃除をしてこすり取るしかなかった。そのくらい頑丈な インクだったから、当時の万年筆は公文書を作成する際の公式筆記用具として 認められていた。
で、なぜぼくの万年筆のインクが詰まったのか。昔のインクでも使ったのか。 そうではない。現在販売されているほとんどの万年筆用インクは耐水性がない のであるが、パイロットのブルーブラックとペリカンのファウントインディア (要するに墨汁だ)、それにモンブランのブルーブラックとブラックは 耐水性あり(パーマネントインクという)ということになっている。ぼくが 使っているのはパイロットのブルーブラックなので、目詰まりしても、そして それが洗い流すだけではどうにもならなくても、仕方ないのだ。 2,3日水を入れて様子を見てダメなようなら分解掃除してもらおう。

話はそれるが、パーマネントインクといっても強さには差がある。ぼくが 数年前実験したところでは、パイロットのブルーブラックとペリカンのファウントインディア は、非常に強いパーマネントインクだった。特にファウントインディアは ボールペン並の耐水性を持っていた。
それに対して、パーマネントインクをうたっているモンブランはパーマネントインク とは言えない代物だった。パーカーやウォーターマン、ペリカンの普通のインクはそもそも パーマネントではないので水を紙にかけるとそのまま流れてしまった。 これでは公文書には使えない。

筆記具としての万年筆は昔、強いインクと目詰まりのしやすさという問題を 抱えていた。今は、発色が鮮やかで目詰まりしにくいインクと引き換えに、 筆記具本来の役割を失っている。

ぼくは万年筆が好きだ。


5/11(金)

夕食におかかご飯を食べようと思った。決して、金がないとか、貧乏とか、 そういうのではない。ただ、おかかご飯が食べたくなったのだ。
2005年12月に賞味期限が切れた鰹節を引っ越し用段ボールの奥から引っぱり出してきて、 昆布つゆをかけてぐしゃぐしゃしてやる。ちょっと色が違うような気がするけど まあいいや。炊きたてのご飯にかけてさて一口。

ホコリの、味が、する。


ぼくの胃袋では処理しきれないと判断し、泣く泣くおかかご飯のおかかの部分を 捨てた。ついでに、残った鰹節も。おかかご飯しか頭になくて、何もおかずが なかったので、冷蔵庫にあった梅干しでご飯を食べましたとさ。
乾き物であっても賞味期限には、気をつけようね。


5/13(日)

居酒屋たむらの向こう側(うちから見て)に「たむら商店」を発見。 酒屋と居酒屋をやっていたとは、うかつにも知らなかった。

これからも居酒屋たむらから目が離せない。明日は(多分)営業日。


YouTubeをだらだら観ていたら、ハイフェッツを発見。何だか気色悪い 編曲のチャイコフスキーだったが、邪悪な感じが彼らしくて良かった。何かの映画の1シーンだった ようだ。

ハイフェッツの公開レッスンを映したビデオを昔観たことがある。マスターコース だったが、一応最初に音階を弾かせていた。こんな感じ。

ハイフェッツ(邪悪な声で)"...fis mol... please..."
後で弾く曲と関係ない調を選ぶのが禍々しい、と思ってたら次の一言。
ハイフェッツ"... in octave ..."

この生徒はボロボロの音階を弾いて、曲の方もあんまりちゃんと弾けてなかった。 当たり前か。
こういう指導(?)の仕方はTarskiを思い起こさせる。東欧の天才には普通の意味で 人格者と言えない人が結構いたんだなあと。


5/14(月)

懸賞問題コーナーの応募者が少ない。まだ3人だ。問題が簡単すぎて、 やる気が起きないのか、目新しくなくて面白くないからなのか、 よくわからん。できるだけパターン化してないものを選んでるつもりなんだけど。
石原学舎では、高校2年が終わった段階でこのくらいの問題を(時間がかかってもいいから) 何とか解けるようになっているのを目安にしておるのぢゃ。


居酒屋たむら営業中!!(20:32現在)


5/15(火)

手帳を落とした。どこで落としたのか、全く記憶にない。 個人情報が載っておりますので、拾われた方はうちに届けてください。
まあ、個人情報といってもケータイには出ない主義のKのケータイ番号 くらいしかないから、どーでもいいといえばどーでもいいんだけど。


