塾長雑記帳2007年4月




4/11(水)

ワシのホームページの中には「塾長」という単語が結構目につくところにある。本当に 塾長だから仕方ないのだが、どうにも右翼臭くていかんなあ。「館長」にでもしておけば よかったか。でも、そうすると今度は空手か何かの道場主みたいだし。このままでいいか。 (念のため書いておきますが、私はいかなる政治団体とも無関係であります。)

右翼と言えば、最近行われた統一地方選を思い出す。期日前投票のとき、どの県議選候補者 に入れていいかわからなかったので、き○○えという候補者の名前をとりあえず書いた。
そうしたら次の日、都南から内丸までバイクで戻ってくる間中、 このき○○えという候補者の選挙カーにつきまとわれたのだ。
「き○○え、き○○えをよろしくお願いします。頑張っております、ありがとうございますっ。」
あんたには投票してあげた。手え抜いて選挙する奴なんざ(あんまり)おらんわ。 ありがたいと思っているなら、ちっとはボリューム下げてくれ。

何だか右翼の街宣車と併走しているような感覚に襲われたのであった。


4/24(火)

今日、ぼんやりと窓の外を見ていたら4号線を3台の戦車が通過していった。 居酒屋たむらの前を戦車が走っている、この違和感。

そういえば自衛隊はイラクから帰ってきたんだっけ。


電気ポットの蓋をあけたら、中でアリが一匹溺死していた。どうやって 入り込んだんだろう。


4/25(水)

台所にころがっていたたまねぎから芽が出ていた。スーパーで売ってるたまねぎ って、まだ生きてるんだ。というわけで、こいつらを庭に埋めてしばらく様子を見ることにした。 うまくいけばスーパーでたまねぎをを買わなくて済むようになるかも。いや、それなら いっそのこと他の野菜も埋めてみたらどうじゃろ。

そんなうまい話があるならスーパー潰れてるわな。


4/27(金)

巨星墜つ

史上最高・最強のチェロ奏者M.ロストロポーヴィチ(通称ロストロ)が 死んだ。今日は少々酔っぱらって帰ってきたのだが、一気に酔いが覚めた。

今から20年以上前、まだCDというものが世の中に出回り始めた頃、少ない 小遣いをはたいて買った高価な(当時は一枚3500円とか3800円もしたのだ)CD のひとつがロストロの弾いたブラームスのソナタだった。こんな音を出せる楽器が あるということを、その時初めて知った。当時チェロは一般人が普通に習える ような手軽な楽器ではなく(今でもそうか)、チェロを弾くような環境に身を置く ことになるとは考えてもいなかった。それでも、心の片隅にいつもチェロへのあこがれ と、ロストロへのあこがれがあった。生まれ変わったらピアノではなくチェロを 選ぶつもりだった。
そうこうしているうち、ひょんなことから大学ではオーケストラに入り、そこでチェロの実物に触れた。 運命は決まった。ロストロになろう。そうして私の修行が始まった (そしてそれはいつまでたっても終わりそうにない)。

ロストロのチェロの特徴は、何といってもそのスケールの大きさである。まるで 肺活量が10l、弓の長さが2mはあるかと思わせるような息の長い歌い回し、 血のにじむような努力の末に手に入れた神業のようなテクニック、私の先生をして 「ホールの床から音がバリバリ響いてくる」と言わしめした巨大な音量、 一つの演奏会をノーミスでこなすことができるほどの凄まじい集中力、どれを とってもロストロだけのものである。そう、ロストロの凄さは彼の前にも、彼の後にも ロストロ級のチェリストが現れていないことに如実に示されている。ロストロしか ロストロになれなかったのだ。 人それぞれだ、というような安直な個性論をあっさりと無視することができる ほどの存在感を彼は持っていた。

彼の爆音は、特にコンチェルトを演奏する際、大きな武器となった。実際フルオケに対抗できる 音量を持つチェリストは(私の知る限り)ロストロ以外いない。そのためか、 ロストロというとドヴォルジャークやショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ブリテン といった作曲家のコンチェルトとイメージが重なる人も多いようだ。
しかし彼の最も優れた録音は、ピアノとチェロのためのソナタの中にある。 考えられる理由としては、彼自身がピアニストでありピアノを熟知していた こと(ソプラノ歌手である夫人の伴奏はほとんど彼がつとめている)、 当代超一流のピアニストと闘っていること(ベートーヴェンではリヒテル、シューベルト ではブリテン、ブラームスではゼルキン、ショパンではアルゲリッチ等々) が挙げられる。彼の技量に比肩するピアニストの方が、彼の技量に比肩する指揮者と オーケストラを探すより容易だったと考えることもできる。

これほどまでに憧れてやまぬ、神様のような存在であったにもかかわらず、彼の実演 を聴いたのは5年ほど前、すでに体力的な衰えが隠せなくなってからであった (聴きに行った多くの人々は凄かったと言っていたが、私は彼の本来の力は あんなもんではないと思っている。確かに、ロストロのひとかけらは聴けたと思うが、 ホルンにフォルテ4つつけて吹かせても大丈夫なほどの力強さ はなかった。あのときのロストロの公開練習を聴いて「ロストロは力を入れずに 楽に音を出せる」などと言っている人もいたが、それはおそらく大間違いである。 全盛期のロストロが同じ部屋でチェロを弾いていたら、普通の人はあまりの騒音に 耐えられず逃げ出したはずである。)。 それまで何度もニアミスはしていたのだが、その度に用事が入ってしまって演奏会に行けなかった のだ。今から考えると、万難を排して全てのチャンスを生かすべきだった。彼の最後の 全盛期であった80年代中盤を逃したのが本当に悔やまれる。怪物を、怪物のまま 聴ける最後のチャンスだったのに。

ロストロは政治活動も精力的に行っていたが、それについてはあまり興味がない。 はっきりしているのは、ソヴィエトの英才教育が非常に優れたものであったと いうこと、個人の力ではどうにもならない大きな障害があるような環境においては 偉大な芸術家が現れる確率が上がるということである。ソヴィエト出身の音楽家 はソヴィエトの音楽教育を非難することが多いが、結果だけを見てみると、社会環境 も含めてトータルとして、ソヴィエトの音楽教育が極めて優れたものであったのがわかる。
命懸けの環境からしか、命懸けの音楽は生まれない。


私にとっての神が今日死んだ。大いなる正午がやってきたのだ・・・


4/28(土)

隣の空き家の庭にある池は四月上旬まで凍っていた。今日、ちらりと覗いてみたら さすがに氷はなくなっていた。ん、池の中に金魚か鯉と思われる魚が・・・冬の間 ずっと氷に閉ざされた池の中で生き延びてきたのか。
金魚って冬眠するんだっけ?


4/29(日)

Gerry夫妻とそのお友達と一緒に高松の池で花見をしてきた。やたら暑い 日で、ジャンパーを着ていたワシはちょっと浮いていた。半袖でうろついてる 兄ちゃんも結構いるくらい暑かったのだ。もっと混雑しているかと思ったが、昼間だったせいか 全然大したことなかった。ちょっと拍子抜け。

池を一回りしたあとで、Gerry家に夕食をご馳走してもらいに行った。 最近Gerryの日本語がやたら上手くなってきていて、わざわざワシが 下手くそな英語を使う必要がなくなってきた。これではいけない。ちょっと 無理してでも英語を使うようにしなくては。ちなみに、Gerryが数日前に 買ったパソコンはワシのとおなじMacBookだった。iChatをつかってテレビ電話 ができるので、無料の英会話教室をやってもらうぞ。





















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