5/16(水)

2年前から押し入れの中に放っておいたコメをようやく食べ終わった。 何で2年間も放っておいたのかというと、その間ぼくが某私立高校の学生寮 で管理人・講師をしていて、コメを炊く必要がなかったからなのだ。
今住んでいるところに引っ越してきて、2年前のコメをといでいたら とぎ汁が何だか黄色くていやな感じだった。味もちょっと酸っぱかった。
でもぼくは生きている。

ちょっともてあましているところだったのだが、今晩たまたま前勤務先の 高校の元同僚が飲みに来たので、鍋の最後の締めとして、このコメをつかって 雑炊を作った。酔っぱらっているし、味を少ししっかりつけたのでバレなかった ぞ。みんな「・・・んまい、んまい・・・」って喜んでたし。

I東さん、I本さん、賞味期限切れ残飯処理をさせてしまってごめんなさい。 またのお越しをお待ちしております。


5/17(木)

I東さんから食糧支援としていただいた新しいコメを食べた。


とぎ汁が白い!

これが普通なのかな。
いずれにしても、久しぶりにおいしいご飯をいただくことができた。 感謝。


5/19(土)

今日はバディヌリジュニアの本番があった。ぼくもちょいとばかりお手伝い、 というか邪魔をするためにチェロを弾いてきた。

バディヌリという団体を知ったのは2000年か2001年、ぼくがまだ東京にいた時のことである。 この団体はカザルスホール(今は持ち主が変わったので名前が変わっているかも)で 行われた、アマチュア音楽祭に出演するために東京に来ていた。たまたまその時来ていた 団員の一人が学生時代の友人だったので、冷やかしのつもりで見物しに行ったのだ。
何を演奏したのかはよく覚えていないが、非常に独特な響きを持った団体だ、という 印象を持った。プロみたいなアマチュアオーケストラも東京にはいくつかあるが、 そういうのとはちがうし、オーケストラとは名ばかりの宴会団体とも違う。 何と形容していいのかわからない、そんな団体だった。これほどの水準の楽隊が首都圏 や関西以外にあるとは思いもよらなかった。

その後、ひょんなことで盛岡に住むようになってから、一度だけ団員として出演 させてもらったことがある。カザルスホールのときの魔法のタネがわかるかもしれない、 と期待していたところもある。でも、結局よくわからずに終わってしまった。 特別な練習をしているわけではないし、みんながみんな頭抜けて 技術の高い人であるというわけでもない。 それでも、よそでは聴けない音がでてくるのだ。
ちなみにこの合奏団は指揮者なしで演奏会をする。結構不安だったので、隣に座っていた 古参の方にそう言ったら、こんな答えが返ってきた。「ゴムなしでやるスリルを味わいたい んだよ。」そうだったのか・・・

で、今回はこの合奏団のコンマスである寺崎さんにお声をかけていただいて、ジュニア部門の お手伝い(いや邪魔だ)をしたと。小学生より下手くそな大人であってはいかん。 精進しなくては。


5/20(日)

朝5時に起きて宮古にカブで行ってきた。今日は宮古の潮干狩りの日だったのだ。 今まで一度もカブで海側に出たことがなかったので、ちょっとした冒険のつもりだった。 が、思ったよりも楽で拍子抜けしてしまった。盛岡から区界まではちょっとカブには しんどかったが、その後はスムーズに走れた。
宮古に到達した時点で満足してしまったので、肝心の潮干狩りの方はもう一つ 気が乗らず、入場料の800円分アサリを採ることはできなかった。宮古のアサリは 山田のアサリより大きかった。正確に言うと、宮古で潮干狩り用にばらまかれている アサリは、山田で潮干狩り用にばらまかれているアサリより大きかった。 入場料はそんなに変わらなかったはずなので、おそらく参加者が少ないことを見越して より質のよいアサリを愛知県から運んできたのだろう。

帰る途中の106号線沿いで火事があり、通行止めになっていた。4時から弦楽四重奏 の練習が入っていたので正直かなり焦ったが、カブはエンジンを止めれば歩行者になる ということを思い出して、火事で燃えている民家を横目に渋滞をすり抜けた。というわけで、 川井村の途中から岩山動物園まで、ぼくのための106号線が続いた。車で行った知人の話 によると、火事現場で1時間待たされたそうだ。

住むところがなくなるって想像するだけで恐ろしい。


今週末の演奏会前ラスト2の練習があった。今回は珍しく片桐の本気度が高い。 盛岡に来てからは忙しくて練習するヒマがなかったということもあるのだろうが、 盛岡市民はまだ彼の凄さを知らぬ。立場はアマチュアでも技術は下手なプロより 上である。今回も置いていかれ気味のぼくのチェロ。


5/21(月)

居酒屋たむら営業中(午後10:43現在)。少しずつわかってきた。 月曜日は看板に灯りをともして営業、水曜日は店内に灯りがともっているが 看板は消灯。それ以外の日については統計がまだとれていない。データが揃い次第 報告する。


リミッターをカットした。劇的に何かが変わったということはない。 最高回転数が上がったことだけは確かなんだけど。(意味がわからない人は 読みとばしてください)。


5/22(火)

10年以上使った財布が壊れた。ジッパー部分にレシートが はさまって、もともと小銭入れは開かなかったり閉まらなかったり していたのだが、2週間くらい前にスーパーのレジでジッパーを思いっきり 開けたらそのまんまジッパー脇がびりびりと破れてしまったのだ。
たまたまデパートの商品券があったので、川徳に行って財布を探してみたら 一万円くらいする財布ばかりでうんざり。何で財布ごときにそんな大金をかける 必要があるんだ?となりにおいてあるトラベラーズバッグは財布よりずっと 大きいのに4000円もしないぞ。というわけで川徳を見捨てて(正確に言うと 見捨てられて)中三に移動した。
財布売り場はどこや?よくわからんので最上階付近の舶来品コーナーに行ったら 3万とか4万の財布がごろごろしている。こんなの買う人いるんだ。何だかアホくさく なってきたので帰ろうと思って 一階におりたら、エスカレーター脇に財布コーナーが。
灯台もと暗し。 破れた財布と同じようなのが2100円で売ってた。財布なんてこんなんで十分よ。 ビバMade in China


去年、未履修問題で地方公立高校がつっつかれていたとき、「地方には塾や 予備校がないから学校がその代わりをしている」という学校関係者の声を聞いた。

それは違う。学校が予備校や塾みたいなことをするのは、自分たちの 査定にひびくからである。それが悪いことだとは全く思わない。 成果が出れば(どっちにしてもちっぽけなことだ)、それなりの報酬があってしかるべきだから。 気に入らないのは、 自分のやっていることを生徒のため、と言って責任転嫁している校長や教員が 多いということである。去年の騒動の最中ぼくは某私立高校にいて内部をつぶさ に見てきた(その高校は公立退職者の天下り先である) 。本当に醜い人々が沢山いる。そしてそういう人々が学校を動かしている。 やりきれない気分だった。


ところで、予備校レベルの授業できる高校の先生って どれくらいいるんだろう。
予備校っていってもピンキリだから考えるだけ無駄ね。


あああ、居酒屋たむら営業中(午後8:45現在)。ランダム営業たむら。


5/23(水)

最近ブラウザをFirefoxに変えた。特に深い意味はない。で、今日たまたま トップページに背景をつけてみようかと思い立って表示させてみたら、 地図が出ない。色々いぢくってたら、地図がpdfファイルの ままであることを発見。Firefoxではpdfファイルをブラウザ上で 表示できないのだ。
前まで使っていたSafariというブラウザは、pdfファイルを ダウンロードして保存しなくてもそのまんまブラウザ上で 表示できたので、それに慣れてしまっていたのだ。Firefoxではそれが できぬ。プレプリントを読むたびに一々pdfファイルを保存するのはあほくさいので、 FirefoxをやめてSafariに戻すことに決定。こだわりのないぼく。


☆☆☆ 宣伝 ☆☆☆
春のコンサート
2007年5月26日(土)
17:30開場 18:00開演
盛岡市民文化ホール(マリオス)小ホール
入場料300円

薫弦楽四重奏団のメンバーとして、塾長がチェロを弾きます。お暇があったら 是非どうぞ。


居酒屋たむらしっかりと営業中(午後9:23現在)。何だか前とは様子が違う。


5/26(土)

京大オケは毎年夏休みを利用して全国各地をまわる演奏旅行をしている。 5年周期で九州、中国・四国、北陸・中部、東北、北海道をドサ回り巡業するのだ。 マネージメント担当をする連中は非常に大変な思いをするのだが、ぼくは無責任な 人間であることがわかっているのでそういう大事な仕事を任されることはなかった。

15年ほど前、1993年には東北地方巡業をしたのだが、そのとき岩手では沢内村(今は 名前が変わっているみたい)にお世話になった。
今日の演奏会の打ち上げでぼくの目の前に座った方がそのときの巡業を見に来てくれて いたことがわかり、ちょっとびっくり。しかも指揮者コーナー(観客を無理矢理?指揮台 に立たせてオーケストラの指揮をしてもらうという企画)で指揮をしたと言うではないか。 そのときのチェロトップはぼくだったので、まさに目の前に指揮棒を持って 立っておられたのである。

ちなみに、今回の演奏会の指揮をされた方がぼくの元同僚のT野さんの恩師で、 そのT野さんはコントラバスの方の友人で、コントラバスの方はぼくが時々チェロ を弾きに行っている川村美術館の元従業員のRかちゃんの後輩だったりする。

世の中狭すぎ。いや、岩手のクラシック関係者だけが世の中だと思っているぼく の脳みそが小さすぎ。


5/28(月)

居酒屋いしぴー営業中。居酒屋たむらも 負けじと?営業中。
居酒屋いしぴーには今夜も常連が集っている。I本さんの龍澤高校時代 の逸話はどれも抱腹絶倒ものばかりだ。語りが上手いというのもあるのだろうが、 各エピソードが激しく面白い。同じ頃ぼくも高校生だったが、あれほど強烈な 高校生活ではなかった。今では校名も変わって、すっかりどうでもよい学校になって しまった龍澤高校。学校ってのは独自色がないとダメだ。

そうこうしているうちにもう11時。居酒屋たむらの明かりが消えた。

勝った

何だか風邪っぽい。演奏会が終わって気が抜けたかも。


5/29(火)

のどが痛い。ショウガ湯を飲んでずっと寝ていた。寝ようと思うと中々 眠れなくて、布団の中で本を読んじゃったりする。スイッチオフにした意味が 全然ないな。何やってんだか。

ちなみに、今日みたいに沢山寝たときは布団の中で(あるいは夢の中で)「ああ、 ぼくはこの人生で何をなしえたというのだろうか、いや、何もない。これからも 何もないだろう」というような精神状態に陥りやすい。10代の頃からこれは変わらない。 劣等感と優越感って表裏一体だ。
布団から出てメシを食べ始める頃にはノーマルモードになってるんだけど。


ZARDのボーカルが死んだそうな。死んだことより、40歳だったってことの方が ショックだな。女って化け物だ。


居酒屋たむら営業中。今日はうちの負け。


5/30(水)

ぼくのチューハイを冷凍庫に入れたやつは誰だ。


コナン・ドイル全集を図書館で借りた。何と、擬古文ではないか。 70年くらい前の全集を復刻したということらしい。 漢字の量がちょっと多いのだが、大衆文学であるということからか すべてルビがふってある。
ちょっと珍しいのは、ドイルの心霊写真と称するものが載っていることだ(ドイルの息子 の横にドイル(と説明書きがある)の顔が写っている)。 ドイルは心霊研究家でもあった。イギリスってのは 伝統的にオカルト好きなのだ。Josephson(ノーベル物理学賞)みたいに、 ケンブリッジかオックスフォードの研究室で真面目にそういう研究やってる人もいるし。

「世の中といふものは何をなすかの問題ぢゃないんだ。」
ホウムズは苦々しげにいった。
「肝心なのは世間の人に、何々をなしたと信じさせることだ。」

見栄えの良い広告に注意。


居酒屋たむら営業中。ここんとこ月曜から水曜までは開いている。木曜から金曜は、 気が向くと開けている。日曜日は定休日。こんなとこか。


5/31(木)

居酒屋たむら営業中。もしかしたら、うちを意識しているのかもしれない。 お互いいい仕事をしてゆけたらいいと思っている。

BGMはベートーヴェンのチェロソナタNo.3 イ長調






















Copyright(C) 石原学舎